2008年12月3日

世襲政治 失われる国民の夢と希望

日本の総理大臣が簡単な漢字も読めない事実に驚愕した。それは総理大臣の国語力の低さに対する驚きではなく、その程度の国語力でも、一国の総理大臣になることができてしまうこの国の政治レベルに驚愕している。

総理大臣にまで上り詰めるまでには、その能力を問われては磨かれるという幾多の試練があったはずである。その繰り返しを経て、初めて総理大臣にまでなれるものではないだろうか。しかしながら麻生氏の国語力を見ると、この国の政治には知識、能力、政治力とは、何か別の分野での「才能」が必要とされているようだ。

今世紀になっても、未だ非合法ともなりかねないレベルでの「世襲政治」を国民が許し、支持している結果の表れに他ならない。元首相の小泉氏には一定の評価を持っていたが、それも昨今の世襲表明で一蹴した。

一国について考えるとき、私はどこの国にいても、いつもその土地の「ハードとソフト」について全身で感じ取ろうとする。街並や景色など、物質的側面だけでなく、そこに生活する人々の考え方や価値観、政治などについて考察することに興味がある。

一国の社会の質は、民主国家であればその国の政治によって大きく左右される。政治によって決定付けられると言い切っていいかも知れない。そしてその政治は国民によって選択され、それを選ぶ国民は、生まれ育った環境、すなわち親、家族、学校、地域社会、国家によって形成される。ここでまた一周し、国家は「政治の質」で決定付けられる。この(悪)循環を断ち切るには、やはり政治力で断ち切るほか、現状では切り口はない。よって日本にこそ、強いリーダーシップと、尊敬される人間性を持った国民の代表が必要なのだ。

国民が「大きな希望と安心」を持つことができるのなら、そこからは時間を要しても、質の高い国家へと育っていくことができはずである。良いハードウェアを持ちながらも、お粗末なソフトしかない国家では、そこには人としての真なる幸せを感じる人生は築かれない。現在の日本はまさに「金はあるけど愛はない」と言った国家になってしまっている。

社会がこれを良としてしまえば、立派な親も師も存在することなく、犯罪や自殺が増加する一方である。人を騙し傷つけることが、いとも簡単に、日常的に行われている今の空虚な日本社会を、どこかで変えないかなくてはならない。