2012年5月27日

そう遠くない、ドル円200円の時代



24日のWSJ日本版の記事で、『円高は世界でどの国が最もましかを競った結果』とある。まさにその通り。他の先進国がつまづき、それらの通貨が売られている。大きな変化が起こっていない日本の円が相対的に買われることになる。しかし忘れてはならないのはそれ以前の状態である。

金融危機が起こったのは2008年秋。その発端、米国不動産バブルがはじけたのが2007年の夏である。その時点でのドル円は120円台。現在のレートから5割安かった。円は隣国の韓国ウォンと比較しても現在より5割以上も安かった。この先も日本の政治混迷が続き、その間に諸外国が復活を遂げれば、それらの国の通貨は買い戻され、円は再びその価値を失う。

「円安は経済に良い」とする経済学者は少なくない。しかしそれはあまりいいことではないと私は思う。輸出企業とそこにぶら下がる企業だけを優遇することで対外ビジネスは活性化するが、日本文化、伝統にちなんだビジネスは、相対的にその経済的価値を減少させる可能性がある。場合によっては文化的価値すら失われるかもしれない。

日本の就労人口の多くが年収200万円台という状況にあっては、極端な円安時代が来れば年収2万ドル以下、レートによっては1万ドル以下も十分あり得る。一人当たりの所得が、隣国で後発の韓国より低い水準に陥ることになる。日本国民は海外旅行に現在の数倍もの代金を支払わなくてはならない。人々はさらに内向きになり、世界観を失う。そうなれば、輸出企業も世界ニーズに応えることのできる製品作りができなくなる。

中国やインドはいずれ完全復活を遂げる。数千年もの間、世界をまたにかけてビジネスを行ってきた彼らが、過去の栄光を取り戻せばビジネスはより強固なものとなる。韓国企業もそれに追随する。円安で日本が中国や韓国企業の「下請け工場」となることはあっても、その逆はなくなるかもしれない。ソニーの長期低迷、一時的とは言えパナソニックの没落は、既にそれが始まっている予兆。結局は輸出産業も衰退してしまうという悪循環が、円安楽観シナリオの裏にあるのだと思う。

同じ日、同ニュースサイトに『米国で日本の評価が上昇』という記事があった。内容を大雑把に言えば、「日本と中国どちらが好きか」を米国市民に尋ねるものらしい。日本政府がわざわざ国費を投じて行うらしいが、そんなことに税を使うほど日本人にとっては重要な調査なのだろうか。そんなことは各人、各企業が円高を武器に海外を渡り歩き、直接肌で感じてみてはどうか。最終的に「関係」とは、同調査の結果にかかわらず、個々のレベルにおいてどうにでも変わってくるものである。米国人を前に中国に対抗心を抱き、それを政府が国費を投じて調査するほどのことではないと思う。米国人に中国より日本を選んでもうことを考えるぐらいなら、中国人に日本か米国かを選ばせるぐらいの姿勢でいてもらいたいものである。

下記リンクは、各国民一人当りの所得ランキング2011年。「円高」の恩恵で日本は19位にランクイン。金融危機前の為替水準でみれば、日本は韓国にも遠く及ばず30位以下。米国不動産バブル崩壊(20077月)時点および、当時の為替に置き換えた場合(同サイトの表は過去のデータも現在レートで再計算)、韓国人一人当たりの所得、約32,600ドルに対し、日本人は約22,400ドルでしかない。政府・メディアは、このような事実をあまり伝えようとしない。

関連ページ:The World Bank(ページ内、最右欄2011年参照 *全年データは現在の為替レートを基準に再計算されたもの)