2012年8月16日

周辺国との不仲、過去の忘却がもたらす行き詰まりの未来

■過去の暴発― 西と東で異なるその後 「心のケア、トラウマ治療」

今年5月末から6月上旬にかけ、ドイツのサッカー代表チームのメンバーが欧州選手権開催を前に、共催国ポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所を訪問している。メンバーの一人は、「我々の世代に直接責任があるとは思わないが、」と述べた上で、「ドイツがポーランドに行った残虐な行為を今もドイツ国民は忘れていないことを世界に示したい」と述べている。

戦後整理の中で、何よりも繊細で難しいのが、被害国に対する「心のケア」である。これは国家間に限らず、人間関係においても、謝意表明、やり直しに欠かせない重要なプロセスである。ドイツ国民は義務教育で過去について学び、周辺被害諸国への心のケアに尽力し、関係再構築に重点をおいてきた。

対照的に日本は、米国に身を寄せることでこの重要な責務を省略した。これは戦後日本の周辺国との関係に多大な影響を及ぼしている。尖閣、竹島、北方領土など半世紀以上も領土問題が繰り返され、領海を接する全ての隣国と未だ信頼関係を築けないでいる。先進国としては異例なことである。過去に国民に隠れて行った日本の歴代総理大臣の謝罪も、これまでに支払ってきた賠償金も、残念ながら世代をまたぐ共通の歴史認識なくして、その価値が失われているかに映る。日本はその謝罪や賠償に、自ら賞味期限を与えてしまっている。

本来、罪は深ければ深いほど反省も深いものである。そして反省が深ければそれだけ長い時間を要する。それを心なく拙速に済ませようとしたり、誤った形で行おうものなら、実際に行った謝罪、賠償などは形式のみであったとの解釈になる。監禁レイプ犯が、「謝って賠償金払ってまだ文句あるか、お前が着てる服も俺が買ってやったものだ」と開き直れば、被害者には決して拭い去ることのできない苦しみを与え続けることになる。現在は日本においても、トラウマケアの重要性が理解されていないわけではない。

■過去の忘却は国家のアデンティティを奪い、次世代に影を落とす

このようなことが一国の歴史上に存在すれば、カネが最終的な判断基準となる強い拝金主義が育つ。都合の悪いことは忘れ、過去を遠ざけようとする。強い存在に寄り添い、カネと雄弁で失敗を補うことが習慣化する。その延長には国家による国民騙しが常態化し、それを見ている国民も堅実さを尊ぶ心を失う。いわゆる「正直者が馬鹿を見る社会」が蔓延する。国民は自らの出所を知らず、アデンティティを奪われ、将来進むべき方向を見失うのである。

逆に、ドイツ同様、周辺被害国への心のケア、関係再構築に重点を置いてきたのなら、それらの国々との関係修復ばかりでなく、そこでの成功が日本人の誇りとなり、名実、自他共に認めるアジアのリーダーになり続けることができたはずである。

識者の中には「武士道を重んじろ」という人もいる。ある部分、理解できるところもあるが、最終的に人を斬れない武士は武士ではない。故に武士道の行きつくところは「どれだけ綺麗に人を殺せるか」である。しかし武士道はまた、現代の私達に重要なことを教えてくれる。それは人の心にある流儀、仁義である。これは言わば全世界に通用する真理でもある。


■国民には過去を知る権利がある、そしてやり直す権利も

一見、修復するのは複雑、困難であると捉えられがちである。しかしここでも欧州に学ぶべきものは多い。欧州では「事実は一つである」との信念の下、関係諸国間で共通の近代史教科書を策定し、これを学ぶことを義務教育化している。さらに、公での旧ナチ政権を擁護する言動を法律で厳罰化するなどしている。これをいかに学ぶかで、日本の未来、アジアにおける地位は大きく変わってくる。討論番組などで、周辺国との国交断絶論を説く向きもあるが、隣国からの孤立が行き着く先は国民不幸である。これは世界史上の事実である。

やり直し」に米国関与、日本の経済的影響力の行使(ODAなどによる囲い込み等)が継続するようであれば、これまで同様、被害国らは一連の共同作業を拒み続けることになる。イスラエル・パレスチナ問題を見て理解できるように、米国を後ろ盾にしたイスラエルの言動は世界では支持されていない。そればかりか、同国は孤立感を深めている。米国によるイスラエル支援は、経済的な繋がりばかりでなく宗教面においても裏付けられている。仮に隣国韓国の世界的なプレゼンスが増せば、米国は非常に近い宗教的価値観を持つ同国へと傾注するかもしれない。これまで防波堤を築いてくれた米国も、日本の変わらない政治、終わらせることのできない周辺国との不安定な関係に、次第に距離を取り始めているようにも映る。今世紀、いつまで米国の影響力、日本への保護が有効であり続けるのか、再考すべき点は多い


■国民の自発的な意志による抗議行動― 民主国化元年か

日本は民主化に動き始めてわずか67年。先進諸国では非常に若い民主社会である。それ故、国内の利権構造にメスが入ろうとしているここ数年、既得権者の抵抗は極めて大きい。そしてこの支配層が、その地位、権威、権益へ執着すればするほど、隣国との緊張関係は絶えない。彼らは国民の愛国心を利用し、自らへの批判を外へかわすことで求心力を高めようとするからである。このようなやり方は、時に紛争・戦争へと発展し、国民の平静心、冷静な思考力を奪う。彼らの最大の目的は自らの権益維持に他ならない。彼らにとって国の発展、国民生活の向上は「オプション」に過ぎないのである。

敗戦後、旧軍事政権が分割され現在の霞が関へと引き継がれたこの利権構造。それがメディア、業界トップ企業と織り合って日本の支配層となっている。いわゆる「株式会社ニッポン」の役員らである。本来、このような旧権力と富の固定化が進まない手はずを整えるのが、占領国側の第一の使命であったはずである。イラク、アフガニスタンを見てもしかり、これは米国統治の限界が顕在化していることの表れでもある。日本はそれが先行する形で既に70年近くが過ぎようとしている。非常に強固な利権構造がそこにはある。

このまま支配層の影響力が続くようであれば、グローバル時代における日本の地位低下は進み、国民生活が疲弊し続けることが避けられない。それを防ぐためにも、現在深まりを見せている問題を風化させることなく、解決に向けて真剣に取り組むべきである。国民は東電、経産省による電気料金値上げを阻止し、脱原発依存を法律上で約束させ、使途を明確に示さない消費増税を阻止しなくてはならない。米軍沖縄駐留問題に関しても、同国との関係を再構築する時期に入っているのかも知れない。

原発再稼働を前に団結する民意は、日本を真の民主国へと導く原動力になり得る。しかし同時に、これは国民の愛国心を利用しようとする支配層の策略に乗ってしまう可能性も否定できない。先進国たるもの、本来、政治・メディアは事を冷静に精査し、国民のナショナリズム高揚を鎮める機能を持たなくてはならないが、日本の場合、残念ながらそれは先進国レベルにない。むしろ国民の愛国心を煽り、政治的求心力を高めようとしたり、メディアによる視聴率向上目的に利用される。これら政府・メディアによる愛国報道を、戦前のそれと照らし合わせ見てみる冷静さが日本国民に求められる。そして日本の周辺国からの孤立、これを深めることがあれば、それは何らかの兆候であると捉えるべきである。行きつくところまで行けば、支配層とその親族が利するものは多くとも、国民が利するものは何もない。過去から学ぶべきことは多いはずである。

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