2009年4月10日

ミサイル発射、したたかなる米国、そしてまたも愚かなる日本国..


北朝鮮のミサイル発射以降の安保理会議について、日本国内のメディアで盛んに言われるのが、「中・ロの北朝鮮擁護説」である。日本国内のメディアによれば、同国らは、米国に対する切り札を温存するために、北朝鮮を擁護したいとのこと。

仮に中国、ロシアが切り札としての北朝鮮を失ったとしたのなら、同国らの米国との関係に一体どのような不利益が生ずるのだろうか。「憶測」だけで緻密な分析などなく、メディアは揃って中・ロの北朝鮮擁護説をしきりに唱えている。このようなメディアの在り方、それに対する世論の無言さに日本の危うさがある。

私は長い間、北朝鮮は「米国が日本に対して有する最強の切り札」であると確信している。永遠なる優位性とも言ってもいい。周知の通り日本国は憲法上、独立した軍を持つことが許されていない。米国が“守ってあげなくてはならない”体制になっている。米国にとり、事実上の敵でも、仮想上の敵でも、日本国に対し脅威を有する存在が必要なのである。日米両国において国民理解を得るには、膨大な軍事費を捻出するに値する事象が欠かせない。

さらには拉致問題もうってつけである。拉致被害者が北朝鮮に存在する限り、日本はもとより米国すら、同盟国の国民が人質となっていることで「強硬手段には出られない」と理由付け可能だ。米国にしてみれば、一過性の戦争だけで、生涯の金づるである日本の弱みを取り除いてあげる必要ない。当の北朝鮮は米国がある意味「守ってくれている」現状に居心地の良さを感じつつ、中国やロシアの出方など全くお構いなしではないだろうか。たまに派手に打ち上げて、世界に忘れられなければそれでいいのである。

政治そしてプロパガンダとは一体何だろう。今更ではあるが、過去の全世界のほとんどの戦争がそうであったように、一部のグループの人間達が、残りの大体数の人間の命までも掌握している社会こそが、この世の諸悪の根源である。「うわべ民主主義」がChangeされればと、私は文字通りオバマ大統領に願いを込めるのみである。

追記:案の定、米国は日本の北朝鮮に対する強硬な立場に同調しなかった。次回も日本のメディアが騒ぐばかりであり、何なく打ち上げられることであろう。最初から分かっていることであるが、日本にとっては非常に残念なことである。