2013年7月31日

「米中対立」という発想に失う世界観

■低レベル、時代錯誤、勘違い

「米中対立」を演出する日本政府とメディア。両国の「覇権争い」を強調する論調が続く。しかし現在の米中はどちらも「世界制覇」など求めていない。頭の片隅にすらないのではないか。

既に過去、覇権主義にはコストがかかった上、世界だけでなく自国民にすら支持されることはなかった。米ソはしたくもない戦争で軍事力を誇示し合い、結果みな傷ついた苦い歴史がある。

その後の段階では、相手に「世界和平の責任を負わす」という思惑、これも失敗に終わっている。本来、軍事的脅威などない相手を「脅威」とまくし立て、「世界和平を乱すのは相手側だ」と世界に訴えた。過去の米中、相手に負荷をかける戦略、これも先に進むことはなかった。

現在、米中間で最も時間を割いて話し合われていることは「世界和平の維持」である。和平維持のため、両者の「役割分担、負担シェア」を模索している。テロをどう根絶させ、軍事的台頭を目論む国をどう抑えるか。日本での報道はほとんどないが、昨今の米中首脳、閣僚らの過密スケジュール会談がそれを物語っている。

■「若い」日本、過去回帰に未来を失う

日本人富裕層(高額ツアー限定)が国外へ出ることを許されたのが49年前。民主化への取組みも60年余りでしかない。そして日本が世界デビューを果たしたのはわずか150年前のこと。TPP交渉のように後から入り、皆がそれまでの経緯を教えてくれるならいいが、国家、社会がデビュー以前の世界を経験していないのだから、日本国民は自らの目で、自分なりに正しい世界観を習得するしかない。

敗戦否認的な動きを見せる日本政府、メディア、一部の日本国民が、戦後日本が勝ち取ったアジアにおける地位と、尊敬される世界和平の主要プレーヤーとなる機会を自ら葬り去ってしまった。過去を神格化する動きが、中韓に「日本フォロー」の危険性を暗示させ、これまでアジアのリーダー的存在であった日本の地位に強い懐疑心を抱かせている。それ以前は、両国民の一部が日本への嫌悪感を有しながらも、日本がアジアのリーダー的存在である事に抵抗を示すものではなかった。

日頃「日本自慢」を国内外に発することに余念のない今の日本が、世界で主要プレーヤーとなる機会を自ら葬り去ってしまったことは大変皮肉なことである。メディア規制、全体主義が言われ、しかも外国人に厳しい島国日本において、政府メディアの言うことを鵜呑みにしていては、広く正しい世界観を習得し得ない。「米中覇権争い」と言った低レベルな発想に支配され、日本社会からは再び世界が見えなくなっている。

■「大人」の振る舞いを

世界から見れば、北朝鮮注視に終始していたアジアの和平に新たな監視対象の懸念が生じている。日本の過去回帰の動きが、和平共生の世界にブレーキをかけようとしているかに映る。

それまで実効支配していた領土を、わざわざ米国に出向いてまで紛争の具にした石原氏。職権乱用とも言える職務超越、憲法軽視の行動、世界には東アジアから和平を奪う言動に映る。韓国のように、トップが実効支配の地に足を踏み入れるだけでも、同程度かそれ以上の領土主張を「維持」できたはずである。仮に米国が見切りを付け、決意を固める事態にいたれば、中国や韓国の様な生易しい態度では収まらない。

EUは喜んで世界和平の前進に協力する。韓国も最大の努力をする。英、ロシアは「邪魔」をすることはしない。

理想からは遠いものの、世界は確実に共生未来を築こうとしている。いい意味でのグローバル化に向け前進している。日本がその役割の一端を担うか否かは国民の意識次第。それは敗戦拒否、歴史修正、過去回帰を真に諦め、前進することができるかにかかっている。

この決意を表するには欧州同様、過去回帰を法で禁じ、共通の近代史教育を行い、日本は「過去の行いを悔いている」と言う姿勢を被害国に示し続けなくてはならない。欧州ではドイツの絶え間ない努力によって、はじめて現在の関係を保っている。

関連ページ: 周辺国との不仲、過去の忘却がもたらす行詰りの未来