2010年9月12日

国民の機会損失と業界のエゴ 4

このような日本の鉄道事業、「世界知らず」な日本の政治家は、昨今の米国鉄道計画における受注合戦に対し、「日本の鉄道技術だけでなく、時間に正確な鉄道運営そのものを輸出して儲ければいい」などと言う。このような発言を可能とするには、発言者は2つの大きな事由を見逃している。

時間に正確な鉄道運行は、「技術」ではなく「技量」である。つまり「術」を持たずとも、「機会・環境・資本」が整えば成し得るものである。


過密ダイヤと、多量の列車の往来をさばく緻密な日本の鉄道運営ではあるが、これには莫大な周辺準備コストを要する。鉄道事業だけを単体で行って捻出できる範囲の収益では、過密かつ正確なダイヤと、その確固たる安全性を得られるものではない。


これは日本のような市場寡占が認められている国か、まだ政官業が強大な支配力を持ち、日本型の鉄道事業が許され得る新興国でしかその恩恵に授かることはできない。


また米国での自動車利用が大幅に減少することなど考えられず、国土横断型の高速鉄道事業において、過密ダイヤと時間に正確な運行に多額の費用をかける必要性もない。


2の事由としては、日本の鉄道車両には衝突安全基準が設けられていない。これは致命的である。日立の英国での受注の際に、それが日本の鉄道車両製造企業の「課題」と報道されたことが記憶に新しいところ。数年前のJR西日本の惨劇も、この法整備の遅れと、収益性追及のあまり安全性を確保できなかった結果に他ならない。


これらの事由をクリアできない限り、米国において日本が「総合的な鉄道事業(運営)」を受注することはほぼあり得ない。車両単体の受注においても、原子力発電事業や水道事業同様、現在では不要な排他的規制と、現在に必要な法整備の遅れがアダとなり、国際競争力の低い企業体質ができあがってしまっている。


関連ページ:

国民の機会損失と業界のエゴ 1
国民の機会損失と業界のエゴ 2

国民の機会損失と業界のエゴ 3