2012年8月21日

消費税25%でも国民理解は得られる 2/4 ― 夫婦20万円の生涯保障で老後格差をなくす

■年金基金、業界の支配力、そして老後格差

会社員、自営業者、政治家、行政職員、医師、弁護士等、日本ではみな老後保障が異なっている。共産主義のような「単一性」を望みはしないが、その職業に着いたからといって、特別な老後が確立されてしまうような「格差」社会を改めなくてはならない。業界団体は、自らの業界に所属する者とその家族らを囲い込んでいる。業界の権利を守り、あわよくば利権を勝ち取ろうとする力学が働くことは自然である。医師会など政治行政に密接に関わっている団体もある。メディア業界などは影響力を通り越し「支配力」に近いものを振りかざしている。某新聞社グループのメディア王などその典型である。

これらの業界団体は私的年金をうたい、業界メンバーだけを対象にした年金基金を運用している。もちろん各業界が持つ利権、影響力をフルに活用してのことである。これは年金基金というよりはむしろ、利権を動かす基盤となっている。さらに、基金の一部をヘッジファンドに運用させている。ギャンブル性の強いデイトレード、短期売買などが日々行われている。

当然、基金は自らの業界に恩恵をもたらす企業への投資をひいきにする。これは我が国の資本主義に歪みを生じさせ、政治行政を偏った方向に動かす力にもなっている。このようなことが続く限り、悪い意味での天下り行為はなくならず、民主国としてのフェアな社会など構築されるはずもなく、経済格差、老後格差はその度合いを増すのである。よく言う縦割り行政と、業界による利権の囲込みは協業状態にあり、国内に「ブロック経済」を生み出している。富の固定化が進む現在、そのどこにも所属しない一般市民は機会平等を奪われ疲弊していくのである。

業界が自らの権利を守ろうと団結することが悪いと言っているのではない。その団結をもとに、年金運用までする必要はないということである。年金基金は日本経済を動かし得る程の巨額さである。よってその基金への加盟は、全国内人*へ平等に開かれたものでなくてはならない。誰もが利用可能な年金基金とは、市中で購入することのできるファンド形式の運用であり、政府ができることは既存年金基金の解散、代わって所得控除の対象となるファンドを積極的に認定することである。業界団体のメンバーらは、各々の自由な意思でファンドを選択すればよい。ある業界に所属するからといって、全メンバーがその業界に将来性を見出しているとも限らないのだから。

* 国内人: ここでは日本国民及び一定期間以上、日本国内に納税地を置く永住者と定義。

■夫婦20万円の生涯保障、掛金返還、そして自己運用の基本

夫婦で月20万円あれば何とか生活できる。一人10万円ずつ、夫婦で20万円の年金が保証されることで、多くの国内人は「十分ではないが、何とかなる」と感じることができるはずである。もちろんこの年金は消費税収より支払われる。夫婦20万円で足りない部分は、返還される支払済み保険料で補う。近く年金受給が始まる方々は、これまでに2540年程度掛金を納めている。この個人資産は今後、民間のファンドなどを通じ個々で運用する。国に任せ、この先いつ減額または支給自体を止められたり、それまでに支払った保険料が消えてなくなるかもしれない現行のシステムにすがって余生を送るわけにはいかない。

忘れてはならないのは、国内人はみな、自らが日本経済を動かしているコアメンバーであるということ。自らの資産運用、資産維持のため、本来もっと積極的に経済活動へ参加すべきである。投資家のような「金融取引」をする必要はないが、ウェッブサーチや、直接金融機関等へ足を運ぶだけでも、数時間でファンドによる資産運用のための有用な知識が得られる。それでもなお、経済活動へ直接的な参加を望まないのであれば、銀行預金の低利回りに甘んじた生活を覚悟すればよい。「リスクフリーで高利回り」など本来ないのである。

「お上」が世話をしてくれた時代をいつまでも懐かしんではいられない。日本が西側経済の「末っ子」だった時代は当の昔に過ぎ去っている。何でも教えてくれた欧米は、日本を肩を並べる(部分的にはそれ以上の)大人だと思っている。欧米が日本に対して脅威を抱き、それを受け入れて来たのと同様、日本も新興国に対する脅威を受け入れ、それを克服しなくてならない。それには国任せの経済ではなく、個々人が金融、経済に対する関心を抱き、知識を深め、例えわずかであっても、より直接的な国家経済への参加を意識することが重要である。