2010年8月4日

未来像を描けない日本 ― 参院選を経て

確固たる政権または大統領を持たない日本は、政治的な対立を長期化させ、主体性のない国家になり下がっている。グローバリゼーションの中にあっては、相対的な地位低下は避けらず、より悲惨な状況へと向かうかも知れない。

参院選では新政権が議席数を伸ばせず、元の政権に戻るでもなく、政治はさらに混迷の度を深める結果となった。政治的混乱が固定化すれば、与党が主体的に国家の未来像を描くことができない。対外的には構造的な弱点を露呈し、世界の強国になびく体質が継続されることを意味する。また国内的にも行政や企業に「隙」を与えてしまう。

こうしたことを家庭に置きかえるのなら、一家の大黒柱が妻か夫か決めることができず、家庭の未来像は元より、子の教育方針すらまとめることができないでいるようなものである。

国際感覚豊かな妻は外資系に勤めており、子をインターナショナルスクールに通わせたい。日本の伝統を愛する夫は日本企業に勤めており、子を地域の学校に通わせたい。

どちらにも一理あるわけだが、一方に統一しない限り永遠に意見が対立し、子の将来は「宙ぶらりん」なものにしてしまう。

これを横目で見ている居候の親戚の子は、東大通いで頭が良く、「家族に必要だから」などと、何かと理由を付けては浪費を続けている。夫婦は裕福な家庭で育った世間知らずで、あまり頭のいい方ではない。この親戚の子の言葉を鵜呑みにし、借金をしてまで浪費を手伝っている。気が付くと借金は膨大な額になり、借入先の金融機関に迫られて、幼い子供達とまだ見ぬ孫までを保証人にしてしまったのである。

借金で首が回らなくなり、夫婦喧嘩も絶えず、それが子供達の兄弟喧嘩にまで及んでいる。家業にも専念できず収入は減るばかりで、「夢」を持てないでいる。結果、他の裕福な家庭の下仕事をすることで生計を立てている。

政治の混迷は足下の国民生活をも揺さぶる。未来像は愚か、現在の「国民生活の維持・向上」のためにすら、有効な政策を打つことができない。政策はどれも中途半端、曖昧かつ流動的で、国民は将来不安を募らせている。

さらにグローバリゼーションに翻弄されてアイデンティティを失い、ここでもまた国家の未来像を持つことができないでいる。

過去においては「米国が咳をすれば日本は風邪をひく」と言われていたが、いつしか風邪から「肺炎」になり、その慢性的な肺炎により、現在では基礎体力すら失いつつある。

米国だけでなく、最近では中国の咳も加わっている。中国はまだ経済新興の段階にあるが、既にこれだけの大きな影響力を持っているのである。

未来像を描けず、主体性もない日本の政治は、この先も大国になびくだけのパラサイト国家で行くのだろうか。確かにそれが一番「楽」そうではあるが、長期的視点に立てば、主体的な国家運営を怠る「ツケ」は決して小さくない。

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