2010年8月29日

政府、メディアの抵抗 ― 続く円高基調


円高基調が続いている。メディアでは為替介入を期待する声が絶えないが、今回も同様の手口でトレンドを変えられるか疑問である。

過去と現在とでは日本円を取り巻く環境が大きく違う。また長期に渡る日本の不況も、円安に頼ろうとする言わば自立心のない政策が根底にあると私は考えている。これは今後変えていかなくてはならない。

まずは過去と現在の環境差についてであるが、過去に長く続いた円安基調は、日本経済の下方トレンドが継続するという見方が支配的であった事によるところが大きかった。この時は円高に向かう度に日本国政府は為替介入を行い、同時に世界一の低金利政策により、円売り圧力を課すことが比較的容易であった。

それにより、政府は元より、国内外の金融機関、投資家が総出で「円売り外貨買い」に走った。これは全国民が直接ないし間接的に円キャリートレードを行っていたのとほぼ同意義でもある。

円キャリートレードは更なる円安を誘発し、政府の思惑が叶った形であるが、これが進む条件としては、円以外の通貨の国で、日本より高い経済成長率を維持することが確実視され、その国の政策金利は高く、差し迫った金融緩和の必要性がないとされる通貨が存在しなくてはならない。しかもその国の情勢は安定していて、クーデター等、国家を揺るがす事象が近未来的には起こり難いとされる国の通貨に限られる。

しかし現在ではそのような国は見当たらなくなってしまった。どの国も政策金利はそう高くない上、ここ12年の経済成長率が低調であるとされている。よって相対的に他通貨の金融緩和がより進むと見られがちだ。また豪州通貨も中国経済の鈍化が言われる中、売り圧力がかかりやすい。逆に政策金利が高く高成長率が見込まれている国々では、今も社会情勢への不安が付きまとう。

2007年の米国住宅バブル崩壊まで、世界は好景気に沸き、日本は長い低成長率と金融緩和状態にあった。この時点を「平時」とするならば、上述の変化により、現在は「相対的」に日本が安全に見えるようになってしまった。

世界が「好景気から低成長」であるのに対し、日本は「低成長から低成長(またはゼロ成長)」とういうことであれば、10が3になるより、2が1または0になるほうが、先の「平時」と比較して安全に見えてしまう。

このような環境下、直接介入による円安効果は極めて限定的となる。短期間の円安が起こるだけで、それは次なる円高マグマの蓄積ともなりかねない。

これまでの「実績」が証明している通り、直接介入は長期的には日本国民に巨額の損失を与える可能性が非常に高い。また金融緩和を一層進め仮に円安が定着したとしても、再び円キャリートレードが広く行われるようになれば、いずれ起こるであろう「巻き戻し」による円高マグマを育てるに過ぎない。まさに現況こそが、過去に日本政府主導で国内外のプレーヤーを巻き込んで行った巨額円売りの巻き返しの結果そのものである。

実はこの失政、計画性を持ったものである可能性がある。百歩譲って円安政策により経済が浮上したとしても、その「直接的」な恩恵を受けるのは輸出企業だけである。

政府、メディアは「国全体に円安による経済効果が広がる」と一方向の考えしか示さないが、輸出企業が潤うことでの二次的な潤いなど、本来誰も欲しくない。商売を営むのであれば、国の経済発展に二次的ではなく直接関わりたいものである。

ビジネスオーナーであれば、「生きるも死ぬも客次第」というビジネスモデルには本来うんざりであろう。同じく日本の経済が輸出産業次第、その輸出産業は外国次第なのである。

そんな国家を次の世代にどのように継承しようと言うのだろうか。これからの子供には、「日本人は米国や中国に助けてもらって生きているのだから、米中の人達には丁寧に接してね」と教育すればいいのだろうか。

政治やメディアは、円安政策が日本の未来にどう貢献するのか、逆に円高では日本の未来にどうマイナスに働くのかを、科学的論拠を伴って国民に説明すべきである。

自動車、家電産業関連の団体は、政治家にとっては献金・集票マシン、放送業界にとってはCM枠を破格の高値で買ってくれるお得様である。このもたれ合いの関係維持には、輸出企業らが「健康」でいてくれなくてはならず、それには円安が一番手っ取り早い。

ここからの円安政策は、過去から現在へと影響力を持つ政官業に関連する既得権者が数年間いい思いをするだけであり、既にある巨額国債の発行同様、将来的に子の世代、孫の世代を苦しめるだけである。

繰り返しになるが、直接介入、一層の金融緩和による円安政策をとっても、それは将来の円高マグマを育て上げ、輸出企業、他国経済に依存する社会を助長し、必ず訪れる将来的な巻き戻しによる円高局面においては、今まで以上の苦しみを繰返すことにつながる。よってこうした悪循環を終わらせる意味においても、今はやすやすと円安を望むべきではない。

それよりもこの円高を機に、輸出産業、他国経済に大きく依存し過ぎない自立的な国家へと日本の経済構造を変えていくべきであろう。

また円高が定着することで日本企業の国際化が進み、日本人の世界観を育成するに大きく寄与する。ひいては名ばかりの日本の国際化からの脱却できるはずである。

幸か不幸か、今の日本の体力では、国家が将来的に巨額損失を抱えかねない直接介入を“断固”として継続することはできないと、市場は既に見透かしている。日本経済が世界経済に対し、相対的に更なる落ち込みを見せない限り、現在の円高圧力は収まるものではない。過去に直接介入を行った時とは、世界の経済情勢が全く異なるのである。

週明け、政府の直接介入や日銀による緩和策により、一時的には円安方向に向かうことがあるかもしれないが、そこは絶好の円売り、株売りの仕込み場となる可能性が高い。


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2010年8月22日

国際競争で勝ち抜くのか、拡大路線からの大転換か ―「人口減」に身を任せる国造り 

<問われる日本人の世界観>  

日本の政治面での問題点を見つめれば、その根源は政治家の実力にあり、ひいては国外に目を向けず長く地元優先主義で来た日本国民の政治的選択基準(選択能力)に行き着く。日本の経済面での問題点を見つめると、多くの場合、「グローバリゼーションに乗り遅れている」といことで説明が付く。様々な理由はあるにせよ、事の本質は上のどちらの面においても日本人の「世界観」が問われている。

日本国政府が国民の海外旅行を認めたのがわずか46年前。日本人の「世界観」を庶民レベルで考えるとせいぜい2030年程の蓄積である。一世代でしかない。それゆえここに来てある種の「拒絶反応」が現れているのかもしれない。

実はつい最近まで、「将来的に日本の国際化が後退することはあり得ない」と考えていた。しかしながら、これまでの政治の混迷や指導力の欠如、国家構造面での複雑な利害関係、人口減少等々を改めて考えると、やはりこれらの改善には膨大な時間を要することに気付く。加速するグローバリゼーションの中にあっては、日本は存在感を増すことは愚か、ついてゆくことすらできない環境にあると言える。

2010年8月13日

問われる国家の主体性



株価等、経済指数の動きにも表れている通り、今や日本の経済は米中次第であり、国防に関しても完全に米国次第である。国家の戦略的基幹インフラについても、過去にインターネット、ブロードバンドの普及では韓国に大きく引けを取った。電子政府、医療情報化、空港、港湾等の整備に至っては、今や同国をモデルとするに至っている。原口総務大臣が電子政府等の視察のため、同国を訪れたことが記憶に新しい。FTAにおいても日本をしり目に、同国は既に先進的な立場にいる。

日本は長年、政治・経済の分野において欧米を模倣することを基礎に成長して来た。このことで、日本は民主資本主義体制にありながらも独立国家としての「主体的・独創的な思考力」が形成されなかった。結果、国政の重要な部分は他国と連動して政策を取るようになり、法整備も他国をモデルとする主体性のない国家へと“成長”してしまった。

これを見ていると「日本には本当に政府が必要なのか」と、冗談ともつかぬことを考えてしまう。この先も主体性を持たない、持てないのであれば、人民元のドルペック制のように「米国政治ペック制」を取ってはいかがか。戦争以外の政策を米国と同調させることを法制化し、それを遂行するための機関としてのみ行政を持つ。

名ばかりの民主主義である今の政府・行政がなくなとも(現代日本の最大の受益者がいなくなっても)、さほど大きな問題にならないであろう。失ってはならない日本の美しい伝統とその維持についても、米国主導が返って効率的かもしれない。

つい十数年前まで、日本人は欧米への憧れに溺れ、日本の伝統を軽視して来た。しかしながら自らの伝統の美しさを思い起こさせたのは皮肉にも欧米人達であった。戦後にわかに始まり、バブル期が終わるまで続いた欧米での日本ブームが、「欧米で人気」であったことで日本に逆輸入され、それが自らの「出身(欧米ではなかった!)」を振り返らせる契機となった。

日本の民主主義は「政府主導」で外から持ち込まれたものである。これは欧米とは大きく異なる。日本の政治がこのままであっては、世界で最初に民主主義の失敗を宣言する国になってしまうかもしれない。主体性のない者は強い者と運命を共にすることはできても、自らの道を切り開くことはできない。

2010年8月12日

“日流” 今も続く日韓併合の悲劇

また日本国総理大臣が「日韓併合」に対し謝罪した。

この日韓併合は李氏朝鮮が「欧州の脅威から身を守るため、自らが申し出たことによるもの」であると、当時の大日本帝国軍が唱えたプロパガンダを未だ信じる日本人がいる。仮にそれが事実であったとしても、朝鮮本土、日本国内において、日本人が彼らに対して行って来た非人道的な扱いは正当化される趣旨のものではない。少なくとも日本以外の民主国においては。

どのような形で日韓併合が始まったのであれ、その最大の悲劇は、歴史的にも「学問の地」であった朝鮮半島が、武士道を美学とする日本に併合され、今もなお続く影響を受けてしまったことである。理由はともあれ、理論派が武力派に負けた象徴的な出来事であろう。

同じく植民地化の歴史を持つ香港やマカオ、その他欧州国に支配を受けた地域や国家は、地域の伝統と欧州的な感覚を調和させた魅力が今も残る。ソウルを訪ねると東京同様、自国文化は切り捨て、欧米に憧れるだけの「無秩序な街づくり」を哀れまざるにはいられない。

乱立する雑居ビルとネオン、電柱と電線、歩道を占拠する置き看板、デリカシーのないラブホテル、風俗営業とその広告などは、紛れもなく現代の日本文化だ。日本各地の駅前に多く存在するパチンコ(賭博店)や派手な風俗業はさすがに見ないが、放送・マスコミ文化などは日本並みに相当低質である。

― 人々は歴史的価値観と誇りを失うと、伝統や名誉を軽視し、拝金主義に走りやすい。拝金主義は政府・行政から始まり国民に至るまで国家全体を無秩序なものにしてしまいがちだ。

韓国の財閥や新興企業がいい例かもしれない。日韓併合による辱めは心の奥底にしまい、先に資本主義化され、欧米から新技術を取り入れることで成功している日本を模倣することが、金儲けにとっては効率的であった。但しこれには大きな代償を伴っていることを韓国人は忘れてはならない。韓国が“日流”を取り入れて成功すればするほど、日本社会の影の部分(マイナス要素)まで取り入れてしまうのである。

日韓併合なしに、または併合先が欧州国であったのなら、解放後もこのような“日流”に影響を受けることはなかったはずである ― 強い反日教育こそされていないが、台湾も同様の爪痕と影響を今も残す。韓国人はさぞかし次のように考えていることであろう。

「あぁ、同じ侵略されるならフランスやイギリスにされていればよかった。どうして日本だったんだ..」と。

2010年8月4日

未来像を描けない日本 ― 参院選を経て

確固たる政権または大統領を持たない日本は、政治的な対立を長期化させ、主体性のない国家になり下がっている。グローバリゼーションの中にあっては、相対的な地位低下は避けらず、より悲惨な状況へと向かうかも知れない。

参院選では新政権が議席数を伸ばせず、元の政権に戻るでもなく、政治はさらに混迷の度を深める結果となった。政治的混乱が固定化すれば、与党が主体的に国家の未来像を描くことができない。対外的には構造的な弱点を露呈し、世界の強国になびく体質が継続されることを意味する。また国内的にも行政や企業に「隙」を与えてしまう。

こうしたことを家庭に置きかえるのなら、一家の大黒柱が妻か夫か決めることができず、家庭の未来像は元より、子の教育方針すらまとめることができないでいるようなものである。

国際感覚豊かな妻は外資系に勤めており、子をインターナショナルスクールに通わせたい。日本の伝統を愛する夫は日本企業に勤めており、子を地域の学校に通わせたい。

どちらにも一理あるわけだが、一方に統一しない限り永遠に意見が対立し、子の将来は「宙ぶらりん」なものにしてしまう。

これを横目で見ている居候の親戚の子は、東大通いで頭が良く、「家族に必要だから」などと、何かと理由を付けては浪費を続けている。夫婦は裕福な家庭で育った世間知らずで、あまり頭のいい方ではない。この親戚の子の言葉を鵜呑みにし、借金をしてまで浪費を手伝っている。気が付くと借金は膨大な額になり、借入先の金融機関に迫られて、幼い子供達とまだ見ぬ孫までを保証人にしてしまったのである。

借金で首が回らなくなり、夫婦喧嘩も絶えず、それが子供達の兄弟喧嘩にまで及んでいる。家業にも専念できず収入は減るばかりで、「夢」を持てないでいる。結果、他の裕福な家庭の下仕事をすることで生計を立てている。

政治の混迷は足下の国民生活をも揺さぶる。未来像は愚か、現在の「国民生活の維持・向上」のためにすら、有効な政策を打つことができない。政策はどれも中途半端、曖昧かつ流動的で、国民は将来不安を募らせている。

さらにグローバリゼーションに翻弄されてアイデンティティを失い、ここでもまた国家の未来像を持つことができないでいる。

過去においては「米国が咳をすれば日本は風邪をひく」と言われていたが、いつしか風邪から「肺炎」になり、その慢性的な肺炎により、現在では基礎体力すら失いつつある。

米国だけでなく、最近では中国の咳も加わっている。中国はまだ経済新興の段階にあるが、既にこれだけの大きな影響力を持っているのである。

未来像を描けず、主体性もない日本の政治は、この先も大国になびくだけのパラサイト国家で行くのだろうか。確かにそれが一番「楽」そうではあるが、長期的視点に立てば、主体的な国家運営を怠る「ツケ」は決して小さくない。

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