2008年12月17日

経済ワールドシリーズ、プレイヤーは復活を遂げるアメリカと眠りから覚める中国

■「若い」EUと中国

「ブッシュ政権の終りは『パックスアメリカーナの終焉』、同国の軍事力も限界に近い」

上はある上場企業CEOの言葉。オバマ政権の誕生と今回の経済危機は、確かに「パックスアメリカーナの終焉」をにおわせる。しかし同時に「逆の未来」を予感させる部分もある。その最たるところは、未だEUも中国も、アメリカに代わる存在としては準備不足であると言うこと。

もちろん文化面ではどちらも優秀であるが、EUはまだその制度が始まったばかりで、世界のリーダーとしては未熟である。中国は政府、社会が深い歴史観、世界観を持ち、その点においては世界をリードし得る資質を備えているかもしれないが、なによりも民主性が欠けている。

米国の軍事に関しては、日本の省庁の政策に限界来ているのと似た行詰り感がある。「国家、国民を守ることが最優先」とは言い難く、役所としての権益や関連産業の既得権維持が目的といった色彩が強い。結果、国民の支持を失い、軍権拡大に反対の声が広がっている。

■「宗教国」としてのアメリカ

日本では全く言われないことであるが、私の周囲の特に富や名声もない平均的な米国庶民は、みな今の米軍行政に批判的である。ブッシュ二世政権誕生当時、友人らはみな口を揃え、「米国は危険な方向へと進み始めることになってしまった」と、無言なまでに落胆していたことを思い出す。

そう考える国民が多数であるにもかかわらず、ブッシュ共和党政権が誕生した背景には宗教的な要素がある。彼らは共和党の戦争と軍事を支持したのではなく、「キリスト教国」であることを支持したのである。日本の与党(公明党)支持者同様、政治の実力以前に、まずは自己の宗教団体所属政党を支持する。よって憲法上の宗教分離が言われながらも、イスラム圏諸国の台頭などで、それに対抗する「宗教力」が働いた結果となっている。

ブッシュ氏の全盛期、キリスト教に基づいた教科書の導入が複数の都市で真剣に議論されていた。それによると「地球は平面であり、太陽と月が地球を周回し、アダムとイヴが人類の先祖で、ダーウィンの進化論は成立しない」などとしている。さらに3人に1人の米国民は「天使の存在(あの羽根の生えた空飛ぶ子供)」を本当に信じているとう調査結果も過去にあった。

■アメリカン・スピリットが成長を支える

多くの民主党員もキリスト教徒ではあるが、少なくとも科学を信じ、頭の中では「政教分離」は必要であると考えている。今回の金融経済危機は幸いにも、過激なまでの米国の宗教色を薄め、中世のような宗教社会へ逆戻りするのを一旦は阻止したのかもしれない。

米国の建国は、既存の宗教の縛りからの解放を求めた「理想郷創造」がその原点。義務教育の歴史の授業では、そうした解放と開拓の精神がアメリカンスピリッツとして教育される。最近の共和党政権が右に向き過ぎた側面は否めないが、それでもやはり一定の開拓精神を備えているはずである。

今後のオバマ氏政権下では、より原点に近い開拓精神によって、他国に先駆けた「復活」を遂げる。そのようなスピリットを持つ米国民が、人生の貴重な時間を無駄にしかねない国家のマイナス成長を長期間許すはずもない。よって早ければ2009年後半にも、米国経済の前進を目前にするのではないか。ただ、良し悪しは抜きに、「永遠の成長政策」を疑問視する声も多い。

■数千年続いた均衡を取り戻しつつあるアジア

昨今の中国復活はアジアに歴史的転換をもたらした。過去の大国衰退期、極東の「小国」であった日本が膨大な国費を投じて近代的軍備を獲得し、地域のパワーバランスを武力で「変更」した。後の暴発、復興後の経済崩壊、隣国の分裂、大国の共産化等で、アジア史に破滅の危機が迫った。しかしここへ来て中国、韓国の復活、日本の足踏み等で、日米欧によるアジア支配に歯止めがかかっている。世界におけるアジアは再び元の均衡を取り戻しつつある。

「パックスアジアーナ」を切望するわけではないが、中国を始めとするアジアの歴史と世界への貢献が、もっとクローズアップされてしかるべきだと思う。とりわけ、自国企業が中国との経済活動によって潤っている事実が日本では正しく理解されていない。バブル経済崩壊後の日本経済も、中国との経済活動によって底割れを回避した面が大きい。日米欧は、中国を始めとする資源国、低賃金国の環境破壊と引き換えに潤い、自国を「クリーン」に保っている事実も言われることはない。

日本の琉球問題より一世紀も前のチベット問題、日米欧政府は今もこれを戦略的に報道し続けている。中国は自国内の異なる文化、民族に対し、日本のような「統一政策」を取ってはいない。少数民族は歴史的に見ても自治体制にあり、その言語、文化の保全は政府によって保護されている。日米が中国との交易で最初の富を両国にもたらした自らの「生い立ち」も、捨てられた敵国の子を我が子のように育てた同国の国民性も、日米欧政府が語ることはない。

■資本主義と一党政治のコラボ

日本の民主性は60年余りでしかない。この若いメンバーの市場が、世界の投資対象となってバブルが発生し、それがはじけて今日に至る。欧米資本によって使い捨てにされた感も否めない。彼らは国内産業を保護する日本の政策に、強い圧力をかけて市場解放を促してきた。もっとも、それはより多くの自由を求めた日本国民の意向をうまく利用したものであって、決して「外圧」が一方的に影響力を行使したわけではない。

この脆弱な日本の民主性とは逆に、中国の一党体制は強力な外交力を備えている。業界、外国資本等によるロビー活動、根回しを困難にし、同政府にはある種の恐れと遠慮をもって接することを余儀なくしている。仮にこのような環境で日米欧関係が構築されていたのなら、日本の市場開放は外圧ではなく、政府によってより計画的に行われ、無防備なバブル発生等を巧みに回避していた可能性が高い。

一党体制の最大の強みは、世界にとってそれほど魅力的に映らない北朝鮮に見て取れる。同国政府は米国政府の政策に影響を及ぼすほどの「互角性」を有している。それは日韓には許されることのなかった核保有にもみられる。

もちろん中国の一党体制には、北朝鮮のそれとは比較にならないほど多くの「自由」が保障されている。しかしそれは先進民主国と比較にならないばかりか、国民の一定の自由と引き換えにある。中国人民には申し訳ないが、ここで民主化を急げば、日本を含む欧米資本にかき回され、結果的にアジアは「強く正しい中国」という未来像を失うことになるかもしれない。「欧米次第」の日韓だけでは、やはりアジアの未来は保てそうにない。

現在の中国共産党そのものを支持するかどうかは別に、今の世界は中国の体制に一定の理解を示している。仮に中国が1978年の改革開放とともに民主化されていたら、過去の時点で欧米資本の「食い物」にされていたに違いない。そうなればこの世にアジア復活はないまま、永遠の時が流れて行ったのではないか。

資本主義と一党政治のコラボレーションを試みる中国。我々はこの実験を見守るべきなのだと思う。それは行詰り感のある世界の欧米主導を緩和する意味においても重要なことかもしれない。

― 自己の他ブログサイトより転記 ―