2012年8月1日

広がる尖閣領土問題 一方で極めて消極的な原発抗議報道

東アジアの美しい海域。その一つである尖閣諸島とその周辺。日中台がにらみ合い、人々が近づけない状態が長く続いている。一体、何のために。

本来であれば、戦後、誰かが何らかの形で同島を利用することで、同海域はもっと開かれたものになっていたはずである。所有者が個人使用するにしても、第三者によるリーゾート開発をするにしても、ここの美しい自然は今よりずっと価値のあるものになっていたはずである。

■日本政府は自国企業の資源開発も認めない

そもそもなぜ、日本政府は現在のような状態を保って来たのか。政府・メディアの言う、「中国は資源埋蔵を知った時から領有権を主張している」ということが事実なら、裏を返せばそれ以前の中国は、領有権を主張していなかったとの見解になる。

他国が領有権を主張せず、自国民が触れることのできない土地に、日本政府が戦後も国費を投入し続けるにはそれなりの理由がなくてはならない。国民の了解、国民への説明もなく、政府が一個人に金を流す行為は民主国において許されるものではない。さらに資源埋蔵が発見された時点で、日本の帝国石油などが採掘を嘆願したにもかかわらず、日本政府はこれを拒否し続けた経緯もある。中立な私の立場から見ても、日本政府は日中間の領有権問題を常に意識していたと考えるのが自然である。「中国は資源埋蔵を知った時から主張」と言うよりは、「資源埋蔵を知った時から、日本のメディアが中国の主張を報道開始」と言ったほうがしっくりする。

■中国の共産化と米軍の沖縄・琉球支配

中国の共産化は日米両国に多大な恩恵をもたらした。自国の影響力を広範囲に保ちたかった米国は、沖縄、極東の領海支配を継続するに十分な理由を得、日本もまた、日米安保の下、敗戦による領土整理を迫られることなく、被害国への責任も「賠償と謝罪」に留め、戦後復興を迎えることができた。欧州の様に共通の歴史認識と教科書、戦犯擁護を禁ずる法整備、さらに被害国民へのトラウマケアといった膨大な努力と時間を要する作業を省くことができた。

米国が同領域の支配を続けたのも単なる成行きからではない。仮に中国の「国共内戦」で国民党が勝利を収めていたのなら、米国と他の戦勝国らは、敵国の日本ではなく、同盟国の中国を支持していたはずである。そうなれば、今の日本地図からは尖閣は愚か、沖縄すらなくなっていた可能性も否めない。

■蜜月な米中関係、歯がゆい日本の防衛省

米軍の沖縄駐留について、日本では「対中国」をにらんだ地理的側面を強調する軍事評論家で溢れている。しかし実際には、米中関係が悪化するのは戦後数年が過ぎ、中国共産党勝利後の1950年代に入ってからのことである。日本ではあまり言われないが、米中は日本よりずっと以前から深い関係にある。

米国の台頭以前、アジアから見た西欧の代表国と言えばフランス、イギリスといった時代、西欧から見たアジアの代表国は清国である。世界中のもの、カネ、人の交流は清国中心に行われていた。米中の構図は新興国と文明国、ちょうど現在の正反対の関係に当たる。当時まだ若い米国にとって、清国との貿易が最大のビジネスチャンスであった。清国からの輸入品は米国内で高値で取引された。米国に最初に富をもたらしたのは、清国との貿易であると今も言われている。それから一世紀が過ぎ、その清国への航行の際、米国は中継地点として日本に開国を迫ったことは、日本人であれば誰もが知るところである。

日本の開国、近代化のため、米国は惜しみなく新技術を日本に供与した。しかし後にその日本との関係を悪化させたのも、日本が米国の友好国である清国の敵に回ったためである。このとき米国は清朝を支援し、日本を敵に戦うことになる。

冷戦期のわずかな期間を除き、米中の関係は良好である。両国は合同軍事演習を行うほどの仲である。日本政府が言う、または「願う」ほど、冷戦を経た今も米中関係は悪いものではない。日本の防衛省がその白書で、中国を仮想敵国とするのは、予算確保のために常時「敵の存在」を必要とする防衛省の願いが込められてのことである。逆にこの米中関係を見誤ることのほうが、日本の将来にとって危険なことである。

■東電・政府の関係、原発再稼働への抗議運動、使途が明確でない消費増税、オスプレイ・米軍沖縄駐留問題、TPP等― 権力の求心力を高め、国難を乗り切る

先の石原氏の発表。米国嫌いで知られる氏が、わざわざ米国に出向いてまで発信する念の入れようである。日本国内ではこれをネガティブに捉える向きはないが、外から見れば氏も所詮、米国頼みであることが伺える。これまでの反米姿勢はどこへいったのか。結局、氏の行動は米国への属性をアピールしたに過ぎない。パフォーマンス好きのティーンエイジャーが、町の権力者である父親の後光にあやかる姿を演じたようなもの。そこまでしなくとも、中国は日本が、米国に保護されている事実を十分承知している。

既に言われ始めている通り、石原氏や野田氏の言動は、国民の愛国心を利用した人気取りの色彩が強い。「なぜ過去の時点ではなく、今になって尖閣を?」というタイミングである。再選はないとする石原氏と、東電、原発、増税、沖縄米軍基地議論から、国民の関心を逸らしたい政府のコラボである。両者の権力への執着、影響力の保持狙いに他ならない。事実、東京が買おうが国が買おうが、中国の主張が変わる趣旨のものではない。中国にとって、日本の国有地であったほうが扱い易い可能性すらある。この先、中国が黙って手を引くわけがないことは世界中が知るところである。

■自衛隊のイラク派遣、未納三兄弟..過去にも同様のことが

政府マスコミが、連日連夜騒ぎ立てた東シナ海のガス田開発はどうなったのか。何のことない、既に中国側で6機が順調に稼働中である。このうちの一部が、海底地中内部でその資源埋蔵範囲が日本側に広がっている可能性が指摘されているが、彼らがガス田を建設し掘削を行っている海域は、「日中ともに認める中国領海内」である。政府が国民向けに「日本政府は努力しているが、中国が資料を見せてくれない」と発したのは一体何だったのか。日本も同様に日本側で調査・開発を行えばよいのである。結局それをしないのが日本政府。国民感情とはかけ離れた存在にある。

実はこの2004年当時、自衛隊のイラク派遣問題(隊員拉致を受けての撤退論議)や、年金改革に揺れる政治家の年金未納問題が連日取り沙汰されていた。あの「未納三兄弟」の年である。米国に従いたいイラク派遣と、年金未納問題を終息させたい政府は、国民の関心を奪う「特ダネ」を切望していた時である。中国の東シナ海での表立った行動は、それよりさらに数年も前、同海域での調査が始まった時に遡る。にも関わらず、不思議とその年になり突如メディアは同ガス田着工の模様を大々的に取り上げるようになった。

愛国心とは国家の支配層にとって非常に便利な道具である。仮想敵国を作って脅威を煽り、他国を非難することで国民の不満をかわす。人類史上、最もポピュラーな文民統制策である。現在、日本では、権益の象徴ともいえるエネルギー事業を根底から見直そうとのムーブメントが全国的に巻き起こっている。さらに国家破綻回避のためか、使途を明確にできない消費増税を実現させたい時でもある。沖縄問題でも何とかして国民の反対を押し切りたい時である。さらに政府行政と深い関係にある輸出企業を優遇したいTPP問題もある。このような状況下、領有権を巡る問題はうってつけである。

■「不当合意の概念」

過去に世界が認めない軍事政権が、利害関係のある国々と交わした合意、共有した認識等は、後に無効とされることは歴史上よくあることである。ましてや相手国の権力者が自国民に背を向け、自らの権力維持のために敵国と取り交わしたものであれば尚更である。日本政府は未だ、江戸時代の自国の資料に、琉球・尖閣諸島、北海道の一部が国外と記されている事実や、過去の欧州諸国の地図・資料において、尖閣諸島が島毎に、清朝とそれに属する琉球王国の統治下にあると記される事実について、自国民に正式な見解を示していない。

以前より日本政府がその領有権の根拠とするところは、「日本は現地調査を行い、清朝の支配下にないと確認の上、日本へ編入」である。これは間違いなく事実であろう。しかし同時にこれは、上の「不当合意の概念」を覆すものではない。前後のない断片的な事実を歴史から取り出したところで、恒久的な解決を見ることにはつながらない。このことの論拠となっている下関条約では、同じく台湾や朝鮮についても日本はその領有権を主張し、後に占領するに至っている。戦後、その主張がどう扱われたかは世界が知るところである。

ドイツはナチ政権が築いた権益を放棄した。しかし日本の場合、日本の民主化を急ぐ米国により権益解体に十分な時間かけず、それは大まかに分割され現在の霞が関に引き継がれている。これは今でも、日米双方に一定の「利便性」を与えている。

■尖閣領土問題の先にあるもの

北方領土、竹島を見て理解できるように、現在の日本の憲法の範囲内でできることは限られている。米中の更なる関係改善を前に、米国が日本の保護に興味を示さなくなれば、そのときは尖閣どころの騒ぎではない。歴史に見る米国にとっての日本は、中国との重要な関係に割って入った存在でもある。米国政府が債務に苦しむ現在、そして今後数年間、過去の冷戦が日本に与えてくれたような「特別待遇」をあてにすべきではない。

尖閣問題で重要なのは、日本国民が泣き寝入りせずに済む、現実的な道を模索することである。これまでのように日本人の手の届かないまま、時だけが経過していく事態は避けたい。親権問題で自分の子にならないのなら、「誰も触るな、皆で放置しろ」であってはならない。育ての親が誰であろうと、その子の幸せが第一のはずである。島々は幸せを感じなくとも、そこに皆が笑顔で近づけることが、日中台三国の国民の望むところであって欲しい。いつの時代も、一握りの支配層によって引き起こされるのが紛争の歴史である。日中台の三国民には、各国政府・支配層の思惑に引きずられることなのない、冷静かつ知的な考察力、グローバルな見地に立った一個人としての判断力が問われている

アジアの時代と言われる今世紀である。欧米式の統治権の奪い合いではなく、この問題を逆手に取ったアジア的な「柔和の象徴」を築けないものだろうか。日中台、合同で尖閣を統治、開発する道はないだろうか。それが実現すれば、世界における東アジアのプレゼンスは格段に上昇する。影響力を保持したい米国は不意を突かれ、腰を抜かして焦るだろう。そしてこう言うに違いない。「アジアは我々の理解と違った」と。中国が日本に求めるものは、日本が米国から一歩距離を置き、その一歩を中国に近づけること。これが世界から客観的に見てとれるような事象があれば、中国はメンツをかけて日本に対する譲歩を示すに違いない。これからの日中には、欧米が追随できないアジアの姿を是非お披露目頂きたいものである。