こうした企業らの通貨安政策要求に従い、先日、政府もついに「市場」に手をつけてしまった。自由競争の促進、保護貿易の排除、市場の透明性と個人マネー流入の促進が強く求められている昨今においてである。多大な国民負担によって多少の円安相場をつくり出したところで、彼らがこの先永遠に生産拠点を海外へ移さない、国内の雇用を奪わないという確証はない。法規制なしには、今後も堂々と生産拠点を海外へ移して行くに違いない。
この先も増え続ける日本の貧困層にセカンドチャンスはあるのだろうか。庶民が資産形成を安心して行える平等かつ透明性の高い市場とその維持が強く求められている時代だと言うのに。
これからの日本に必要なのは個人への給付金ではなく、大企業が提供する種の職でもない。収入は少なくとも人生に生き甲斐を感じることのできる「職」を、一人でも多くの人が得ることのできる社会が欲しい。大企業に振り回される国家構造では国民が得ることのできる「幸せ」は少ない。一層のこと社会の大転換もいいかもしれない。
いかなる権力者であっても所詮、人の子。彼らも「人生防衛」に走っているのではないか、サバイバルゲームに参加しているのではないか、これでグローバルな競争に生き残っていけるのかと、今の日本のあり方を見てそう感じてしまう。これまでの「日本株式会社」方式を続けていては、それが未来の日本に幸せを運ぶとはとても思えない。