2009年3月28日

世界は中国を目指す 日本は永遠にAmerica?

仮に米国がドルの信認を高めるために、何らかの強硬策をとるようなことがあれば、それは世界にとっての不幸である。一国が恣意的に自国通貨の信認を高めようとする行為は、市場原理に逆行するものであり、これには何らかの無理が生じて来るものだ。

リーマンショック以降、まさしく100年に一度の世界経済改革のチャンスであったが、それも徐々に遠のき始めている。今回のG20で「通貨バスケット」などの論議が進まなければ、この100年に一度の金融危機をテコにした世界経済改革は、「第1幕終了」といった気さえする。第2幕があるとすれば、欧米金融機関の不良債権が隠ぺいされていたなどとして、その根深さへの認識が浸透したときかもしれない。

どのような形であれ、第2幕なく、米国経済の底打ちが確認されれば、世界の改革気運は一気に冷え込み、大した改革も行われないまま、米国はその優位性をより強固な形へと変えいくのかもしれない。米国は国内での改革をテコに、更に強固な経済力へと成長していくことになるであろう。

そうなれば世界の富の分布図に大きな変化はなく、これまで経済的に希望を持てなかった者が希望を持てるような大きな改革は、そうそう起こらないのかもしれない。現政権が民主党であり、オバマ氏のような人物が大統領であることが、世界の庶民にとり、今ある唯一の救いだ。

世界不況の中、今もなお中国の成長が注目されている。私は日本の将来は米国にかかっているのではなく、中国が日本を「思う気持ち」にかかっているのだと思う。それは決して「想い」ではなく、単に米国よりも日本のほうが、中国にとって頼りやすくも利用しやすい思惑的なものだ。

ここからの日本は、「寄り添う相手」をよく見極めなければならない。米国にとっての日本は、遠いアジアの「便利に使える国」でしかなく、日本人が米国に対する「想い」をいつまでも抱き続ける時代は、とうの昔に過ぎ去ってしまっている。

過去の投稿今すぐ米国から中国へ 大企業経営陣へ緊急提案の通り、日本はできるだけ早期に、米国から中国へと目を向けるべきである。それは日本が中国に対する優位性を有するうちに、あるいは対等に付き合えるうちにである。今後とも中国が経済的にも、国際立場的にも優位性を増大させる中、日本の優位性は相対的に急激な落込みを見ることであると大変憂慮するところである。

欧米から見る日本は、確かに未だある種の魅力があります。技術面においても過去の文化面においても。しかしいざ投資しようとなると、日本の長期的な発展にはみな懐疑的だ。自国の防衛のため米国を絶対の存在と扱い、国内的には人口減少に歯止めをかけられない。これでは日本の現時点からの「成長性」が、中国の成長性より高いと論ずるには説得力に欠ける。

よって今後とも、世界の投資マネーが日本へ向かう比率は下がる一方で、中国へ向かう比率は長期的に上がっていくと考えるのが自然である。これが意味するものを、やはり日本は危機感を持って考え、早急に対応しなくてはならない。

― 自己の他ブログサイトより転記 ―

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2009年3月20日

人気シェフが作る電気自動車とグリーンエネルギー

時に人気シェフもレパートリーが尽き、一定期間、内にこもって研究に没頭することもある。人々はその人気シェフが開発、提供する料理を楽しみ、模倣してきたが、そのシェフが体調不良とレパートリー不足のため内にこもると、コピーシェフ達も一斉にレパートリーが尽いてしまった。さらにはコピーシェフらは、自らの実力不足を隠すかのように、影響力が弱まった人気シェフを一斉に批判し始めた。

現在の世界経済はこのような状態で、人気シェフの米国は、現在は単なる体調調整と新たな人気メニューの開発期間中であると私は考える。この世界不況が米国にとって初めての不況であるわけでもなく、そう遠くない将来(6ヶ月~2年以内)、人気シェフは模倣シェフ達が、最初は理解できない(かも知れない)新メニューを揃えて戻ってくるはずである。

過去の投稿経済ワールドシリーズ プレイヤーは復活を遂げる「アメリカ」と長い眠りから覚める「中国」できまり!の通り、現代の米国国民、企業、政府がこの場に及んで手をこまねき、それぞれの人生の貴重な時間を無駄に費やすはずもなく、後に振り返れば「あそこまで大騒ぎすることはなかった。でも、あの騒ぎがあったから世界はいい方向へ向かった!」などと話しているに違いない。

そこで新メインメニューは何と言っても代替グリーンエネルギーを含めた環境ビジネス。これはまさに人類の救世主だ。自動車産業はその一例でであるが、電気自動車は既存の自動車より遥かにシンプルな構造とのことで、米国では新たな自動車製造企業、それに関連する周辺ビジネスモデルが既に続々と生まれ始めている。

例えば「無料電動自動車ビジネス」はその一例である。ユーザーである個人に電動自動車を「無料配布」し、そのユーザーはガソリンスタンドの代わりに「バッテリー交換所」へ行く。ここで洗車機のような場所へ自走して入り、そこで地面の下から充電済みのバッテリーが出てきて、車体の中にある使用済みのバッテリーと交換。ユーザーはこの充電済みのバッテリーの使用料だけを支払うというビジネスモデルだ。さらにこのバッテリーは自宅の車庫では太陽電池を使って充電でき、夜間は逆に自宅の電力供給源とすることもできるそうである。

これが実現すれば、高度な技術や大きな資本を要する産業である、エネルギー産業や自動車産業に大きな構造転換が起こり、これまで参入することのできなかった個人や企業、国々に大きな参入機会が生まれる。(先進国としては非常に悪評である、日本の「電柱林と電線ウェッブ」がなくなるかもしれない!)

「人類の永遠の繁栄」を考えるとき、今回の経済危機は危機ではなく、繁栄維持のための「構造調整」でしかない。これまで環境問題を国家戦略として公にして来なかった米国や中国が、それを国家戦略に組み込み始めた今、日本も戦略的かつ大胆に政策をとっていくか否かでは、「未来地球図」が大きく変わってくる。

その総合力にかけ、最先端技術を持ちながらも後追いするだけに見える現在の日本。ここからの繁栄は、まさに次なるリーダーシップを選択する国民一人一人の意識と能力にかかっている。

― 自己の他ブログサイトより転記 ―

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2009年3月17日

日本の民主性はどこへ

国家国民の安全と繁栄を約束するのが政治の命題であり、それを実現するための手足となるのが行政である。本来、政治・行政の目的は至ってシンプルであるが、日本国の場合、この「手足」が言うことを聞かない。

旧日本軍から継承する各省庁が持つ権益。各省庁が自らの「城」を、自主的に諦めるはずなどないのである。本来国民に帰属するこの権益を、国民自身の手に取り戻す方法は強力な政治力によってしかでしかなし得ない。国民は「民主主義」を学び直し、賢く政治家を選択して欲しい。(関連ページ:日本経済 「再ライズ」なるか..

これには国民に対する正しい政治教育も必要で、日本国民は民主主義の意味を、一から勉強し直す必要があるかもしれない。これまで賢い企業に支えられて現代日本は成り立ってきたが、その企業頼りも限界は近い。