2015年8月7日

日米の「国内回帰」がもたらす世界平和― SDR入りする人民元 3/3


■ドル支配下の「富と権力の固定化」

核軍縮を訴えて「ノーベル平和賞」を受賞したオバマ大統領。

その彼が、持てる力を使って世界平和を求めるのなら、米国の軍事力が相対的に増すばかりの「核軍縮、核廃絶」より、米ドルの一極体制に多少の「余裕」を与えることで、世界に多くの変化をもたらすことができる。

ドル基軸通貨体制は、米国が全世界からほぼ無制限に借金可能な体制へと発展している。これは米国はもとより、そこにぶら下がる国家、企業へも多大な恩恵をもたらしている。

しかしこれらが世界中で固定化し、それが権益、権威となって、持たざる者との間で絶え間ない紛争を引き起こしている。そしてなくならない貧困の種を今もまき続けている。


■日米に求めらる「国内回帰」

SDR等のバスケット型準備通貨が実現すれば、米国は「準備通貨発行権」という地上で最大の権益を失うこととなる。

普通に考えればそんなことを許すはずもないが、この「ステータス」との決別が、「世界管理」という重圧から解放し、米国を「国内回帰」へと向かわせる。それは国家以前に、「民衆の幸」を追求する政策回帰への一歩でもある。

日本で耳にすることは稀だが、これは多くの米国市民が求めていることであり、この米国の国内回帰が進むめば、いずれ日本も同様の政策をとるはずである。

日本の前政権は、掲げていた「高福祉と周辺調和」を展開できずに退陣に至った。周辺調和を支持する強力なロビーが、日本には存在しないことが残念でならない。先進国としては恥ずかしい限りだ。

北欧やスイスのような「安寧」な社会を実現するには、「隣国はいつも隣にある、国土は引っ越せない、周辺国との協調こそが国民の幸」という人類史の積上げを政策の根幹に据えなくてはならない。当然のことながら、毎回「積み木崩し」な国政に持続性はなく、次世代へと育む安定社会の土台を壊しては作り直すという悲劇を続けている。


■壮大な一帯一路構想

AIIBとともに進められる「一帯一路」構想、そのスケールは壮大である。古来より世界の中心であった巨大経済圏は、これまで「域外勢力」が敷いてきた秩序によって分断され、長年そのポテンシャルを発揮できずにきた。

その域外勢力に武力で立ちはばかることなく正面から向き合い、その上でリーダーシップを発揮する存在がこれまでなかった。しかし今、復活する大国のイニシアチブに大きな期待が寄せられている。

戦後の米マーシャルプランではないが、一帯一路事業は、このユーラシア大陸に広がる膠着感を取り除き、大陸の未来に劇的な変化をもたらすものとなる。

日本での報道とは対照的に、欧州にとっての中国は敵でもなければ競争相手でもない。過去には大きな諍いも起こったが、最終的には共に歴史を歩む引っ越すことのできない「隣人パートナー」である。中国のカムバックは、20世紀後半に抜け落ちた大陸の歴史を埋め戻すものとなる。


■目を背けたい事情を持つ日米

日米は、この潮流にどこまで向き合うことができるだろうか。歴史的、地理的な「部外者」である両国は、これをストレートに受け入れることを好まない。

一般に、一国の繁栄はその周辺諸国に利をもたらすとされるが、遠隔地にある日米にとっては、必ずしもそれがストレートに自らを利するとは考えていない。

逆に、大陸の地政学的な緊張が、日米にとって自らの存在感、影響力を高めるツールとなってきた。地続きの隣地で紛争が起これば、物理的に離れた島や大陸の繁栄に関心が向くのは自然なことである。


■「強靭な国家」は、本当に日本国民が望む未来か

戦後の米国では、軍事的緊張で利を伸ばすロビーが強いプレゼンスを示してきた。日本では、ナショナリズムの高揚を利用して本格的な軍事産業の復興を成し遂げ、世界におけるプレゼンスを高めようとする動きが活発化している。

このようなロビーを代議する日本の現政権は、明確な一強多弱型、業界至上主義社会を目指している。彼らは他国・他業界との「同列共存」を望まない。限りある既得権をシェアするはずもない。よって後から追い上げて来る者を敵と位置づけ、排除しようとする。

さらに、「国益」を掲げて他国との対立を前面に押し出す政策がとられる。国民には常時、「他国の脅威」がつきまとい、十分な社会保障を得られず、仮想敵や将来不安に怯えた人生を送る。世界でも異例な、全周辺国との不仲は偶然ではない。

地球の裏側にある大国に寄り添い、外へ向けて石を投げる勢力が、100年先の世界平和を見ているはずもない。いつの日かまた、対立が紛争を呼び、傷つけ合う歴史を蘇らせかねない。協調共存を忘れ、勝ち続けることを目標とする国策は自ずと限界に達する。

大陸の新潮流に横槍を入れようとすれば、当然それは対立へと向かう。しかし支配欲にかられることなく、この潮流を平和的に取り込むことができれば、同じ利害関係に立つ協調未来が開ける。

つい150年前まで、数千年もの間、隣国らから多大な恩恵を受けてきた日本が、共に発展していく姿勢を捨てて対抗心を燃やしている現状が残念でならない。過去の忘却がもたらす行き詰まりの未来であらぬことを願うばかりである。


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