2012年7月28日

躍進続く韓国 「円高悪」は日本企業の言い訳

近年、日本企業との比較に何かと取り上げられることの多い隣国の韓国企業。2008年頃からの急激な円高以降、政府やマスコミは、ウォン安にして韓国勢に水をあけられているとこぼすようになった。これはあまりいい比較にはならないと私は思っている。それどころか、少し行き過ぎの感が否めない。

■小国韓国と大国日本

データ面で見れば、韓国の面積は日本の約4分の1、人口約3分の1GDP3分の1以下の小国である。面積、人口ともに、タイよりもはるかに小さい。さらに日本の統治時代、自由な国土開発を禁じられ、大学はその機能を奪われた国である。つい最近まで、この大学教育を禁じられた「学問空白世代」が社会のコア世代であった後発国である。確かに優秀であるとは言え、これだけのハンディを背負った国と自らを比較することに、一体どのような意味があるというのか。

日本の成長期、欧米を見て我が身を振り返る日本は、反省盛りだくさんのとても謙虚な国家であった。しかしいつの日からか、後発国、特に韓国、中国への対抗心を募らせ、これらの国に向けた過度な自慢がはびこっている。日本は「下」しか見ない、下としか比較したがらない国家になり下がっている感がある。アジアトップのプライドはどこへ行ったのか。

■グローバル時代、重要なのは正しい世界観

半世紀以上前に欧米で流行った子育て法がある。「褒めて自信を持たす」である。日本でも20年ぐらい前から流行り始めただろうか。しかし欧米では、日本での導入以前からその弊害が言われ始めている。過度に褒められて育った子供はどのような大人になるか。謙虚さを失い、内弁慶的になり、自己の優位性を感じられる環境ばかりを求めるようになる。

最近の政府、メディアの情報発信には偏りが強くなっている。「自国民・自国企業ヨイショ」も程々にすべきである。そればかりを聞かされて育った世代は、正しい世界観を養う事ができない。いつまでも「『日本の常識は世界の非常識』、それで構わない」ではダメである。これではグローバル時代における日本の地位低下が一層進むことにもなりかねない。

2012年7月27日

過去を引きずる「業界至上主義・業界資本主義」



■業界の道具

1%」が残りの99%を超える富を所有するとされる日米型の資本主義。その中でも「支配層」と呼ばれる層は政治への影響力も大きく、両国では民主性の低下が進行している。


有権者は、自らが所属する企業、業界、地域、宗教グループに繁栄をもたらす政治家を支持し、政治家もまた、票が得られやすいグループ、業界に寄り添う。国民も政治も、みなが業界の道具となっている。誇り高き国家創造を夢みる政治家がいなくなってしまった。「業界」の上に構築される資本主義がもたらすものは、業界による覇権争奪であり、拝金思想が席巻する社会である。世界中でのこのような傾向が見られるが、日米、取り分け日本のそれは異質である。先進民主国では到底許されない寡占事業が、事業主の思うがままに合法化されている。

■過去の忘却に立つ「業界至上主義・業界資本主義」

戦後、日本の民主化を急いだ米国は、旧日本軍の権益解体で非常に激しい抵抗に遭い、これを省略するに至ったとされている。これは形を変えて霞が関へ割譲され、非民主的な権益構造のまま戦後発展を迎えた。政官と関係の深いメンバー(業界または企業ら)でこの権益を独占するに至っている。エネルギー、通信、鉄道、航空等のインフラン事業は元より、酒、タバコ、塩事業をも独占、権益を張り巡らせてきた。鉄道事業主に至っては、沿線都市から住民の人生まで、丸ごと「所有」するかのような多大な影響力を持つに至っている。あらゆる機会を利用して国費を投じ、天下り権益を囲い、一部のメンバーばかりが潤っている。

米国保護の下、日本は自前の思考と技量による戦後整理を省略するに至った。米国の手厚い保護は、日本にとってある意味「ラッキー」であったかも知れないが、同時に、しかるべき形での「整理と自前の国造り」を省いたツケが、先進国としては異例なほど「不仲な隣国関係」を招いている。欧州ドイツとは対照的である。戦後ドイツは自らの脚で立つために、まずは被害国に対する「心のケア」を最重要課題として取り組んできた。70年が経過する今もその姿勢は変えていない。日本の被害国に対するトラウマケアの省略は、過去から未来への大きな「重荷」となっている。それは一般社会における事件や事故等で、被害者が負った心的障害への対応、それを軽視した場合のツケと同じである。近年の日本社会においてもこの「心の傷のケア、その重要性が言われないわけではない。

さらに不幸なことに、この米国保護下の戦後整理は、「帝国時代への決別、日本は変われる、過去を葬り去れ」との思いを強調するがあまり、それまでの日本の誇り、名誉、栄光という価値観をも奪っていった。結果、伝統と誇りを失った日本人は、先進経済がもたらす物資的な豊かさに強く魅了されるようになり、欧米経済に身を寄せ、心身共に彼らに取り込まれていった。過去の忘却に立った「業界資本主義」の始まりである。

■うまみの多い事業を寡占化

業界資本主義の象徴は、うまみの多い事業から利益・権益の独占が始まる。水道、電力、ガス、エネルギー等のライフライン事業を、国と極一部のメンバーによって独占、続いて港湾、空港、鉄道、道路、通信、放送、銀行事業等を寡占化する。国と業界で超排他的規制を策定し、途上国並みまたはそれ以上の規制によって競争を排除する。これが日本流資本主義となる。ODAをうたう途上国での事業も、現地政管と日本企業が日本流の権益を敷き、本来現地国民が得るべき富を奪っている。貧困がなくならない所以でもある。

■見えない未来、抱けない希望

先進国と後発国、西欧と東洋、その間を彷徨う日本。業界・行政による支配、翻弄する政治、整理が進まない過去など、日本はこの先どこへ向かうのか見えない。富と権力の固定化の進行に伴い、このままでは「99%」が一層疲弊してゆくことだけは確かである。「主義」としての民主化に留まることなく、真の民主国への移行、その改革を惜しむ余裕は今の日本にない。ベビーブーマ世代が築いた新興国に対する「リード」、それを次世代へと継承することが困難になり始めている。

関連ページ: 維新ニッポン!


2012年7月7日

日本の支配層、国民感情を巧みに操るしたたかさ

■便利な国民感情

国民感情とは非常に便利なものである。一国の「支配層」はこれを巧みに操り、自らの権益維持に役立てている。

テレビなどでしっかりニュースを見る人も、サラッと見る人も、国民感情に問いかける報道には容易に耳を傾けてしまうものである。「中国人が日本で不動産、土地、水源地を買いあさっている」とか、「中国や韓国が日本で安価な製品を売るから日本企業が困っている」などと言った報道。これを聞けば多くの日本人は、これらの国に対する一種の反感を覚えるものである。好意的に取る日本人はまずいない。

■誰が受益者か

しかし経済学的に見れば、これは日本企業自らの利益追求によってもたらされたものであることに気付く。中国製品を売る日本側の業者は元より、それを買う消費者も、中国人に土地、水源地を売る売主も、みな中国人とのやり取りで利益を上げている。中国人が日本を買っているのではなく、日本の売主が高く買ってくれる中国人を選択しているのである。中国製品を扱う業者も、結局はそれが消費者に選ばれるのを知って扱っている。

逆に中国をはじめ、新興国の国民が日本製品を買わなければ、今頃日本の産業はどうなっていただろうか。中国人が日本での不動産投資に興味を示さなければ、日本の不動産市場は過去の時点で大きく底割れしていた可能性すらある。余程の変わり者でない限り、欧米人はファンドを通じて以外、日本で不動産市場に直接投資することなどない。この経済行動の本質を無視し、政府・メディアの言葉をストレートに受ければ批判の矛先を見誤ってしまう。日本の支配層は国民の愛国心を利用し、自らは結局ただひたすら蓄財に走るのみではないか。

これまで、日本を始めとする先進国は、資源採掘等で引き起こされる中国での甚大な環境破壊等からも目を背けてきた。これは公害物質を含む黄砂の飛来等で既に現れている通り、いずれかの時点で日本を始めとする先進国にその大きなツケが及ぶに違いない。自らが陰で積極的に手を添えている非人道的な労働形態も大問題である。先進各国は自国民に対し、「これらの諸問題は全て中国内の責任」であると、言い続けることができるだろうか

■還元されない利益

日本国民は日本企業を応援する。当然のことであるが、その日本企業は国民に一体何をしてくれるだろうか。政治家、経済学者は「回りまわって国民に利益が還元される」と説くが、果たしてそれがどれだけ効果を生んでいるだろう。つい最近まで、全てのメガバンクは課税を逃れて来た。現在の東電やJALもそれに近い状態。さらに国に資金を援助され、経営難を救済されている。国は国費使用を合法化してまで、このような企業とその経営陣らを救済している。

結局、彼らが稼いだ金は彼らの金であり、税を払わないどころか、他人である一般国民に利益を還元するわけではない。2009年の正月直前にあった「派遣切り」に留まらず、国から補助金まで持って行った日本企業のやり方を国民は忘れてはならない。その後の決算でトヨタは無税かつ、過去最高の現金・金融資産保有高を計上している。日頃は低姿勢に振る舞い、裏ではシッポリと持っていくしたたかさは、日本の拝金主義を象徴する企業だ。

■未だ途上国並みの利権構造

日本企業、特に大企業らは、利益追求のために進んで日本人雇用を絶ち、国内工場をたたむ一方で外国人雇用を増やしている。特に自動車や家電業界などは、円高が収益を圧迫すると政治・行政に圧力をかけては、国費で為替市場を操作させている。雇用を減らすと脅しては国から補助金を得ている。権益維持のため、政治家、官僚らはこれまで相当の出費を国民に課している。輸出企業らが過去最高益の更新、資産を増やし続ける一方で、国民に増税、インフラ使用料金の値上げを強いるのである。

他国をターゲットに国民感情を煽り、求心力を高めようとする行為は発展途上国、共産国、独裁政権が権益維持のためによく用いる戦略である。他のどの国おいても国民感情を煽る行為はあるが、日本のそれは先進国、民主国のレベルにない。政府、行政、メディア、各業界のトップ企業らによる長年の支配により、本来国民に還元されるべき、あるべき権益、権力が奪われ続けている。この権力・権益の固定化、富の固定化を排除し、日本は民主「主義」の範囲に留まることなく、真の「民主国」への移行を果たさなくてはならない。

国民主権の実現を、日本の民主化を。