2011年5月21日

Spin-Off & Rights Issue ― 制度としての投資家保護を 2

米国などでは子会社を分離独立させる際に、既存の株主価値を損なわない努力が強く求めらる。それにはスピンオフやスピンアウトといった方法を取るが、これは時に市場に好感されることも少なくない。

既存株主は、分離独立させる子会社の株式を受け取ることで自動的に両社の株主となる。よって既存株主は、この独立上場に値する「有望なビジネス」から得られる利益を(当然無償で)享受することができる。日本市場のように、大株主らの独断で、既存株主から社の有望なビジネスの利益を削ぎ取り、奪い去ることはない。

ビジネスの分離、子会社上場等により、親会社側は有望なビジネスを失うため、企業価値の低下、株価下落を招くことにつながる。しかしながら、既存株主らは子会社の株式を売却することで、親会社の価値低下分を補うことができる。

日本式の増資や子会社上場などは、資本主義の観点から本来あってはならないことである。現在の日本市場は、過去の成長期に黙っても外資が流入した環境にはない。日本市場から資本の流失が止らない現状は、日本の企業経営者の株主資本を軽視する姿勢を映し出していると言える。

2011年5月20日

Spin-Off & Rights Issue ― 制度としての投資家保護を 1

中国アリババが傘下アリペイの所有権を移転したと、12日ロイターなどが報じた。

記事では、大株主である米国ヤフーや日本のソフトバンクなどに対し、「事前の通告がなかった」と米国ヤフーは主張しているとのこと。そのソフトバンクも、自らの株主へは報告をしていない。

ブルームバーグなどは、グループの優良な子会社が分離されたことで、親会社アリババの企業価値低下を引き起こす懸念があるとも報じている(ブルームバーグ記事)。

ビジネスの分離移転が招く企業価値の低下。株主にの代償も支払わずこのようなことをすれば欧米では訴訟の対象となるが、日本では頻繁かつごく当然のこととして行われて来ている。

上場企業は子会社を作り、上場に値する有望なビジネスをその子会社に移転。後にその子会社を上場させ、同子会社の利益を新株主に移転する。それまで懸命に社をサポートしてきた既存株主は、得られるはずであった利益を第三者へ奪われるのである。

企業側は既存株主に対し、グループ規模拡大のメリットや、新ビジネスに対する資金調達の必要性を強調する。しかしながら上場メリット発生のメカニズムや、想定するメリットそのものを具体的な期限と数値をもって株主に説明することない。

当然のことながら、株主に対するこのような説明は非常に複雑な作業を伴うものである。そこでこうした労力を企業が省略できるよう、欧米ではスピンオフなどの制度が存在する。日本市場においてはそのどちらも省略され、既存株主は実質増資、希薄化に伴う株価下落(または上昇力抑制)を強いられている。

2011年5月19日

民主教育を幼児・小学校教育レベルから

日本では「組織」にとっての正義は強調されるが、社会正義についてはあまり語られることがない。企業や国家など、組織を超越した普遍的な正義というものが軽視されがちである。

また「責任」に対する意識も曖昧。政治行政の不祥事を見ても同様、「問題はどこにあったのか」という構造的な欠陥探しと、その経緯に纏わる責任を最後まで追及する姿勢が見られない。「引責辞任による幕引き」が精々。それゆえ不祥事が容易に繰り返されてしまう傾向にある。

これは教育を含む政治の結果なのか、それとも国民性なのか。過去の日本においては、切腹という形で引責を成立させてきたようであるが、現代社会における「辞任による幕引き」も、このような文化と無関係ではないのかもしれない。

英語では切腹を「harakiri」と言う。これはそのような行動が文化として存在しないことから、それに相当する単語がないのである。

欧米では過去においても、「贖罪」という考え方が非常に重要であったと言える。「責任を取る」という行為は、その悪行(または不祥事)を認識し、罪を償うことで初めて成立するもの。

責任の所在が見つからぬ際には、それが起こった経緯、メカニズムを徹底解明し、二度と同じ失敗が繰り返されることのないよう迅速に制度改革、法整備等の措置を取らなくてはならない。これは民主国にとって非常に重要な考え方である。

誰かが法を犯して得をすれば、必ずそのしわ寄せが他人に及ぶのである。悪人が得をし、正直者が損をする社会であってはならないはずだ。こうした民主国の基本教育を、日本においても幼児、小学校教育のレベルから徹底しなくてはならない。

― 自己の他ブログサイトより転記 ―

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2011年5月14日

日本にリーダーは必要?

日本で良き指導者が育たない最大の理由は、日本が今も敗戦国であり、既に米国という強力な「リーダー」が存在するからである。そしてその事実から目をそむけようとする国家体制にも大きな問題がある。

敗戦がもたらした連合国による「占領」、これが意味することへの教育が十分にされないまま今に至っている。

米国が日本に有する既得権や同国との従属関係について、日本国民はあまりにもナイーブだ。日本はどこまで独立主権を貫けるのか、果たして本当に独立主権国家なのかなど、再認識があってしかるべきである。逆にここから目をそむけた状態では、自らのリーダーを苦しめ続けである。

政府マスコミの特別な関係も、日米従属関係の下にある。ちょうど王の下で臣下らが「シマ」を分かち合い、権力を用いて私腹を肥やし、民を欺く姿に似ている。これは自らが意思決定最高機関ではないか、国家を外敵から守る最終的な責任者でないために起こる無責任な行動。

国民がこのようなことに関心を持ち、「完全なる主権」を勝ち取ることなくしては、日本国のリーダーがリーダーとしての機能を果たせない以前に、果たす「機会がない」ままとなる。

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