2010年8月22日

国際競争で勝ち抜くのか、拡大路線からの大転換か ―「人口減」に身を任せる国造り 

<問われる日本人の世界観>  

日本の政治面での問題点を見つめれば、その根源は政治家の実力にあり、ひいては国外に目を向けず長く地元優先主義で来た日本国民の政治的選択基準(選択能力)に行き着く。日本の経済面での問題点を見つめると、多くの場合、「グローバリゼーションに乗り遅れている」といことで説明が付く。様々な理由はあるにせよ、事の本質は上のどちらの面においても日本人の「世界観」が問われている。

日本国政府が国民の海外旅行を認めたのがわずか46年前。日本人の「世界観」を庶民レベルで考えるとせいぜい2030年程の蓄積である。一世代でしかない。それゆえここに来てある種の「拒絶反応」が現れているのかもしれない。

実はつい最近まで、「将来的に日本の国際化が後退することはあり得ない」と考えていた。しかしながら、これまでの政治の混迷や指導力の欠如、国家構造面での複雑な利害関係、人口減少等々を改めて考えると、やはりこれらの改善には膨大な時間を要することに気付く。加速するグローバリゼーションの中にあっては、日本は存在感を増すことは愚か、ついてゆくことすらできない環境にあると言える。

これまでの大企業優先型の成長路線は、永遠なる国際化への道を意味している。GDPの拡大を目指し、未来永劫、国家・国民が苦手とする国際化路線を推し進めなくてはならない。また「成長路線と終わらない国際化」では、新興国との競争は避けて通れない。これまで数世紀もの間、世界をまたにかけてビジネスを営んで来た中国やインドに、世界デビューわずか150年の日本が、今後とも戦いを挑み勝ち抜く施策を今の政府が持っているとは到底思えない。

<得意なことをして楽しむ>  

そこでこの路線とは全く逆の発想で考えてみる。「人口減」に身を任せる国造りを。国家のダウンサイジングが言われる日本にとって、成長路線を諦めることが「心地よい未来像」につながるのかもしれない。考え方によっては国際競争での敗北宣言とも取られてしまうが、本来国家・国民の幸せを他国との競争で測るべきではない。

江戸時代の日本社会はほぼ完全な自給自足型を完成させていたとよく耳にする。欠けていたのは外界との自由な交流と民主性。ある程度の民主性を有していたとも聞くが、身分制度があったことを考えると現在のものとは比較が困難。

鎖国の復活とまでは言わずとも、江戸時代型社会と民主化の「コラボ」で、ある程度国内で完結する自給自足かつ循環型の社会を世界に先駆け再構築する。道州制をもとに地方主権を整備し、各地が日本らしさと伝統を中心にした政策に切り替える。特色ある地場産業に主眼を置き、地域性の復活を政策の中心とする。失いかけている伝統的な熟練工の技術を政府レベルで見直し、国家資格としてのマイスター制度を本格導入する。

観光・技術立国になることを目指し、外国人が大好きな江戸時代までの日本を復元。例えば、1. 各地にこれまでの城と城下町を復元(できれば当時の技術を用いる)。2. 欧州のマイスター制度を導入しマイスターとして宮大工等を養成。3. 城、城下町をハイテク技術研究所、歴史研究所、マイスタースクールの拠点とする。4. 一部、役所として使用したり、富裕層へ住宅などとして高額で売却し財源の一部へ。

海外の大型優良企業が欲する技術も多くあるはずで、各地での技術面での世界ブランド化を目指す。Made in Japanならぬ、「Skills from Japan」や「High-Tech by Japan」である。また日本各地は観光資源に恵まれている。これらを最大限活用し多くの世界遺産登録を目指すことで、地域市民の生活向上に大きく貢献するはずである。「平和で豊かな小国」を目指すことが、日本国民の本当の幸せにつながるのかもしれない。

また日本にとって「背伸びをしない国家」を創ることは、外国に国防を委ねる国家としても重要なことである。リスク・リターンの関係と同様、「背伸び」の裏には必ずリスクがある。国家のリスクマネージメントで最も基礎となるのが自己防衛力であることは、他国の侵略によって自国の運命を変えられた国々の歴史を見れば明らかである。

最重要である国防を外国に委ねるのであれば、行き過ぎたグローバルな経済成長を目指すべきではない。それは危険な結果を招きかねない。出過ぎて国防を担う国に組み込まれる結果を生むかもしれないし、それとは逆に周辺国等との紛争を呼び込みかねない。

<倭国― 小じんまり、それは大きな魅力>  

「平和で豊かな小国」の成功は、今日の輸出企業への依存、コンクリート社会からの脱却を意味する。拡大路線とは逆の方向に進むのだから、FTAから一転、国内企業を「外敵」から守らなくてならない。引換えに高い税率と高福祉をワンセットにし、国主導の公共事業は全て廃止する。人の命と科学技術の発展に直接かかわりのあるものは例外とする。そして最終的に国の支出を一桁減らす。

州をまとめる連邦政府には文科省も厚労省もいらない。連邦警察と国防省、外交省、州間調整省なるものがあればよい。ハイテクIT時代である。今の100分の1、1,000分の1あるいはそれ以下の組織と職員がいれば十分ではないか。政治面では総理大臣を直接投票で選び、仮に総理大臣が変わる時は解散を義務付けるべきである。

消費税を50%(国5%、州45%)にし、その他の全ての税を廃止する。シンプル・イズ・ベスト。もちろん医療、教育費用は無料。収入に応じて支払済消費税を還付する。景気対策は州政府の責任であり、必要に応じて低所得層には補助金を与える。地域間の格差はあっていい。格差こそ地域の魅力である。過去に中国を習うも、今では無用な戸籍制度も止め、誰がどこの出身などと言う拘りも要らない。(もちろん先進国らしく差別排除に今よりずっと厳格にならなくてはならない。)

こんなことが実際に起こったら、輸出依存の大企業は真っ先に国外に出て行くに違いない。ついでに社員ごと数万人単位で出て行ってもらえればありがたい。既存インフラの一人当たりの利用枠が拡大し、残った人はその分住みやすくなる。

偏った考えではあるが、何れにしても言えることは、現在のような中途半端であってはならいということである。未来像を持たないままでは、グローバリゼーションに翻弄されるだけで良い結果が出ることはない。国民の自律回復力すら奪う「ジリ貧後のデフォルト」だけは、絶対避けなくてはいけないシナリオである。