2012年12月24日

NHKスペシャル 2013世界とどう向き合うべきか - 意見募集


Q1 尖閣諸島や竹島めぐる領土問題に、日本はどのような態度で臨むべきだと思いますか?次の中からお選びください。また、その理由もお書き下さい。
l  日本の領土であることを強く主張すべき 
l  問題を“棚上げ”にし、沈静化を目指す 
l  対話を重ね、解決策を模索する 

はじめに、私は日本で生まれ育った外国人です。以下全項、中立な立場をもって述べさせて頂きます。

最終的に「対話」でしか問題は解決に至らないと考えています。「強い主張」の究極な形が武力衝突。しかしその結果、後世・歴史に問題を残すことが少なくありません。「棚上げ」はいい形ではありませんが、対話ができる環境にないのであれば、武力衝突を避けるため「棚上げ」もやむを得えず。


Q2 日中・日韓関係の対立がこのまま続くと、どんなことが懸念されると思いますか?また一番起きて欲しくないことは何ですか?ご自由にお書き下さい。

仮にこのままの状態が続けば、既に民間レベルで進行している隣国との経済的、文化的、個々の友好関係へのダメージ、ロスは計り知れないものになると考えます。既に一部で言われ始めている隣国との断交などは「国民不幸」に他なりません。

嫌だからと別れる事も、相手を押し退けることも、自ら立ち去ることも出来ないのが隣国関係。隣接した国土は過去も未来もずっとそこにあり、その関係は自らの世代はもとより、子の代、孫の代と永遠に続くものです。

日本人は改めて自らの「島国根性」について問い質してみるべきです。過去には自分達さえ良ければそれでよかった島国と、「共存・共生」を重要視してきたアジア・欧州の大陸の国々とでは、隣国に対する国民意識が根本から異なります。これからのグローバル時代、これは日本の政治・教育の中心に据えて行かなくてはならないものです。

一番起きて欲しくないことは武力衝突に他なりません。しかしそれは日本が憲法9条を変えない限り起こり得ないと考えます。上のことからも言えるように、日本国民が右派勢力を支持しない限り、現在のグローバル社会において起こり得ないことであると考えています。もし、「ある」と考える国民が多くいるならば、それは尚更上のような政治・教育方針が必要であることの証左でもあります。


Q3 アメリカのオバマ大統領は、中国の台頭に警戒感を抱き、日米同盟の強化や日本のTPPへの参加など、日本にも一層の負担を求める方針だと言われています。日米関係について、どうお考えですか? 次の中からお選びください。また、その理由もお書き下さい。
l  日米の関係をもっと強化すべきだ
l  日米関係を維持しつつも、アジアとの連携に力を入れるべきだ
l  できるだけアメリカと距離をおき、アジア重視に転換すべきだ

極端な発想による「距離」は必要ありませんが、「自然」な限り、ある程度の距離を置くべきではないかと考えています。

日米政府が言う中国の脅威、北朝鮮の脅威、果たしてそれらを国民はどこまで本気で受け止めるべきでしょうか。これらが脅威であればあるほど、米国および日本の防衛省はそのプレゼンスを高めます。官僚組織の権益は膨らみ、それらは維持され、その規模が大きく、そして長期化するほど、国民生活を疲弊させていくというのが人類史上、例外のない事実です。このような国家は、国民の愛国心を煽り、不必要な隣国脅威論を蔓延させ、隣国との争いが絶えないのが特徴です。いつの時代もこれらを望むのは国の支配層であり、決して国民ではありません。隣国、周辺国関係が良好であれば、このような不要な国民負担を排除することができます。

隣国の脅威を脅威たるものにせしめないのが政府・メディア等の本来の役割。日本ではそれが逆転、彼らがその脅威を維持し、さらにそれを煽っている現状を憂うばかりです。21世紀の現在、必要なのは外交力と国際社会からの支持であり、軍力などではありません。政治、軍事における米国とのこれまでのような関係は、日本の周辺国との良好な関係再構築を遅らせるばかりであり、この異例とも言える全周辺国との不仲こそが、日本の将来性を奪っている主要因であると考えています。


Q4 ヨーロッパでは、領土問題を乗り越え、EUという政治・経済の一体化が進んでいます。アジアでも同じような枠組みを作ることが可能だと思いますか?次の中からお選びください。また、その理由もお書き下さい。
l  可能である
l  難しい
l  わからない

正確には「可能であるが現状では非常に難しい」

この件でヨーロッパにあってアジアにないもの、それは戦犯擁護を禁ずる法律と、過去の過ちを後世に伝えることを目的とした関係国共通の歴史教育です。日本が行ってきた謝罪・賠償が「無駄」に映る現状は、被害国に対するトラウマケア、心のケアを欧州のように重視してこなかったことにあります。謝罪・賠償は飽くまでも謝意表明に過ぎず、それで元通りにリセットされたと扱うことには無理が生じるでしょう。

日本のメディアや、日本人の友人らから多く耳にすることは、「中国・韓国での反日教育が許せない」という言葉です。一歩離れ、外の目でこれを見ると、幾多の素朴な疑問が浮かび上がります。
1.     「反日教育」とは何なのか。そもそも何故、反日教育自体可能なのか。
2.     何故、日本は21世紀の今も「全周辺国」と不仲なのか。先進国としてその異例な隣国関係は、本当に周辺国側からの不当な突き付けに終始するのか。
3.     またそう考えていればそれでいいのか。なぜそれらを客観的に見て議論することはしないのか。

同じく戦争加害国のドイツは、戦後、周辺国との関係改善に尽力し、今もなおその取り組みは続けられています。その結果、今では、ドイツは欧州の「リーダー的存在」とまで言われています。ドイツにできてなぜ日本にできないのか。米国関与、米国保護による戦後処理に日本は甘えきっていないでしょうか。このような姿勢から脱却することなしに、本当の戦後、すなわち周辺国と共に未来を歩む環境が迎えられるとは非常に考え難い事です。


Q5 中国の台頭により世界のパワーバランスが変わりつつある中、また国際社会における日本の存在感が徐々に薄れつつあると言われる中、今後、日本はどんな姿勢で世界と向き合っていくべきだと思いますか?ご自由にお書き下さい。

世界は第二次大戦から何を学んだのでしょうか。自らの存在感を高め、自らへパワーバランスを傾ける政策を取ったことが、不要なイデオロギーを生み、国民に必要以上の愛国心を抱かせ、自国神格化等を目指した主要因であると考えています。しかし当時、そのような政策を一番強く推し進めた日本、ドイツは国を解体され、国民はそのアイデンティティを奪われるに至りました。そして皮肉なことに、そこから一歩距離を置く立場を取っていた米国が、最終的には多くを得るという結果に至っています。そのような政策を重視し成功する時代は、既に前世紀以前、終焉を迎えていたと言うことができます。

質問のパワーバランスの変化は、見方によってはそもそも過去の日本が、世界の強い批判を押し切って軍拡を強力に推し進めたことに、現在に至る大きな変化が始まったと言えます。そして日米がこの戦後パワーバランスを自国へ傾ける政策を重視し、それを根付かせてきたことで、現在の中国の復活、日米弱体化を前に「唐突感」を生じさせています。

日本ではこの唐突感を「軍事的」にどう抑えるかという議論が目立ちます。本来であれば「過去に日本が中国を追い抜き、その中国が日本に追いつき抜こうとしている」といった認識で済ませることも可能であったはずです。

日中の経済交流がこれだけ進んでいる現状を世界から見れば、なぜ日本は「中国脅威論」を掲げてまで、敵視する相手との相互依存を続けるか不可思議に映ります。本当に脅威があるとすれば、それは本来外交力で排除すべきものであり、逆に軍事プレゼンスを高める姿勢を見せれば、「結局、日本は変われなかった」ということを世界に示すことになるでしょう。

「技術革新」が世界を大きく変える今世紀、国家が「存在感、パワーバランス」を考えた政策を重視することが、果たしてどれだけ国民の幸福を得ることに繋がるでしょうか。未だ日本がそれらを重要視することに、国家発展の行詰りを感じるところです。今の日本に必要なものは、国家国民の正しい世界観と歴史観、そして良好な隣国関係です。これらなしにこれらかのグローバル時代を迎えれば、そこには理解を超えた困難が横たわり、ゆく道を阻み続けることでしょう。現在起こっていることはその序章に過ぎません。これを「序章」とするのも、「警鐘」と捉えるのも、全ては日本国民の判断にかかっています。

2012年12月5日

強面の物売り、変わってしまいそうな日本 2/2

変わり果てた日本の現代文化

外貨を稼ぐため、外国との「親交」を重視する国がある。一方で、個々の生活から街づくりに至るまでを、自国の文化と伝統で磨き上げ、それをウリに「外から内へ」金を呼び込む国がある。そしてそのいいとこ取りを目指す器用な国もある。

前者は国の伝統と文化の希薄化につながり、後者はグローバル化との一定の距離を意味する。前者はTPPに留まらず、全世界とのFTAを目指し、後者はそれらを拒む。しかし明治以降、日本はその中間を行ったり来たりしてきた。この「どっちつかず」が国の骨格を曖昧にし、日本のアイデンティティを奪った。変わって「金儲け」主義が台頭、重要な価値観となった。この拝金主義は「金さえ稼げればそれでいい」のである。本来、企業広告すら許されるべきでない人々が集まる駅前に、パチンコカジノや性風俗店が蔓延する社会を形成し、日本はオレオレ詐欺に代表されるよう、新手詐欺開発の場へとなり下がっている。残念なことに、これは現代日本文化、金儲け主義に翻弄される憂慮すべき側面である。

ガラパゴス化で内需喚起

日本国のDNAは本来「国内完結型」なのだと思う。多くの国民は、質素でも質の高いコンパクトな生活を望んでいるのではないか。外との交流を深めるために自らを変えるよりも、日本のいい意味でのオタク・ものづくり精神を大切にし、スイスのような職人社会がより多くの国民に受け入れられる。私はこれで、これからの日本国内の需要を十分に喚起できる体制が築けるのではないかと思う。

超先進的な携帯電話機などはそのいい例であった。しかし国の政策は新興時代のまま、大企業牽引型経済重視である。グローバル化を果たした日本の大企業らは、世界市場での業績維持が存続の基盤であり、長年、政策はここにばかり焦点を当ててきた。しかしこの視点を変えることで規制緩和を促し、大企業支配の市場を中小企業に完全解放すれば、技術とやる気のある13千万の職人市場が一気に活気付く。

また日本のガラパゴス製品を好む外国人も少なくない。これらは輸出ではなく、国内でしか手に入らない「日本限定版」となれば、世界中のオタクが日本に殺到、観光を含めてたっぷりと内需を満たしてくれるに違いない。輸出で稼ぐのでなく、日本に来て頂いてそれらを楽しんでもらう。そんな国造りが日本には望ましいと思う。

■郷に入れば郷に「従ってもらう」

それには、当然のことながら感情面、精神面で他国排除をすることなく、しかし「郷に入れば郷に従ってもらう」体制が必要となる。当然「お上が民を統治」する型の規制は排除し、代わって日本の伝統、人々の伝統を守るための規制を強化する。欧州では自国文化を守る法規制が非常に多く存在する。

欧米人50代以降の世代には、今も日本製品に対する過去のイメージ、「粗悪なコピー商品」といった印象が付きまとい、未だ欧州・米国にこだわる人が少なくないが(日本人の富裕層ですら未だにそうであるように)、現代の若い世代の欧米人、さらに新興国では日本製品に対する抵抗感はない。過去の時点では、日本製品をウリにした世界からの客引きは難しかったかもしれない。でも今なら日本国内限定版をウリに、外国らの「実需のマネー」を呼び込むことができる。フランスやイタリアなどは、自国の魅力を前面に押し出し、外から客を招き入れる国家の成功例である。

「ガラパゴス化」が悪いのではなく、中途半端なガラパゴス化が良くない。一掃のこと明治以前の本当のガラパゴス時代に戻ればいいのである。また江戸時代までの街並みも復活できればこの上ない。もちろんそれは民主体制が主体であり、鎖国や身分制度に戻らないことが前提である。さらに「経済大国」の肩書など隣国らにくれてやればいい。これは日本の伝統的なプライドに何の価値もない。日本には日本にしかない伝統と文化、それで繁栄していけるだけの人口と国土、そして何よりも今はそのファンもいる。

99%」でいい、でも「1%」に国を支配させるな

戦後の政治家、官僚、メディア、業界トップ企業等、戦後の日本を牽引してきたメンバーが、本当の日本の心を代表するメンバーだと言えるだろうか。外に出て自らを売り込む外貨狙いのビジネスモデル、それを国民に押しつける強力な拝金主義者ではないだろうか。昨今、国家の経済運営がうまく行かないからと他国批判を繰り返し、それを国民に刷り込もうとする勢力でもある。この「行け行けドンドン主義」は日本の文化・伝統の品格を下げ、日本の心を奪っている国民はこのようなグループに振り回されることなく、日本本来の姿とその心を取り戻して頂きたいものである。

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2012年12月4日

強面の物売り、変わってしまいそうな日本 1/2

政党の乱立、協調なき日本

乱立する政党、そこには「協調心、和の精神」のかけらもない。自己主張と他党否定、騙し合いの世界。今の日本社会において「協調」は飽くまでも「目標」であり、残念ながら「実態」を表す言葉ではない。期待を寄せていた維新の会も、石原氏と組んだことにより一気に右寄り、隣国との対立路線へと舵を切った。

日本のおしとやかさはどこへ

戦後の日本は非常に友好的な国家であった。過去の行為を真摯に反省し、過去との決別を果たそうとする前向きな国家であり、バラ色の未来が開けているかに思えた。しかしある時点で欧州とは逆の方向に舵を切った。周辺国と共に戦犯擁護、過去への回帰を法で禁じたドイツとは正反対に、自国民への過去の反省教育を行うことなく、それを封印する教育方針を取った。さらには過去を正当化、そこへ戻ろうとする識者や政治家まで現れ、全周辺国との対立姿勢を強めている。

2012年11月6日

「和の国」が持つ全周辺国との不仲

■日本の戦後史は「神聖」?

中・韓国への対抗心をのぞかせる日本のメディア。政府を肩代り、国民の愛国心を煽る役を買って出ている。ここまで来ると新聞と言うより、タブロイド紙や個人のブログといった印象。極めて右寄りな投稿も多い。


今回の日中・日韓問題では、金型を当てたような全く同じ論調しかメディアに登場しない。「反日感情は不当、抱くほうが悪」一色である。「中韓政府が反日を利用している」とメディアはしきりに伝えるも、そもそも何故それ事態が可能なのか、反日感情の発生源、その経緯を掘り下げ論ずることはない


日本はこれだけの経済大国、高就学、本来自由が保障されている国家でありながら、歴史認識とその検証を行うことをタブー視し、何か神聖なもののように扱ってきた。それを疑問視する論調は決して表には出てこない不自然を「自然」と扱ってきた。客観的な立場で見ることが可能な今世紀になっても、戦前・戦後を再検証することは「国家への冒涜」という意識がある。

これは戦前からの政府・大企業・メディア支配が今に残っていることの現れでもあり、米国保護による最大の利点でもある。米国は自国利益を優先し、日本は米国の経済的、軍事的「保護管轄区」といった姿勢を崩していない。戦後、自らの手腕を披露する形で拙速に行った日本の民主化とその内容に、正当性を与え続けている。


■日独教育水準の差


これにより「謝罪・賠償で全て解決済である」と考えるようになってしまった日本と、それ以上に被害国に対する心のケア、トラウマケアが最重要であると考えるドイツには大きな歴史認識の差がある。それは両国の隣国間との発展的な未来構築にも大きな違いを与えている


「我々は過去の過ちを悔んでいる、でも今はその反省から完全に生れ変わったのだ」ということを発し続ける努力を怠れば、これまでの過去の償いが無駄になる。さらにこれを忘れた時点で「結局、我々は変われなかった」と発っしてしまうことになる。先人とは言え、彼らが犯した過ちを学校で教えて悪いはずがない。「無知こそ悪」とも言う。数千年続いたアジア史を一度の過ちで「無」にすべきでない。


「民主教育」が教育の基礎となっている欧米では、相手の心情を察する思考力、相手の立場で考える道徳観の習得を非常に重要視している。犯罪被害にあった人々に対する「心のケア」の重要性についても、このような教育方針、道徳観を持つ社会の中で生まれている。これは日本で「トラウマ」という言葉が紹介される数十年も前に始まっている。


民主教育では、自らの利己的な行動が、他人の損失となって表面化することのアンフェアさを教えている。さらに自らの行いによって他人を傷つけること、その事実を軽視し続けることの「罪」を教えている。これらは日米欧の教育水準の差が鮮明に映る一面でもある。


20世紀中東不和、21世紀の日・中・韓・北」不和は米国覇権の温床


世界で言われている米国の覇権主義は、戦後日本に始まる米軍駐留を今に残している。しかしこの米軍駐留当初の、そして今も残る重要な責務は「監視と抑制」である。もちろんこれは中国や北朝鮮に対するものではない。それは中国の核保有、北朝鮮のテポドン日本上空横断に対する米国の対応を見ることで理解できる。米国からは言葉による懸念表明以上のものはない。沖縄や横田基地等、日本の陸海空に広がる米国支配を見ても、世界一多くの国際監視カメラが設置されている日本の核利用、原発を見ても、その主な監視対象が「対中・対北朝鮮」などでないことは明らかである。


日本の支配層が醸し出す日中韓北の不和が、アジア圏における米国覇権の温床になっている。いわゆる「隣国脅威」という理由がある限り、日本に対する米国の影響力は緩むことはない。すなわち日本への軍事的、領域的占領が解かれることはない。これらを踏まえ、「脱亜入欧」から150年が経過する今、日本はそれを振返り総括すべきである。これは今後とも、日本がアジアにおける地位を維持するための重要なプロセスでもある。


欧米にとって戦後日本はほぼ唯一のアジアであった。しかし今は違う。韓国、台湾、中国等の復活、タイ、マレーシア、インドネシア人気など、世界は再びアジアで溢れ始めている。欧米人は自分たちをフォローするだけの国にいずれ興味を示さなくなる。アイデンティティを尊重し合える関係を持たずして、持続可能な異文化間関係は存在しない。一皮剥けば日米関係にもそれが存在しないことに気付く。


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2012年8月23日

消費税25%でも国民理解は得られる 4/4 ― ギブ&「ゲット」

■課税対象の簡素化と税還付、そして社会保障番号

[上画像は政府サイトより]
高い消費税を課すことは、低所得者をより苦しめることになるとの重要な課題もある。そこで欧米では、以前から項目別に異なる税率を課してきた。よく言われるのが、ドイツでは、ハンバーガーを店内で食べるのとテイクアウトでは税率が異なる。外出中の消費者はドライブスルーでハンバーガーを買い、そのまま駐車場に回って車内で食べることになる。

このような窮屈さを強いられる事実は同税制の大きな欠陥であると言える。全ての消費に一律に課税すれば、当然このような矛盾は解消され、課税体系をできるだけ簡素化することで行政の関与も減らすこともできる。複雑であればあるほど行政は関与を深め、結果、国民の監視がおろそかになる。

低所得者へのサポートは支払済み消費税の還付によって行うが、これには全国内人に、現在マイナンバー制度として議論されている社会保障番号が必要となる。既に先行する韓国などでは、各商店に端末が設置され、消費者は商品購入の際に社会保障番号(住民登録番号)情報のある専用カードを使用し、還付に必要な情報のやり取りをオートメーション化している。またこれは脱税防止に欠かせない制度でもある。日本が参考にできる部分も少なくない。

■国外消費分の還付

「25%」という無視できない税率でも、外国人観光客を減らさず、彼らのみやげ消費を維持するためには、国外消費を目的とした買物への免税または減税措置が必要である。これまでのように輸出業者だけに留まらず、商店が個人に対して販売する際にも、国外使用の商品に対し免税措置が必要である。国内人であれば社会保障カードを利用し、一時滞在の訪問客であれば、国内人の社会保障カードに代わるIDカードを入国時に発行する。商品購入の際にそれを端末に通すことで、還付に必要なデータをやり取りする。空港に窓口を設け、出国の際に買物情報と商品を照合し税還付する。また別送品に関しては、認定配送業者が別送を保証する証明書を発行し対応する。これらの作業には、マイクロチップや二次元バーコードなどが便利である。

■ハードランディングは機能するか

ハードランディングとなる国家破綻、外部救済者介入によるドラスティックな構造改革を個人的には望むところである。根底からの大改革なしには、日本はその持てる能力を発揮できず、いずれまた権益に押し潰されてしまう道を辿ると考えるからである。しかし救済者による介入も完全ではない。現在の韓国を見てもそうであるように、財閥の解体など、一度はIMF介入による改革も実行されたものの、やはり中途半端な形での介入に留まっていたことが今見て取れる。日本のGHQによる介入もしかりである。新旧利権が形を変えプレーヤーを変え、結局は再構築されるのである。現在の主義、体制の下でできることは限られている証しでもある。

■ギブ・アンド・「ゲット」、とにかくやってみる

既得権は権力である。その権力を奪うことは容易ではない。彼らもそれを守るために人生をかけている。利権構造改革に挑むことは重要であるが、それには無限の努力と、気の遠くなる程の時間を必要とする。しかし現在の国の財務状況はそれを許す程の時間を持っていない。いつの日か日本国債が売られ、急激な金利上昇に見舞われればまさに一網打尽となる。これは突然やってくる。これを一時回避するための消費税率引上げ、避けては通れないところまで来ている。ならば国民は交換条件を国に突き付けることを怠ってはならない。

消費税25%と低所得者への還付。所得税とインフラ使用コストの見直し。そして一人10万、夫婦で20万円の生涯保障。医療、教育費の無料化など。皆が共に具体的な改革案を支持し、積極的に訴えかければ、国はそれらを無視できないことを知るはずである。それには国が増税をと願っている今がより効果的である。

2012年8月22日

消費税25%でも国民理解は得られる 3/4 ― 「安心」は消費の原動力


■消費税25%

生涯保障と引き換えであっても消費税25%は大きい。現在、揮発油税込で1万円のガソリン代が10,500円のところ、25%の税率では12,500円にもなってしまう。現在、酒税込5千円のワインが5,250円、消費税アップで6,250円にまで跳ね上がってしまう。しかしこれらは高収入者に対する話である。国内人の多くは支払済み消費税の還付を受けることができる。私の提案では、現在5,250円となるこのワインを、年収200万円未満の納税者は、還付により実質無税の5,000円で購入することができ、同300万円未満なら現在と同じ5,250円、同400万円未満で6,125円、500万円以上は還付なしの6,250円となる。基本的に、低収入者はいくら消費しても無税または減税の対象となるが、還付基準は収入だけに留まらず、保有資産に応じた還付を考慮すべきである。もちろん、競馬やパチンコ、宝くじ等のギャンブル消費へは、その所得に限らず税還付などあるべきではない。

一昨年(2010年)の年齢別人口動態を見ると、65歳以上の人口が29,367,152人となっている。この数を参考に全員への年金支給を計算すると、最高、年間約35兆円が必要となる。現在の給付年49兆円より安くあがる。35兆円に足る消費税率は1417%と試算される。現行の5%と合わせると20%前後の消費税率となる。導入後に受給者が増加すれば、その時点で支給額を減らすか、再び税率を上げることになる。これらを数年毎に国民的議論を交えることを法制化する。

私はこの年金を生涯保障と位置付けている。例えば年に数千万円も稼ぐ老人に対し、国が金銭的な生涯保障を与える必要はないであろう。このような富裕層は、その利益を稼ぎ出すまでに国が提供するサービス、道路等のインフラを直接的、間接的に人一倍使用しているのである。国民負担となる生涯保障は遠慮して頂き、少しでも予算(消費税率)を減らすことに貢献して頂きたい。

■高い消費税率が景気を冷やすという議論

一般的に、高い消費税率は国内消費を減少させ、景気に悪影響を及ぼすとされる。「普通」に考えればこれは事実かもしれない。しかし普通に考える必要はない。これまでにはなかった低収入者への還付もあれば、全高齢者への生涯保障もあるのである。

現在、国内人の大半を占める低収入層は、月に数千円でも節約しようと日々神経を尖らせている。無理もない、一向に増えない収入と、老後保障に不安を抱いているのだから。しかし現在の価値で10万円という年金支給が、老後に保証されるとあらば、生活に必要な買物をするのに今ほど神経を使わなくてもよいはずである。消費行動はより安定的なものとなり、人々は安心、安寧な生活を営むことができるようになる。みながこのような生活を送れるようになれば、そのカテゴリーでの消費に厚みが増し、供給側はバリュエーションを増やすことができる。生活必需品またはそれに準ずる品物が充実することは、日々の小さな豊かさを得ることにつながる。ブランド品で着飾り、高級車を乗り回す生活など、多くの人が望んでいるわけではない。それよりも住まいの住環境、日々の生活をより落ち着いた形で充実させたいのである。

日本より遥かに高い税率も、高福祉を誇る北欧では、消費が大きく落ち込んでいるわけではない。それどこか、みな高福祉であることに安心し、充実した生活を送っている。消費税わずか5%の日本の方が、余程、緊迫した消費生活を強いられている。高い消費税率だけを持ち出し、経済を冷やすだけという議論は、無責任でやる気のない行政と、一部の強欲な企業経営者らの言葉である。実際には基礎年金の引上げで、年金への企業負担は大幅に減少する。実質、企業への補助金とさえなりうる。

■「人口減少高齢化社会」が進むべき道

この消費税率引上げによって税収が増加し、年金等を支給した後に残るものについては、いくつかの欧州国同様、医療・教育に還元したい。大卒までの無料化や、健康保険料の無料化、できれば医療費全体の無料化を実現したい。

人口減少と高齢化により、これまでの構造のままでは国の収入は減る一方である。これを補うために国民的投資ファンドを設立し、日本国内はもとより、世界に向けて投資を行う。民間の投資信託のように、投資および資産状況をオンラインで日々公開する。高齢化社会においては、国民の体力に頼った労働を期待するだけでは、国民生活に必要な資金は稼ぎきれない。先進国には、グローバル社会における知恵の蓄積があるはずである。投資先の企業、不動産等に頑張ってもらい、そこから配当を得て国民を潤すことを考えるべきである。日本が資源国でない*とうたうのなら尚更である。

2012年8月21日

消費税25%でも国民理解は得られる 2/4 ― 夫婦20万円の生涯保障で老後格差をなくす

■年金基金、業界の支配力、そして老後格差

会社員、自営業者、政治家、行政職員、医師、弁護士等、日本ではみな老後保障が異なっている。共産主義のような「単一性」を望みはしないが、その職業に着いたからといって、特別な老後が確立されてしまうような「格差」社会を改めなくてはならない。業界団体は、自らの業界に所属する者とその家族らを囲い込んでいる。業界の権利を守り、あわよくば利権を勝ち取ろうとする力学が働くことは自然である。医師会など政治行政に密接に関わっている団体もある。メディア業界などは影響力を通り越し「支配力」に近いものを振りかざしている。某新聞社グループのメディア王などその典型である。

これらの業界団体は私的年金をうたい、業界メンバーだけを対象にした年金基金を運用している。もちろん各業界が持つ利権、影響力をフルに活用してのことである。これは年金基金というよりはむしろ、利権を動かす基盤となっている。さらに、基金の一部をヘッジファンドに運用させている。ギャンブル性の強いデイトレード、短期売買などが日々行われている。

当然、基金は自らの業界に恩恵をもたらす企業への投資をひいきにする。これは我が国の資本主義に歪みを生じさせ、政治行政を偏った方向に動かす力にもなっている。このようなことが続く限り、悪い意味での天下り行為はなくならず、民主国としてのフェアな社会など構築されるはずもなく、経済格差、老後格差はその度合いを増すのである。よく言う縦割り行政と、業界による利権の囲込みは協業状態にあり、国内に「ブロック経済」を生み出している。富の固定化が進む現在、そのどこにも所属しない一般市民は機会平等を奪われ疲弊していくのである。

業界が自らの権利を守ろうと団結することが悪いと言っているのではない。その団結をもとに、年金運用までする必要はないということである。年金基金は日本経済を動かし得る程の巨額さである。よってその基金への加盟は、全国内人*へ平等に開かれたものでなくてはならない。誰もが利用可能な年金基金とは、市中で購入することのできるファンド形式の運用であり、政府ができることは既存年金基金の解散、代わって所得控除の対象となるファンドを積極的に認定することである。業界団体のメンバーらは、各々の自由な意思でファンドを選択すればよい。ある業界に所属するからといって、全メンバーがその業界に将来性を見出しているとも限らないのだから。

* 国内人: ここでは日本国民及び一定期間以上、日本国内に納税地を置く永住者と定義。

■夫婦20万円の生涯保障、掛金返還、そして自己運用の基本

夫婦で月20万円あれば何とか生活できる。一人10万円ずつ、夫婦で20万円の年金が保証されることで、多くの国内人は「十分ではないが、何とかなる」と感じることができるはずである。もちろんこの年金は消費税収より支払われる。夫婦20万円で足りない部分は、返還される支払済み保険料で補う。近く年金受給が始まる方々は、これまでに2540年程度掛金を納めている。この個人資産は今後、民間のファンドなどを通じ個々で運用する。国に任せ、この先いつ減額または支給自体を止められたり、それまでに支払った保険料が消えてなくなるかもしれない現行のシステムにすがって余生を送るわけにはいかない。

忘れてはならないのは、国内人はみな、自らが日本経済を動かしているコアメンバーであるということ。自らの資産運用、資産維持のため、本来もっと積極的に経済活動へ参加すべきである。投資家のような「金融取引」をする必要はないが、ウェッブサーチや、直接金融機関等へ足を運ぶだけでも、数時間でファンドによる資産運用のための有用な知識が得られる。それでもなお、経済活動へ直接的な参加を望まないのであれば、銀行預金の低利回りに甘んじた生活を覚悟すればよい。「リスクフリーで高利回り」など本来ないのである。

「お上」が世話をしてくれた時代をいつまでも懐かしんではいられない。日本が西側経済の「末っ子」だった時代は当の昔に過ぎ去っている。何でも教えてくれた欧米は、日本を肩を並べる(部分的にはそれ以上の)大人だと思っている。欧米が日本に対して脅威を抱き、それを受け入れて来たのと同様、日本も新興国に対する脅威を受け入れ、それを克服しなくてならない。それには国任せの経済ではなく、個々人が金融、経済に対する関心を抱き、知識を深め、例えわずかであっても、より直接的な国家経済への参加を意識することが重要である。

【ブログ版】 消費税25%でも国民理解は得られる 1/4 Introduction

■税は簡素に、複雑な税構造は行政の介入を招きやすい

税とは本来簡素でなくてはならない。複雑になればなるほど国民理解が得られにくい。個人的には全ての税を「消費税への一本化と、低所得者への還付」で完結すると考えているが、その実現には、それこそ日本の全既得権と戦う覚悟が必要である。国民がコントロールすることのできない権益、目的税、特別会計枠などは非常に厄介な存在である。

日本の通信・水道光熱費は他国に比べて非常に高い。国民生活の基盤となるインフラ使用料が高額なことは大きな問題である。長年、国と蜜月な関係にあるインフラ業界は、新興国にも勝る排他的な規制で守られている。利益率の高いビジネスモデルを維持するため、消費者に高い負担を求めている。そして同時に、これらの企業は膨大な借金も抱えている。「寡占的事業」が、膨大な社債発行を許し、慢性的な浪費体質に陥っている。使用料を下げようにも、今からでは手のつけようのない状態に陥っている。日本は低所得層への課税が緩いと言われるが、高額なインフラ使用料を前に、国は高い税率を低所得者に課すことができないのが実情である。

■業界トップ企業、表向きは社会貢献、裏では強力な政治介入

国はなおも企業業績を第一に考えている。「国が企業を育て、企業が国民生活を豊かにする」と、高度成長期の構図から抜け出せないでいる。この先も莫大な予算を使い、企業への優遇策を整備し続け、業績向上、税収増を望むのだろうか。しかし思惑どおりに事が運んだとしたとしても、それが実るまでにどれだけの年月を要するだろうか。仮に企業業績が上がったとして、それが社員、社会に還元されるのはさらに何年先になるだろうか。そもそも、日本人雇用を減らす一方で外国人雇用を増やす企業が急増する中、業績向上による還元が、どれだけ日本国内に循環するだろうか。そして企業は生産拠点の国外移転を止めるだろうか。

「国家一丸となって他国に打ち勝とう」を推進する時代はとうの昔に過ぎ去っている。本来であれば、日本も各地方政府が地域主権を持つ時代にあるはずである。住民が目の届く地域政府が、よく知る地域の特色を活かした政策、経済活動を個々に推進する時代にある。東京に本社を持った企業だけが世界で認められているわけではない。地方にも世界で活躍する優秀な企業、事業主が数多く存在する。地方へ権限委譲し、技術・金融立国であるスイスのような国(または州)を複数持てばいい。最終的に消費税は、地方自らが税率を考え、消費者を誘致して得ることのできる「地方の財源」でなくてはならない。

しかし霞ヶ関が持つ権限の委譲、地方主権の確立を待っていては、現在政府が拙速に押し進める消費増税に間に合わない。さらに、これらの改革を実行するに必要な時間と体力が、我々には残されているだろうか。ギリシャのように国民に知らされていない部分で、国は待ったなしの極限状態にまで来ている可能性もある。毎年、借金で借金を返す現在の国の財務状況も、ついには増税で借金を返さなくてはならないところまで来ているのではないか。

そこで当面の時間稼ぎ、経済破綻を避けるため議論されるのが消費税率の引上げ議論である。実際にどこまで急を要するのか、そもそも本当に引上げが必要なのかと言いたくなるが、これまでがそうであったように、国は引き上げるときは何が何でも引き上げる。ここではそれをどう阻止するかではなく、結局引き上げられるのなら、国民は何を引換えに勝ち取るべきかを考えたい。

■とにかく避けるべきは国民泣き寝入りの増税

一番避けなくてならないのは、国民が政府、行政、メディアのいいなりになり、なし崩しで増税を受け入れる羽目になること。年金等の生涯保障が明確にならないまま、増税だけが行われるようなことが決してあってはならない。これは国民に得るものがないだけでなく、経済の悪化、富の固定化が進行し、落ちるところまで落ちての国家破綻となりなねない。このとき高級官僚、インフラ企業役員を含む富裕層の資産は海外にあり、彼らは痛みを被るどころか、日本の没落によって相対的な資産価値を膨らませることになる。そして日本が落ちるところまで落ちて再び買い占めるのである。彼らは後の日本復活によって膨大な利益を得ることとなり、国への影響力、支配力を新たに強化してゆくのである。

この支配層ともいえる現在の既得権者が、ほぼリスクフリーで(法整備の遅れを突いて、いや、法整備を遅らせて)、富や機会の平等を国民から奪う国家構造であってはならない。今回の増税で泣き寝入りは禁物である。来る時に備える意味においても、国民は増税と引き換えに必ずや最低限の安心を勝ち取らなくてならない。

2012年8月16日

周辺国との不仲、過去の忘却がもたらす行き詰まりの未来

■過去の暴発― 西と東で異なるその後 「心のケア、トラウマ治療」

今年5月末から6月上旬にかけ、ドイツのサッカー代表チームのメンバーが欧州選手権開催を前に、共催国ポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所を訪問している。メンバーの一人は、「我々の世代に直接責任があるとは思わないが、」と述べた上で、「ドイツがポーランドに行った残虐な行為を今もドイツ国民は忘れていないことを世界に示したい」と述べている。

戦後整理の中で、何よりも繊細で難しいのが、被害国に対する「心のケア」である。これは国家間に限らず、人間関係においても、謝意表明、やり直しに欠かせない重要なプロセスである。ドイツ国民は義務教育で過去について学び、周辺被害諸国への心のケアに尽力し、関係再構築に重点をおいてきた。

2012年8月1日

広がる尖閣領土問題 一方で極めて消極的な原発抗議報道

東アジアの美しい海域。その一つである尖閣諸島とその周辺。日中台がにらみ合い、人々が近づけない状態が長く続いている。一体、何のために。

本来であれば、戦後、誰かが何らかの形で同島を利用することで、同海域はもっと開かれたものになっていたはずである。所有者が個人使用するにしても、第三者によるリーゾート開発をするにしても、ここの美しい自然は今よりずっと価値のあるものになっていたはずである。

■日本政府は自国企業の資源開発も認めない

そもそもなぜ、日本政府は現在のような状態を保って来たのか。政府・メディアの言う、「中国は資源埋蔵を知った時から領有権を主張している」ということが事実なら、裏を返せばそれ以前の中国は、領有権を主張していなかったとの見解になる。

他国が領有権を主張せず、自国民が触れることのできない土地に、日本政府が戦後も国費を投入し続けるにはそれなりの理由がなくてはならない。国民の了解、国民への説明もなく、政府が一個人に金を流す行為は民主国において許されるものではない。さらに資源埋蔵が発見された時点で、日本の帝国石油などが採掘を嘆願したにもかかわらず、日本政府はこれを拒否し続けた経緯もある。中立な私の立場から見ても、日本政府は日中間の領有権問題を常に意識していたと考えるのが自然である。「中国は資源埋蔵を知った時から主張」と言うよりは、「資源埋蔵を知った時から、日本のメディアが中国の主張を報道開始」と言ったほうがしっくりする。

■中国の共産化と米軍の沖縄・琉球支配

中国の共産化は日米両国に多大な恩恵をもたらした。自国の影響力を広範囲に保ちたかった米国は、沖縄、極東の領海支配を継続するに十分な理由を得、日本もまた、日米安保の下、敗戦による領土整理を迫られることなく、被害国への責任も「賠償と謝罪」に留め、戦後復興を迎えることができた。欧州の様に共通の歴史認識と教科書、戦犯擁護を禁ずる法整備、さらに被害国民へのトラウマケアといった膨大な努力と時間を要する作業を省くことができた。

米国が同領域の支配を続けたのも単なる成行きからではない。仮に中国の「国共内戦」で国民党が勝利を収めていたのなら、米国と他の戦勝国らは、敵国の日本ではなく、同盟国の中国を支持していたはずである。そうなれば、今の日本地図からは尖閣は愚か、沖縄すらなくなっていた可能性も否めない。

■蜜月な米中関係、歯がゆい日本の防衛省

米軍の沖縄駐留について、日本では「対中国」をにらんだ地理的側面を強調する軍事評論家で溢れている。しかし実際には、米中関係が悪化するのは戦後数年が過ぎ、中国共産党勝利後の1950年代に入ってからのことである。日本ではあまり言われないが、米中は日本よりずっと以前から深い関係にある。

米国の台頭以前、アジアから見た西欧の代表国と言えばフランス、イギリスといった時代、西欧から見たアジアの代表国は清国である。世界中のもの、カネ、人の交流は清国中心に行われていた。米中の構図は新興国と文明国、ちょうど現在の正反対の関係に当たる。当時まだ若い米国にとって、清国との貿易が最大のビジネスチャンスであった。清国からの輸入品は米国内で高値で取引された。米国に最初に富をもたらしたのは、清国との貿易であると今も言われている。それから一世紀が過ぎ、その清国への航行の際、米国は中継地点として日本に開国を迫ったことは、日本人であれば誰もが知るところである。

日本の開国、近代化のため、米国は惜しみなく新技術を日本に供与した。しかし後にその日本との関係を悪化させたのも、日本が米国の友好国である清国の敵に回ったためである。このとき米国は清朝を支援し、日本を敵に戦うことになる。

冷戦期のわずかな期間を除き、米中の関係は良好である。両国は合同軍事演習を行うほどの仲である。日本政府が言う、または「願う」ほど、冷戦を経た今も米中関係は悪いものではない。日本の防衛省がその白書で、中国を仮想敵国とするのは、予算確保のために常時「敵の存在」を必要とする防衛省の願いが込められてのことである。逆にこの米中関係を見誤ることのほうが、日本の将来にとって危険なことである。

■東電・政府の関係、原発再稼働への抗議運動、使途が明確でない消費増税、オスプレイ・米軍沖縄駐留問題、TPP等― 権力の求心力を高め、国難を乗り切る

先の石原氏の発表。米国嫌いで知られる氏が、わざわざ米国に出向いてまで発信する念の入れようである。日本国内ではこれをネガティブに捉える向きはないが、外から見れば氏も所詮、米国頼みであることが伺える。これまでの反米姿勢はどこへいったのか。結局、氏の行動は米国への属性をアピールしたに過ぎない。パフォーマンス好きのティーンエイジャーが、町の権力者である父親の後光にあやかる姿を演じたようなもの。そこまでしなくとも、中国は日本が、米国に保護されている事実を十分承知している。

既に言われ始めている通り、石原氏や野田氏の言動は、国民の愛国心を利用した人気取りの色彩が強い。「なぜ過去の時点ではなく、今になって尖閣を?」というタイミングである。再選はないとする石原氏と、東電、原発、増税、沖縄米軍基地議論から、国民の関心を逸らしたい政府のコラボである。両者の権力への執着、影響力の保持狙いに他ならない。事実、東京が買おうが国が買おうが、中国の主張が変わる趣旨のものではない。中国にとって、日本の国有地であったほうが扱い易い可能性すらある。この先、中国が黙って手を引くわけがないことは世界中が知るところである。

■自衛隊のイラク派遣、未納三兄弟..過去にも同様のことが

政府マスコミが、連日連夜騒ぎ立てた東シナ海のガス田開発はどうなったのか。何のことない、既に中国側で6機が順調に稼働中である。このうちの一部が、海底地中内部でその資源埋蔵範囲が日本側に広がっている可能性が指摘されているが、彼らがガス田を建設し掘削を行っている海域は、「日中ともに認める中国領海内」である。政府が国民向けに「日本政府は努力しているが、中国が資料を見せてくれない」と発したのは一体何だったのか。日本も同様に日本側で調査・開発を行えばよいのである。結局それをしないのが日本政府。国民感情とはかけ離れた存在にある。

実はこの2004年当時、自衛隊のイラク派遣問題(隊員拉致を受けての撤退論議)や、年金改革に揺れる政治家の年金未納問題が連日取り沙汰されていた。あの「未納三兄弟」の年である。米国に従いたいイラク派遣と、年金未納問題を終息させたい政府は、国民の関心を奪う「特ダネ」を切望していた時である。中国の東シナ海での表立った行動は、それよりさらに数年も前、同海域での調査が始まった時に遡る。にも関わらず、不思議とその年になり突如メディアは同ガス田着工の模様を大々的に取り上げるようになった。

愛国心とは国家の支配層にとって非常に便利な道具である。仮想敵国を作って脅威を煽り、他国を非難することで国民の不満をかわす。人類史上、最もポピュラーな文民統制策である。現在、日本では、権益の象徴ともいえるエネルギー事業を根底から見直そうとのムーブメントが全国的に巻き起こっている。さらに国家破綻回避のためか、使途を明確にできない消費増税を実現させたい時でもある。沖縄問題でも何とかして国民の反対を押し切りたい時である。さらに政府行政と深い関係にある輸出企業を優遇したいTPP問題もある。このような状況下、領有権を巡る問題はうってつけである。

■「不当合意の概念」

過去に世界が認めない軍事政権が、利害関係のある国々と交わした合意、共有した認識等は、後に無効とされることは歴史上よくあることである。ましてや相手国の権力者が自国民に背を向け、自らの権力維持のために敵国と取り交わしたものであれば尚更である。日本政府は未だ、江戸時代の自国の資料に、琉球・尖閣諸島、北海道の一部が国外と記されている事実や、過去の欧州諸国の地図・資料において、尖閣諸島が島毎に、清朝とそれに属する琉球王国の統治下にあると記される事実について、自国民に正式な見解を示していない。

以前より日本政府がその領有権の根拠とするところは、「日本は現地調査を行い、清朝の支配下にないと確認の上、日本へ編入」である。これは間違いなく事実であろう。しかし同時にこれは、上の「不当合意の概念」を覆すものではない。前後のない断片的な事実を歴史から取り出したところで、恒久的な解決を見ることにはつながらない。このことの論拠となっている下関条約では、同じく台湾や朝鮮についても日本はその領有権を主張し、後に占領するに至っている。戦後、その主張がどう扱われたかは世界が知るところである。

ドイツはナチ政権が築いた権益を放棄した。しかし日本の場合、日本の民主化を急ぐ米国により権益解体に十分な時間かけず、それは大まかに分割され現在の霞が関に引き継がれている。これは今でも、日米双方に一定の「利便性」を与えている。

■尖閣領土問題の先にあるもの

北方領土、竹島を見て理解できるように、現在の日本の憲法の範囲内でできることは限られている。米中の更なる関係改善を前に、米国が日本の保護に興味を示さなくなれば、そのときは尖閣どころの騒ぎではない。歴史に見る米国にとっての日本は、中国との重要な関係に割って入った存在でもある。米国政府が債務に苦しむ現在、そして今後数年間、過去の冷戦が日本に与えてくれたような「特別待遇」をあてにすべきではない。

尖閣問題で重要なのは、日本国民が泣き寝入りせずに済む、現実的な道を模索することである。これまでのように日本人の手の届かないまま、時だけが経過していく事態は避けたい。親権問題で自分の子にならないのなら、「誰も触るな、皆で放置しろ」であってはならない。育ての親が誰であろうと、その子の幸せが第一のはずである。島々は幸せを感じなくとも、そこに皆が笑顔で近づけることが、日中台三国の国民の望むところであって欲しい。いつの時代も、一握りの支配層によって引き起こされるのが紛争の歴史である。日中台の三国民には、各国政府・支配層の思惑に引きずられることなのない、冷静かつ知的な考察力、グローバルな見地に立った一個人としての判断力が問われている

アジアの時代と言われる今世紀である。欧米式の統治権の奪い合いではなく、この問題を逆手に取ったアジア的な「柔和の象徴」を築けないものだろうか。日中台、合同で尖閣を統治、開発する道はないだろうか。それが実現すれば、世界における東アジアのプレゼンスは格段に上昇する。影響力を保持したい米国は不意を突かれ、腰を抜かして焦るだろう。そしてこう言うに違いない。「アジアは我々の理解と違った」と。中国が日本に求めるものは、日本が米国から一歩距離を置き、その一歩を中国に近づけること。これが世界から客観的に見てとれるような事象があれば、中国はメンツをかけて日本に対する譲歩を示すに違いない。これからの日中には、欧米が追随できないアジアの姿を是非お披露目頂きたいものである。


2012年7月28日

躍進続く韓国 「円高悪」は日本企業の言い訳

近年、日本企業との比較に何かと取り上げられることの多い隣国の韓国企業。2008年頃からの急激な円高以降、政府やマスコミは、ウォン安にして韓国勢に水をあけられているとこぼすようになった。これはあまりいい比較にはならないと私は思っている。それどころか、少し行き過ぎの感が否めない。

■小国韓国と大国日本

データ面で見れば、韓国の面積は日本の約4分の1、人口約3分の1GDP3分の1以下の小国である。面積、人口ともに、タイよりもはるかに小さい。さらに日本の統治時代、自由な国土開発を禁じられ、大学はその機能を奪われた国である。つい最近まで、この大学教育を禁じられた「学問空白世代」が社会のコア世代であった後発国である。確かに優秀であるとは言え、これだけのハンディを背負った国と自らを比較することに、一体どのような意味があるというのか。

日本の成長期、欧米を見て我が身を振り返る日本は、反省盛りだくさんのとても謙虚な国家であった。しかしいつの日からか、後発国、特に韓国、中国への対抗心を募らせ、これらの国に向けた過度な自慢がはびこっている。日本は「下」しか見ない、下としか比較したがらない国家になり下がっている感がある。アジアトップのプライドはどこへ行ったのか。

■グローバル時代、重要なのは正しい世界観

半世紀以上前に欧米で流行った子育て法がある。「褒めて自信を持たす」である。日本でも20年ぐらい前から流行り始めただろうか。しかし欧米では、日本での導入以前からその弊害が言われ始めている。過度に褒められて育った子供はどのような大人になるか。謙虚さを失い、内弁慶的になり、自己の優位性を感じられる環境ばかりを求めるようになる。

最近の政府、メディアの情報発信には偏りが強くなっている。「自国民・自国企業ヨイショ」も程々にすべきである。そればかりを聞かされて育った世代は、正しい世界観を養う事ができない。いつまでも「『日本の常識は世界の非常識』、それで構わない」ではダメである。これではグローバル時代における日本の地位低下が一層進むことにもなりかねない。

2012年7月27日

過去を引きずる「業界至上主義・業界資本主義」



■業界の道具

1%」が残りの99%を超える富を所有するとされる日米型の資本主義。その中でも「支配層」と呼ばれる層は政治への影響力も大きく、両国では民主性の低下が進行している。


有権者は、自らが所属する企業、業界、地域、宗教グループに繁栄をもたらす政治家を支持し、政治家もまた、票が得られやすいグループ、業界に寄り添う。国民も政治も、みなが業界の道具となっている。誇り高き国家創造を夢みる政治家がいなくなってしまった。「業界」の上に構築される資本主義がもたらすものは、業界による覇権争奪であり、拝金思想が席巻する社会である。世界中でのこのような傾向が見られるが、日米、取り分け日本のそれは異質である。先進民主国では到底許されない寡占事業が、事業主の思うがままに合法化されている。

■過去の忘却に立つ「業界至上主義・業界資本主義」

戦後、日本の民主化を急いだ米国は、旧日本軍の権益解体で非常に激しい抵抗に遭い、これを省略するに至ったとされている。これは形を変えて霞が関へ割譲され、非民主的な権益構造のまま戦後発展を迎えた。政官と関係の深いメンバー(業界または企業ら)でこの権益を独占するに至っている。エネルギー、通信、鉄道、航空等のインフラン事業は元より、酒、タバコ、塩事業をも独占、権益を張り巡らせてきた。鉄道事業主に至っては、沿線都市から住民の人生まで、丸ごと「所有」するかのような多大な影響力を持つに至っている。あらゆる機会を利用して国費を投じ、天下り権益を囲い、一部のメンバーばかりが潤っている。

米国保護の下、日本は自前の思考と技量による戦後整理を省略するに至った。米国の手厚い保護は、日本にとってある意味「ラッキー」であったかも知れないが、同時に、しかるべき形での「整理と自前の国造り」を省いたツケが、先進国としては異例なほど「不仲な隣国関係」を招いている。欧州ドイツとは対照的である。戦後ドイツは自らの脚で立つために、まずは被害国に対する「心のケア」を最重要課題として取り組んできた。70年が経過する今もその姿勢は変えていない。日本の被害国に対するトラウマケアの省略は、過去から未来への大きな「重荷」となっている。それは一般社会における事件や事故等で、被害者が負った心的障害への対応、それを軽視した場合のツケと同じである。近年の日本社会においてもこの「心の傷のケア、その重要性が言われないわけではない。

さらに不幸なことに、この米国保護下の戦後整理は、「帝国時代への決別、日本は変われる、過去を葬り去れ」との思いを強調するがあまり、それまでの日本の誇り、名誉、栄光という価値観をも奪っていった。結果、伝統と誇りを失った日本人は、先進経済がもたらす物資的な豊かさに強く魅了されるようになり、欧米経済に身を寄せ、心身共に彼らに取り込まれていった。過去の忘却に立った「業界資本主義」の始まりである。

■うまみの多い事業を寡占化

業界資本主義の象徴は、うまみの多い事業から利益・権益の独占が始まる。水道、電力、ガス、エネルギー等のライフライン事業を、国と極一部のメンバーによって独占、続いて港湾、空港、鉄道、道路、通信、放送、銀行事業等を寡占化する。国と業界で超排他的規制を策定し、途上国並みまたはそれ以上の規制によって競争を排除する。これが日本流資本主義となる。ODAをうたう途上国での事業も、現地政管と日本企業が日本流の権益を敷き、本来現地国民が得るべき富を奪っている。貧困がなくならない所以でもある。

■見えない未来、抱けない希望

先進国と後発国、西欧と東洋、その間を彷徨う日本。業界・行政による支配、翻弄する政治、整理が進まない過去など、日本はこの先どこへ向かうのか見えない。富と権力の固定化の進行に伴い、このままでは「99%」が一層疲弊してゆくことだけは確かである。「主義」としての民主化に留まることなく、真の民主国への移行、その改革を惜しむ余裕は今の日本にない。ベビーブーマ世代が築いた新興国に対する「リード」、それを次世代へと継承することが困難になり始めている。

関連ページ: 維新ニッポン!


2012年7月7日

日本の支配層、国民感情を巧みに操るしたたかさ

■便利な国民感情

国民感情とは非常に便利なものである。一国の「支配層」はこれを巧みに操り、自らの権益維持に役立てている。

テレビなどでしっかりニュースを見る人も、サラッと見る人も、国民感情に問いかける報道には容易に耳を傾けてしまうものである。「中国人が日本で不動産、土地、水源地を買いあさっている」とか、「中国や韓国が日本で安価な製品を売るから日本企業が困っている」などと言った報道。これを聞けば多くの日本人は、これらの国に対する一種の反感を覚えるものである。好意的に取る日本人はまずいない。

■誰が受益者か

しかし経済学的に見れば、これは日本企業自らの利益追求によってもたらされたものであることに気付く。中国製品を売る日本側の業者は元より、それを買う消費者も、中国人に土地、水源地を売る売主も、みな中国人とのやり取りで利益を上げている。中国人が日本を買っているのではなく、日本の売主が高く買ってくれる中国人を選択しているのである。中国製品を扱う業者も、結局はそれが消費者に選ばれるのを知って扱っている。

逆に中国をはじめ、新興国の国民が日本製品を買わなければ、今頃日本の産業はどうなっていただろうか。中国人が日本での不動産投資に興味を示さなければ、日本の不動産市場は過去の時点で大きく底割れしていた可能性すらある。余程の変わり者でない限り、欧米人はファンドを通じて以外、日本で不動産市場に直接投資することなどない。この経済行動の本質を無視し、政府・メディアの言葉をストレートに受ければ批判の矛先を見誤ってしまう。日本の支配層は国民の愛国心を利用し、自らは結局ただひたすら蓄財に走るのみではないか。

これまで、日本を始めとする先進国は、資源採掘等で引き起こされる中国での甚大な環境破壊等からも目を背けてきた。これは公害物質を含む黄砂の飛来等で既に現れている通り、いずれかの時点で日本を始めとする先進国にその大きなツケが及ぶに違いない。自らが陰で積極的に手を添えている非人道的な労働形態も大問題である。先進各国は自国民に対し、「これらの諸問題は全て中国内の責任」であると、言い続けることができるだろうか

■還元されない利益

日本国民は日本企業を応援する。当然のことであるが、その日本企業は国民に一体何をしてくれるだろうか。政治家、経済学者は「回りまわって国民に利益が還元される」と説くが、果たしてそれがどれだけ効果を生んでいるだろう。つい最近まで、全てのメガバンクは課税を逃れて来た。現在の東電やJALもそれに近い状態。さらに国に資金を援助され、経営難を救済されている。国は国費使用を合法化してまで、このような企業とその経営陣らを救済している。

結局、彼らが稼いだ金は彼らの金であり、税を払わないどころか、他人である一般国民に利益を還元するわけではない。2009年の正月直前にあった「派遣切り」に留まらず、国から補助金まで持って行った日本企業のやり方を国民は忘れてはならない。その後の決算でトヨタは無税かつ、過去最高の現金・金融資産保有高を計上している。日頃は低姿勢に振る舞い、裏ではシッポリと持っていくしたたかさは、日本の拝金主義を象徴する企業だ。

■未だ途上国並みの利権構造

日本企業、特に大企業らは、利益追求のために進んで日本人雇用を絶ち、国内工場をたたむ一方で外国人雇用を増やしている。特に自動車や家電業界などは、円高が収益を圧迫すると政治・行政に圧力をかけては、国費で為替市場を操作させている。雇用を減らすと脅しては国から補助金を得ている。権益維持のため、政治家、官僚らはこれまで相当の出費を国民に課している。輸出企業らが過去最高益の更新、資産を増やし続ける一方で、国民に増税、インフラ使用料金の値上げを強いるのである。

他国をターゲットに国民感情を煽り、求心力を高めようとする行為は発展途上国、共産国、独裁政権が権益維持のためによく用いる戦略である。他のどの国おいても国民感情を煽る行為はあるが、日本のそれは先進国、民主国のレベルにない。政府、行政、メディア、各業界のトップ企業らによる長年の支配により、本来国民に還元されるべき、あるべき権益、権力が奪われ続けている。この権力・権益の固定化、富の固定化を排除し、日本は民主「主義」の範囲に留まることなく、真の「民主国」への移行を果たさなくてはならない。

国民主権の実現を、日本の民主化を。

2012年6月23日

Clubニッポン、国民を巻き込む拝金主義


東電事故に代表されるように、日本では今も企業と省庁らが大きな利権と権限を有している。国民の権利、人権が軽視され、民主主義は表向きに留まる。欧米ではこのような日本の体制をJapan co. ltd(株式会社ニッポン)と呼び、業界、大企業、省庁の蜜月な関係を表現している。私はこれをClub ニッポンと呼んでいる。

Clubニッポンには多くのメディアも加入を果たしている。メンバーでない大衆からの批判回避を手伝っている。既得権を持つ大企業、「上客」らに傷がついては困るからだ。ただし世論が一斉にある企業への非難に向かえば、これに必ず乗ってくる。視聴率を稼ぐためには、結局顧客も友人もないらしい。

本来、国民を代表すべき政治はここへ割って入り、「大衆益」を勝ち取ることがその使命。しかし彼らもその多くが、自らの「席」をクラブ内に置いている。世代をまたいでである。最近ではメンバーらの利権争いが増し、そのシワ寄せが国民生活の疲弊となって表れている。

国を動かすのが政治、政治を動かすのが国民である。国民は自らの利益、イデオロギーによって行動し、国民のそれらは「時代」が提供する。しかし日本の政治、経済の低迷は、互いに譲らない業界同士のせめぎ合い、既得権者の譲らない精神、それらを代弁する議員らによってもたらされている。

一向に民主性が高まらない日本にあっては、支配する側とされる側の二層構造が今も続く。自ら譲ることのない支配層と、自制の精神、協調心を刷り込まれる大衆とに二分されている。このような国家では、わずかなきっかけで強い右傾化思想へと向かう危険性をはらんでいる。憲法曲解から始まり、国家の秘密条項が増加し、世界が「注視」する国家へと変わっていく。気がつけば民主性を取り戻す事ができなくなっている。そのようなことを回避するには、国民自らが正しい歴史観と広い世界観を得て、教育の質、水準を高め、真に国民の代表たる政治家を輩出する以外に道はない。