2012年8月23日

消費税25%でも国民理解は得られる 4/4 ― ギブ&「ゲット」

■課税対象の簡素化と税還付、そして社会保障番号

[上画像は政府サイトより]
高い消費税を課すことは、低所得者をより苦しめることになるとの重要な課題もある。そこで欧米では、以前から項目別に異なる税率を課してきた。よく言われるのが、ドイツでは、ハンバーガーを店内で食べるのとテイクアウトでは税率が異なる。外出中の消費者はドライブスルーでハンバーガーを買い、そのまま駐車場に回って車内で食べることになる。

このような窮屈さを強いられる事実は同税制の大きな欠陥であると言える。全ての消費に一律に課税すれば、当然このような矛盾は解消され、課税体系をできるだけ簡素化することで行政の関与も減らすこともできる。複雑であればあるほど行政は関与を深め、結果、国民の監視がおろそかになる。

低所得者へのサポートは支払済み消費税の還付によって行うが、これには全国内人に、現在マイナンバー制度として議論されている社会保障番号が必要となる。既に先行する韓国などでは、各商店に端末が設置され、消費者は商品購入の際に社会保障番号(住民登録番号)情報のある専用カードを使用し、還付に必要な情報のやり取りをオートメーション化している。またこれは脱税防止に欠かせない制度でもある。日本が参考にできる部分も少なくない。

■国外消費分の還付

「25%」という無視できない税率でも、外国人観光客を減らさず、彼らのみやげ消費を維持するためには、国外消費を目的とした買物への免税または減税措置が必要である。これまでのように輸出業者だけに留まらず、商店が個人に対して販売する際にも、国外使用の商品に対し免税措置が必要である。国内人であれば社会保障カードを利用し、一時滞在の訪問客であれば、国内人の社会保障カードに代わるIDカードを入国時に発行する。商品購入の際にそれを端末に通すことで、還付に必要なデータをやり取りする。空港に窓口を設け、出国の際に買物情報と商品を照合し税還付する。また別送品に関しては、認定配送業者が別送を保証する証明書を発行し対応する。これらの作業には、マイクロチップや二次元バーコードなどが便利である。

■ハードランディングは機能するか

ハードランディングとなる国家破綻、外部救済者介入によるドラスティックな構造改革を個人的には望むところである。根底からの大改革なしには、日本はその持てる能力を発揮できず、いずれまた権益に押し潰されてしまう道を辿ると考えるからである。しかし救済者による介入も完全ではない。現在の韓国を見てもそうであるように、財閥の解体など、一度はIMF介入による改革も実行されたものの、やはり中途半端な形での介入に留まっていたことが今見て取れる。日本のGHQによる介入もしかりである。新旧利権が形を変えプレーヤーを変え、結局は再構築されるのである。現在の主義、体制の下でできることは限られている証しでもある。

■ギブ・アンド・「ゲット」、とにかくやってみる

既得権は権力である。その権力を奪うことは容易ではない。彼らもそれを守るために人生をかけている。利権構造改革に挑むことは重要であるが、それには無限の努力と、気の遠くなる程の時間を必要とする。しかし現在の国の財務状況はそれを許す程の時間を持っていない。いつの日か日本国債が売られ、急激な金利上昇に見舞われればまさに一網打尽となる。これは突然やってくる。これを一時回避するための消費税率引上げ、避けては通れないところまで来ている。ならば国民は交換条件を国に突き付けることを怠ってはならない。

消費税25%と低所得者への還付。所得税とインフラ使用コストの見直し。そして一人10万、夫婦で20万円の生涯保障。医療、教育費の無料化など。皆が共に具体的な改革案を支持し、積極的に訴えかければ、国はそれらを無視できないことを知るはずである。それには国が増税をと願っている今がより効果的である。

2012年8月22日

消費税25%でも国民理解は得られる 3/4 ― 「安心」は消費の原動力


■消費税25%

生涯保障と引き換えであっても消費税25%は大きい。現在、揮発油税込で1万円のガソリン代が10,500円のところ、25%の税率では12,500円にもなってしまう。現在、酒税込5千円のワインが5,250円、消費税アップで6,250円にまで跳ね上がってしまう。しかしこれらは高収入者に対する話である。国内人の多くは支払済み消費税の還付を受けることができる。私の提案では、現在5,250円となるこのワインを、年収200万円未満の納税者は、還付により実質無税の5,000円で購入することができ、同300万円未満なら現在と同じ5,250円、同400万円未満で6,125円、500万円以上は還付なしの6,250円となる。基本的に、低収入者はいくら消費しても無税または減税の対象となるが、還付基準は収入だけに留まらず、保有資産に応じた還付を考慮すべきである。もちろん、競馬やパチンコ、宝くじ等のギャンブル消費へは、その所得に限らず税還付などあるべきではない。

一昨年(2010年)の年齢別人口動態を見ると、65歳以上の人口が29,367,152人となっている。この数を参考に全員への年金支給を計算すると、最高、年間約35兆円が必要となる。現在の給付年49兆円より安くあがる。35兆円に足る消費税率は1417%と試算される。現行の5%と合わせると20%前後の消費税率となる。導入後に受給者が増加すれば、その時点で支給額を減らすか、再び税率を上げることになる。これらを数年毎に国民的議論を交えることを法制化する。

私はこの年金を生涯保障と位置付けている。例えば年に数千万円も稼ぐ老人に対し、国が金銭的な生涯保障を与える必要はないであろう。このような富裕層は、その利益を稼ぎ出すまでに国が提供するサービス、道路等のインフラを直接的、間接的に人一倍使用しているのである。国民負担となる生涯保障は遠慮して頂き、少しでも予算(消費税率)を減らすことに貢献して頂きたい。

■高い消費税率が景気を冷やすという議論

一般的に、高い消費税率は国内消費を減少させ、景気に悪影響を及ぼすとされる。「普通」に考えればこれは事実かもしれない。しかし普通に考える必要はない。これまでにはなかった低収入者への還付もあれば、全高齢者への生涯保障もあるのである。

現在、国内人の大半を占める低収入層は、月に数千円でも節約しようと日々神経を尖らせている。無理もない、一向に増えない収入と、老後保障に不安を抱いているのだから。しかし現在の価値で10万円という年金支給が、老後に保証されるとあらば、生活に必要な買物をするのに今ほど神経を使わなくてもよいはずである。消費行動はより安定的なものとなり、人々は安心、安寧な生活を営むことができるようになる。みながこのような生活を送れるようになれば、そのカテゴリーでの消費に厚みが増し、供給側はバリュエーションを増やすことができる。生活必需品またはそれに準ずる品物が充実することは、日々の小さな豊かさを得ることにつながる。ブランド品で着飾り、高級車を乗り回す生活など、多くの人が望んでいるわけではない。それよりも住まいの住環境、日々の生活をより落ち着いた形で充実させたいのである。

日本より遥かに高い税率も、高福祉を誇る北欧では、消費が大きく落ち込んでいるわけではない。それどこか、みな高福祉であることに安心し、充実した生活を送っている。消費税わずか5%の日本の方が、余程、緊迫した消費生活を強いられている。高い消費税率だけを持ち出し、経済を冷やすだけという議論は、無責任でやる気のない行政と、一部の強欲な企業経営者らの言葉である。実際には基礎年金の引上げで、年金への企業負担は大幅に減少する。実質、企業への補助金とさえなりうる。

■「人口減少高齢化社会」が進むべき道

この消費税率引上げによって税収が増加し、年金等を支給した後に残るものについては、いくつかの欧州国同様、医療・教育に還元したい。大卒までの無料化や、健康保険料の無料化、できれば医療費全体の無料化を実現したい。

人口減少と高齢化により、これまでの構造のままでは国の収入は減る一方である。これを補うために国民的投資ファンドを設立し、日本国内はもとより、世界に向けて投資を行う。民間の投資信託のように、投資および資産状況をオンラインで日々公開する。高齢化社会においては、国民の体力に頼った労働を期待するだけでは、国民生活に必要な資金は稼ぎきれない。先進国には、グローバル社会における知恵の蓄積があるはずである。投資先の企業、不動産等に頑張ってもらい、そこから配当を得て国民を潤すことを考えるべきである。日本が資源国でない*とうたうのなら尚更である。

2012年8月21日

消費税25%でも国民理解は得られる 2/4 ― 夫婦20万円の生涯保障で老後格差をなくす

■年金基金、業界の支配力、そして老後格差

会社員、自営業者、政治家、行政職員、医師、弁護士等、日本ではみな老後保障が異なっている。共産主義のような「単一性」を望みはしないが、その職業に着いたからといって、特別な老後が確立されてしまうような「格差」社会を改めなくてはならない。業界団体は、自らの業界に所属する者とその家族らを囲い込んでいる。業界の権利を守り、あわよくば利権を勝ち取ろうとする力学が働くことは自然である。医師会など政治行政に密接に関わっている団体もある。メディア業界などは影響力を通り越し「支配力」に近いものを振りかざしている。某新聞社グループのメディア王などその典型である。

これらの業界団体は私的年金をうたい、業界メンバーだけを対象にした年金基金を運用している。もちろん各業界が持つ利権、影響力をフルに活用してのことである。これは年金基金というよりはむしろ、利権を動かす基盤となっている。さらに、基金の一部をヘッジファンドに運用させている。ギャンブル性の強いデイトレード、短期売買などが日々行われている。

当然、基金は自らの業界に恩恵をもたらす企業への投資をひいきにする。これは我が国の資本主義に歪みを生じさせ、政治行政を偏った方向に動かす力にもなっている。このようなことが続く限り、悪い意味での天下り行為はなくならず、民主国としてのフェアな社会など構築されるはずもなく、経済格差、老後格差はその度合いを増すのである。よく言う縦割り行政と、業界による利権の囲込みは協業状態にあり、国内に「ブロック経済」を生み出している。富の固定化が進む現在、そのどこにも所属しない一般市民は機会平等を奪われ疲弊していくのである。

業界が自らの権利を守ろうと団結することが悪いと言っているのではない。その団結をもとに、年金運用までする必要はないということである。年金基金は日本経済を動かし得る程の巨額さである。よってその基金への加盟は、全国内人*へ平等に開かれたものでなくてはならない。誰もが利用可能な年金基金とは、市中で購入することのできるファンド形式の運用であり、政府ができることは既存年金基金の解散、代わって所得控除の対象となるファンドを積極的に認定することである。業界団体のメンバーらは、各々の自由な意思でファンドを選択すればよい。ある業界に所属するからといって、全メンバーがその業界に将来性を見出しているとも限らないのだから。

* 国内人: ここでは日本国民及び一定期間以上、日本国内に納税地を置く永住者と定義。

■夫婦20万円の生涯保障、掛金返還、そして自己運用の基本

夫婦で月20万円あれば何とか生活できる。一人10万円ずつ、夫婦で20万円の年金が保証されることで、多くの国内人は「十分ではないが、何とかなる」と感じることができるはずである。もちろんこの年金は消費税収より支払われる。夫婦20万円で足りない部分は、返還される支払済み保険料で補う。近く年金受給が始まる方々は、これまでに2540年程度掛金を納めている。この個人資産は今後、民間のファンドなどを通じ個々で運用する。国に任せ、この先いつ減額または支給自体を止められたり、それまでに支払った保険料が消えてなくなるかもしれない現行のシステムにすがって余生を送るわけにはいかない。

忘れてはならないのは、国内人はみな、自らが日本経済を動かしているコアメンバーであるということ。自らの資産運用、資産維持のため、本来もっと積極的に経済活動へ参加すべきである。投資家のような「金融取引」をする必要はないが、ウェッブサーチや、直接金融機関等へ足を運ぶだけでも、数時間でファンドによる資産運用のための有用な知識が得られる。それでもなお、経済活動へ直接的な参加を望まないのであれば、銀行預金の低利回りに甘んじた生活を覚悟すればよい。「リスクフリーで高利回り」など本来ないのである。

「お上」が世話をしてくれた時代をいつまでも懐かしんではいられない。日本が西側経済の「末っ子」だった時代は当の昔に過ぎ去っている。何でも教えてくれた欧米は、日本を肩を並べる(部分的にはそれ以上の)大人だと思っている。欧米が日本に対して脅威を抱き、それを受け入れて来たのと同様、日本も新興国に対する脅威を受け入れ、それを克服しなくてならない。それには国任せの経済ではなく、個々人が金融、経済に対する関心を抱き、知識を深め、例えわずかであっても、より直接的な国家経済への参加を意識することが重要である。

【ブログ版】 消費税25%でも国民理解は得られる 1/4 Introduction

■税は簡素に、複雑な税構造は行政の介入を招きやすい

税とは本来簡素でなくてはならない。複雑になればなるほど国民理解が得られにくい。個人的には全ての税を「消費税への一本化と、低所得者への還付」で完結すると考えているが、その実現には、それこそ日本の全既得権と戦う覚悟が必要である。国民がコントロールすることのできない権益、目的税、特別会計枠などは非常に厄介な存在である。

日本の通信・水道光熱費は他国に比べて非常に高い。国民生活の基盤となるインフラ使用料が高額なことは大きな問題である。長年、国と蜜月な関係にあるインフラ業界は、新興国にも勝る排他的な規制で守られている。利益率の高いビジネスモデルを維持するため、消費者に高い負担を求めている。そして同時に、これらの企業は膨大な借金も抱えている。「寡占的事業」が、膨大な社債発行を許し、慢性的な浪費体質に陥っている。使用料を下げようにも、今からでは手のつけようのない状態に陥っている。日本は低所得層への課税が緩いと言われるが、高額なインフラ使用料を前に、国は高い税率を低所得者に課すことができないのが実情である。

■業界トップ企業、表向きは社会貢献、裏では強力な政治介入

国はなおも企業業績を第一に考えている。「国が企業を育て、企業が国民生活を豊かにする」と、高度成長期の構図から抜け出せないでいる。この先も莫大な予算を使い、企業への優遇策を整備し続け、業績向上、税収増を望むのだろうか。しかし思惑どおりに事が運んだとしたとしても、それが実るまでにどれだけの年月を要するだろうか。仮に企業業績が上がったとして、それが社員、社会に還元されるのはさらに何年先になるだろうか。そもそも、日本人雇用を減らす一方で外国人雇用を増やす企業が急増する中、業績向上による還元が、どれだけ日本国内に循環するだろうか。そして企業は生産拠点の国外移転を止めるだろうか。

「国家一丸となって他国に打ち勝とう」を推進する時代はとうの昔に過ぎ去っている。本来であれば、日本も各地方政府が地域主権を持つ時代にあるはずである。住民が目の届く地域政府が、よく知る地域の特色を活かした政策、経済活動を個々に推進する時代にある。東京に本社を持った企業だけが世界で認められているわけではない。地方にも世界で活躍する優秀な企業、事業主が数多く存在する。地方へ権限委譲し、技術・金融立国であるスイスのような国(または州)を複数持てばいい。最終的に消費税は、地方自らが税率を考え、消費者を誘致して得ることのできる「地方の財源」でなくてはならない。

しかし霞ヶ関が持つ権限の委譲、地方主権の確立を待っていては、現在政府が拙速に押し進める消費増税に間に合わない。さらに、これらの改革を実行するに必要な時間と体力が、我々には残されているだろうか。ギリシャのように国民に知らされていない部分で、国は待ったなしの極限状態にまで来ている可能性もある。毎年、借金で借金を返す現在の国の財務状況も、ついには増税で借金を返さなくてはならないところまで来ているのではないか。

そこで当面の時間稼ぎ、経済破綻を避けるため議論されるのが消費税率の引上げ議論である。実際にどこまで急を要するのか、そもそも本当に引上げが必要なのかと言いたくなるが、これまでがそうであったように、国は引き上げるときは何が何でも引き上げる。ここではそれをどう阻止するかではなく、結局引き上げられるのなら、国民は何を引換えに勝ち取るべきかを考えたい。

■とにかく避けるべきは国民泣き寝入りの増税

一番避けなくてならないのは、国民が政府、行政、メディアのいいなりになり、なし崩しで増税を受け入れる羽目になること。年金等の生涯保障が明確にならないまま、増税だけが行われるようなことが決してあってはならない。これは国民に得るものがないだけでなく、経済の悪化、富の固定化が進行し、落ちるところまで落ちての国家破綻となりなねない。このとき高級官僚、インフラ企業役員を含む富裕層の資産は海外にあり、彼らは痛みを被るどころか、日本の没落によって相対的な資産価値を膨らませることになる。そして日本が落ちるところまで落ちて再び買い占めるのである。彼らは後の日本復活によって膨大な利益を得ることとなり、国への影響力、支配力を新たに強化してゆくのである。

この支配層ともいえる現在の既得権者が、ほぼリスクフリーで(法整備の遅れを突いて、いや、法整備を遅らせて)、富や機会の平等を国民から奪う国家構造であってはならない。今回の増税で泣き寝入りは禁物である。来る時に備える意味においても、国民は増税と引き換えに必ずや最低限の安心を勝ち取らなくてならない。

2012年8月16日

周辺国との不仲、過去の忘却がもたらす行き詰まりの未来

■過去の暴発― 西と東で異なるその後 「心のケア、トラウマ治療」

今年5月末から6月上旬にかけ、ドイツのサッカー代表チームのメンバーが欧州選手権開催を前に、共催国ポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所を訪問している。メンバーの一人は、「我々の世代に直接責任があるとは思わないが、」と述べた上で、「ドイツがポーランドに行った残虐な行為を今もドイツ国民は忘れていないことを世界に示したい」と述べている。

戦後整理の中で、何よりも繊細で難しいのが、被害国に対する「心のケア」である。これは国家間に限らず、人間関係においても、謝意表明、やり直しに欠かせない重要なプロセスである。ドイツ国民は義務教育で過去について学び、周辺被害諸国への心のケアに尽力し、関係再構築に重点をおいてきた。

2012年8月1日

広がる尖閣領土問題 一方で極めて消極的な原発抗議報道

東アジアの美しい海域。その一つである尖閣諸島とその周辺。日中台がにらみ合い、人々が近づけない状態が長く続いている。一体、何のために。

本来であれば、戦後、誰かが何らかの形で同島を利用することで、同海域はもっと開かれたものになっていたはずである。所有者が個人使用するにしても、第三者によるリーゾート開発をするにしても、ここの美しい自然は今よりずっと価値のあるものになっていたはずである。

■日本政府は自国企業の資源開発も認めない

そもそもなぜ、日本政府は現在のような状態を保って来たのか。政府・メディアの言う、「中国は資源埋蔵を知った時から領有権を主張している」ということが事実なら、裏を返せばそれ以前の中国は、領有権を主張していなかったとの見解になる。

他国が領有権を主張せず、自国民が触れることのできない土地に、日本政府が戦後も国費を投入し続けるにはそれなりの理由がなくてはならない。国民の了解、国民への説明もなく、政府が一個人に金を流す行為は民主国において許されるものではない。さらに資源埋蔵が発見された時点で、日本の帝国石油などが採掘を嘆願したにもかかわらず、日本政府はこれを拒否し続けた経緯もある。中立な私の立場から見ても、日本政府は日中間の領有権問題を常に意識していたと考えるのが自然である。「中国は資源埋蔵を知った時から主張」と言うよりは、「資源埋蔵を知った時から、日本のメディアが中国の主張を報道開始」と言ったほうがしっくりする。

■中国の共産化と米軍の沖縄・琉球支配

中国の共産化は日米両国に多大な恩恵をもたらした。自国の影響力を広範囲に保ちたかった米国は、沖縄、極東の領海支配を継続するに十分な理由を得、日本もまた、日米安保の下、敗戦による領土整理を迫られることなく、被害国への責任も「賠償と謝罪」に留め、戦後復興を迎えることができた。欧州の様に共通の歴史認識と教科書、戦犯擁護を禁ずる法整備、さらに被害国民へのトラウマケアといった膨大な努力と時間を要する作業を省くことができた。

米国が同領域の支配を続けたのも単なる成行きからではない。仮に中国の「国共内戦」で国民党が勝利を収めていたのなら、米国と他の戦勝国らは、敵国の日本ではなく、同盟国の中国を支持していたはずである。そうなれば、今の日本地図からは尖閣は愚か、沖縄すらなくなっていた可能性も否めない。

■蜜月な米中関係、歯がゆい日本の防衛省

米軍の沖縄駐留について、日本では「対中国」をにらんだ地理的側面を強調する軍事評論家で溢れている。しかし実際には、米中関係が悪化するのは戦後数年が過ぎ、中国共産党勝利後の1950年代に入ってからのことである。日本ではあまり言われないが、米中は日本よりずっと以前から深い関係にある。

米国の台頭以前、アジアから見た西欧の代表国と言えばフランス、イギリスといった時代、西欧から見たアジアの代表国は清国である。世界中のもの、カネ、人の交流は清国中心に行われていた。米中の構図は新興国と文明国、ちょうど現在の正反対の関係に当たる。当時まだ若い米国にとって、清国との貿易が最大のビジネスチャンスであった。清国からの輸入品は米国内で高値で取引された。米国に最初に富をもたらしたのは、清国との貿易であると今も言われている。それから一世紀が過ぎ、その清国への航行の際、米国は中継地点として日本に開国を迫ったことは、日本人であれば誰もが知るところである。

日本の開国、近代化のため、米国は惜しみなく新技術を日本に供与した。しかし後にその日本との関係を悪化させたのも、日本が米国の友好国である清国の敵に回ったためである。このとき米国は清朝を支援し、日本を敵に戦うことになる。

冷戦期のわずかな期間を除き、米中の関係は良好である。両国は合同軍事演習を行うほどの仲である。日本政府が言う、または「願う」ほど、冷戦を経た今も米中関係は悪いものではない。日本の防衛省がその白書で、中国を仮想敵国とするのは、予算確保のために常時「敵の存在」を必要とする防衛省の願いが込められてのことである。逆にこの米中関係を見誤ることのほうが、日本の将来にとって危険なことである。

■東電・政府の関係、原発再稼働への抗議運動、使途が明確でない消費増税、オスプレイ・米軍沖縄駐留問題、TPP等― 権力の求心力を高め、国難を乗り切る

先の石原氏の発表。米国嫌いで知られる氏が、わざわざ米国に出向いてまで発信する念の入れようである。日本国内ではこれをネガティブに捉える向きはないが、外から見れば氏も所詮、米国頼みであることが伺える。これまでの反米姿勢はどこへいったのか。結局、氏の行動は米国への属性をアピールしたに過ぎない。パフォーマンス好きのティーンエイジャーが、町の権力者である父親の後光にあやかる姿を演じたようなもの。そこまでしなくとも、中国は日本が、米国に保護されている事実を十分承知している。

既に言われ始めている通り、石原氏や野田氏の言動は、国民の愛国心を利用した人気取りの色彩が強い。「なぜ過去の時点ではなく、今になって尖閣を?」というタイミングである。再選はないとする石原氏と、東電、原発、増税、沖縄米軍基地議論から、国民の関心を逸らしたい政府のコラボである。両者の権力への執着、影響力の保持狙いに他ならない。事実、東京が買おうが国が買おうが、中国の主張が変わる趣旨のものではない。中国にとって、日本の国有地であったほうが扱い易い可能性すらある。この先、中国が黙って手を引くわけがないことは世界中が知るところである。

■自衛隊のイラク派遣、未納三兄弟..過去にも同様のことが

政府マスコミが、連日連夜騒ぎ立てた東シナ海のガス田開発はどうなったのか。何のことない、既に中国側で6機が順調に稼働中である。このうちの一部が、海底地中内部でその資源埋蔵範囲が日本側に広がっている可能性が指摘されているが、彼らがガス田を建設し掘削を行っている海域は、「日中ともに認める中国領海内」である。政府が国民向けに「日本政府は努力しているが、中国が資料を見せてくれない」と発したのは一体何だったのか。日本も同様に日本側で調査・開発を行えばよいのである。結局それをしないのが日本政府。国民感情とはかけ離れた存在にある。

実はこの2004年当時、自衛隊のイラク派遣問題(隊員拉致を受けての撤退論議)や、年金改革に揺れる政治家の年金未納問題が連日取り沙汰されていた。あの「未納三兄弟」の年である。米国に従いたいイラク派遣と、年金未納問題を終息させたい政府は、国民の関心を奪う「特ダネ」を切望していた時である。中国の東シナ海での表立った行動は、それよりさらに数年も前、同海域での調査が始まった時に遡る。にも関わらず、不思議とその年になり突如メディアは同ガス田着工の模様を大々的に取り上げるようになった。

愛国心とは国家の支配層にとって非常に便利な道具である。仮想敵国を作って脅威を煽り、他国を非難することで国民の不満をかわす。人類史上、最もポピュラーな文民統制策である。現在、日本では、権益の象徴ともいえるエネルギー事業を根底から見直そうとのムーブメントが全国的に巻き起こっている。さらに国家破綻回避のためか、使途を明確にできない消費増税を実現させたい時でもある。沖縄問題でも何とかして国民の反対を押し切りたい時である。さらに政府行政と深い関係にある輸出企業を優遇したいTPP問題もある。このような状況下、領有権を巡る問題はうってつけである。

■「不当合意の概念」

過去に世界が認めない軍事政権が、利害関係のある国々と交わした合意、共有した認識等は、後に無効とされることは歴史上よくあることである。ましてや相手国の権力者が自国民に背を向け、自らの権力維持のために敵国と取り交わしたものであれば尚更である。日本政府は未だ、江戸時代の自国の資料に、琉球・尖閣諸島、北海道の一部が国外と記されている事実や、過去の欧州諸国の地図・資料において、尖閣諸島が島毎に、清朝とそれに属する琉球王国の統治下にあると記される事実について、自国民に正式な見解を示していない。

以前より日本政府がその領有権の根拠とするところは、「日本は現地調査を行い、清朝の支配下にないと確認の上、日本へ編入」である。これは間違いなく事実であろう。しかし同時にこれは、上の「不当合意の概念」を覆すものではない。前後のない断片的な事実を歴史から取り出したところで、恒久的な解決を見ることにはつながらない。このことの論拠となっている下関条約では、同じく台湾や朝鮮についても日本はその領有権を主張し、後に占領するに至っている。戦後、その主張がどう扱われたかは世界が知るところである。

ドイツはナチ政権が築いた権益を放棄した。しかし日本の場合、日本の民主化を急ぐ米国により権益解体に十分な時間かけず、それは大まかに分割され現在の霞が関に引き継がれている。これは今でも、日米双方に一定の「利便性」を与えている。

■尖閣領土問題の先にあるもの

北方領土、竹島を見て理解できるように、現在の日本の憲法の範囲内でできることは限られている。米中の更なる関係改善を前に、米国が日本の保護に興味を示さなくなれば、そのときは尖閣どころの騒ぎではない。歴史に見る米国にとっての日本は、中国との重要な関係に割って入った存在でもある。米国政府が債務に苦しむ現在、そして今後数年間、過去の冷戦が日本に与えてくれたような「特別待遇」をあてにすべきではない。

尖閣問題で重要なのは、日本国民が泣き寝入りせずに済む、現実的な道を模索することである。これまでのように日本人の手の届かないまま、時だけが経過していく事態は避けたい。親権問題で自分の子にならないのなら、「誰も触るな、皆で放置しろ」であってはならない。育ての親が誰であろうと、その子の幸せが第一のはずである。島々は幸せを感じなくとも、そこに皆が笑顔で近づけることが、日中台三国の国民の望むところであって欲しい。いつの時代も、一握りの支配層によって引き起こされるのが紛争の歴史である。日中台の三国民には、各国政府・支配層の思惑に引きずられることなのない、冷静かつ知的な考察力、グローバルな見地に立った一個人としての判断力が問われている

アジアの時代と言われる今世紀である。欧米式の統治権の奪い合いではなく、この問題を逆手に取ったアジア的な「柔和の象徴」を築けないものだろうか。日中台、合同で尖閣を統治、開発する道はないだろうか。それが実現すれば、世界における東アジアのプレゼンスは格段に上昇する。影響力を保持したい米国は不意を突かれ、腰を抜かして焦るだろう。そしてこう言うに違いない。「アジアは我々の理解と違った」と。中国が日本に求めるものは、日本が米国から一歩距離を置き、その一歩を中国に近づけること。これが世界から客観的に見てとれるような事象があれば、中国はメンツをかけて日本に対する譲歩を示すに違いない。これからの日中には、欧米が追随できないアジアの姿を是非お披露目頂きたいものである。