2012年5月25日

民主主義から「民衆主権」へ


世界中で言われる民主主義の機能不全。問題は民主主義そのものではなく、それが悪用可能な社会構造にあること。今の世界は「業界至上主義」。各業界にぶら下がる支持者と、そこから票または利益を得る政治家および政治団体。この構造が原動力となって国を動かしている。

周知の通り、日本の民主主義は内から始まったものではない。唯一、一部の人間によって人工的に外部から持ち込まれた体制である。この「一部」がルールを作り、資本市場を創設し、規制を敷いた。この規制は若い市場を外敵から守ると同時に、その一部の人間の権益を盤石なものとした。

後にこれは日本国各省庁が持つ権益ともなり、インフラ、メディア、各産業界トップらの権益となって今に至る。今回の東電の件においても、長年高配当で潤ってきた株主に最終的な責任を負わす以前に、増税、料金の値上げという国民負担の発想、その原点はここにある。国民は彼らの道具に過ぎないといった扱いだ。

実は「主義」は主義であり、「体制」ではない。現代英語のデモクラシー、古代ギリシャ語のデモクラティア(人民権力・民衆支配)とは異なることに気付く。仮に中国や韓国が先に民主化を果たしていたのなら、民主主義ではなく、「民衆主権」などと訳されていただろうか。

民主化の布石を敷いた明治維新、民主国への変化を求めた大正デモクラシーに続き、今、真に「民主国」になれるかが日本に問われている。隣国らの復活を前に、今は足踏みしている時間はない。あるいは、経済的な国際競争から離脱する覚悟で、地域主権、江戸時代の枠組み等で列島文化を取り戻し、日本らしい道を目指すのも一つではある。もちろんそれにも、「民衆主権」が大前提。