2012年7月7日

日本の支配層、国民感情を巧みに操るしたたかさ

■便利な国民感情

国民感情とは非常に便利なものである。一国の「支配層」はこれを巧みに操り、自らの権益維持に役立てている。

テレビなどでしっかりニュースを見る人も、サラッと見る人も、国民感情に問いかける報道には容易に耳を傾けてしまうものである。「中国人が日本で不動産、土地、水源地を買いあさっている」とか、「中国や韓国が日本で安価な製品を売るから日本企業が困っている」などと言った報道。これを聞けば多くの日本人は、これらの国に対する一種の反感を覚えるものである。好意的に取る日本人はまずいない。

■誰が受益者か

しかし経済学的に見れば、これは日本企業自らの利益追求によってもたらされたものであることに気付く。中国製品を売る日本側の業者は元より、それを買う消費者も、中国人に土地、水源地を売る売主も、みな中国人とのやり取りで利益を上げている。中国人が日本を買っているのではなく、日本の売主が高く買ってくれる中国人を選択しているのである。中国製品を扱う業者も、結局はそれが消費者に選ばれるのを知って扱っている。

逆に中国をはじめ、新興国の国民が日本製品を買わなければ、今頃日本の産業はどうなっていただろうか。中国人が日本での不動産投資に興味を示さなければ、日本の不動産市場は過去の時点で大きく底割れしていた可能性すらある。余程の変わり者でない限り、欧米人はファンドを通じて以外、日本で不動産市場に直接投資することなどない。この経済行動の本質を無視し、政府・メディアの言葉をストレートに受ければ批判の矛先を見誤ってしまう。日本の支配層は国民の愛国心を利用し、自らは結局ただひたすら蓄財に走るのみではないか。

これまで、日本を始めとする先進国は、資源採掘等で引き起こされる中国での甚大な環境破壊等からも目を背けてきた。これは公害物質を含む黄砂の飛来等で既に現れている通り、いずれかの時点で日本を始めとする先進国にその大きなツケが及ぶに違いない。自らが陰で積極的に手を添えている非人道的な労働形態も大問題である。先進各国は自国民に対し、「これらの諸問題は全て中国内の責任」であると、言い続けることができるだろうか

■還元されない利益

日本国民は日本企業を応援する。当然のことであるが、その日本企業は国民に一体何をしてくれるだろうか。政治家、経済学者は「回りまわって国民に利益が還元される」と説くが、果たしてそれがどれだけ効果を生んでいるだろう。つい最近まで、全てのメガバンクは課税を逃れて来た。現在の東電やJALもそれに近い状態。さらに国に資金を援助され、経営難を救済されている。国は国費使用を合法化してまで、このような企業とその経営陣らを救済している。

結局、彼らが稼いだ金は彼らの金であり、税を払わないどころか、他人である一般国民に利益を還元するわけではない。2009年の正月直前にあった「派遣切り」に留まらず、国から補助金まで持って行った日本企業のやり方を国民は忘れてはならない。その後の決算でトヨタは無税かつ、過去最高の現金・金融資産保有高を計上している。日頃は低姿勢に振る舞い、裏ではシッポリと持っていくしたたかさは、日本の拝金主義を象徴する企業だ。

■未だ途上国並みの利権構造

日本企業、特に大企業らは、利益追求のために進んで日本人雇用を絶ち、国内工場をたたむ一方で外国人雇用を増やしている。特に自動車や家電業界などは、円高が収益を圧迫すると政治・行政に圧力をかけては、国費で為替市場を操作させている。雇用を減らすと脅しては国から補助金を得ている。権益維持のため、政治家、官僚らはこれまで相当の出費を国民に課している。輸出企業らが過去最高益の更新、資産を増やし続ける一方で、国民に増税、インフラ使用料金の値上げを強いるのである。

他国をターゲットに国民感情を煽り、求心力を高めようとする行為は発展途上国、共産国、独裁政権が権益維持のためによく用いる戦略である。他のどの国おいても国民感情を煽る行為はあるが、日本のそれは先進国、民主国のレベルにない。政府、行政、メディア、各業界のトップ企業らによる長年の支配により、本来国民に還元されるべき、あるべき権益、権力が奪われ続けている。この権力・権益の固定化、富の固定化を排除し、日本は民主「主義」の範囲に留まることなく、真の「民主国」への移行を果たさなくてはならない。

国民主権の実現を、日本の民主化を。