2011年9月15日

EUの試練

<統一か、統合か>  

EUの未来は決まっている。それは現在より強固な、そしてより進化したunificationである。金融、財政の統合は通過点となり、その後「ヨーロッパ」としてどう進化していくのかがまだ見えていない。今はそれに揺れているのである。

明治維新の日本でも、通貨や財政だけでなく言葉や習慣が異なる国々(藩)を一つにまとめ上げた。清国の惨劇を目の当たりにしていた幕府、藩らは、体制を変えずしては列島を守れない情勢にあることを理解し、幾多の試練を経て統一を成し遂げた。そこでは我より国家という「森」を想う精神が、最終的に統一を可能にしたのだと思う。

しかし現代に至っては、つい数年前まで政界や言論界では「日本は一民族、一言語」と主張するなど、少数民族の尊厳が傷つけられてきた。憲法で守られるはずの基本的人権が歪んだ状態で統一に至っている。

私個人としては、今も米軍駐留に苦しむ沖縄、その美しい海や土地がとてももったいない気がしてならない。明治維新によって日本に主権を奪われ、結果的にではあるが琉球王国の民はその尊厳を失っただけでなく、美しい海や温暖な気候を活かした王国発展の機会を奪われた。夢物語として仮に今も琉球王国が存続していたのなら、米軍駐留などは当然なく、アジアの中心に位置する行商の拠点、資源国、一大リゾート国家になっていたに違いない。これができない現状はやはり「トップの影響力は計り知れない」という部分でもある。

中国では多民族、多文化を維持する形で国家が形成された。しかし他国による武力侵略を受ける心配がほとんどなくなった現代においては、資源を抱えるチベットやウルムチのように独立を主張する地域を抱えながらの統合となっている。日本が「統一国家」なのに対し、中国は「統合国家」であると言える。

<ユーロ崩壊を否定>  

欧州が将来的に「一国」という形に近付くとすれば、やはり統一型ではなく、統合型になるのであろう。もちろん現在のEUでは、過去の中国のように皇帝や将軍が軍事力で多民族をまとめ上げようとする必要もなければ、日本や過去のドイツのように民族一元化を目指す必要もない。成熟した民主国とその市民らが和平を望み、言ってみれば自主的に譲り合いの精神を持って和平を保とうとしているのである。よって地域内で二度と武力衝突などを起こさないための手段として、可能なまでの統合を試みればよいのである。日本ではEUの発足について、「米国や日本の経済力に対抗するため、経済規模が比較的小さな欧州諸国が力を合わせることになった」などと捉えられがちであるが、それは誤解である。

現在の危機を乗り越えるため、今とは形を変えた通貨ユーロの在り方はあっていいと思うが、EUの設立意義を想えば、日本の経済評論家などがメディアの前で軽々しく口にする「ユーロ崩壊」などということはまずないであろうと私は思っている。ましてや一加盟国の破綻が、ユーロ崩壊、ひいてはEU崩壊を意味するなどという論調は行き過ぎである。

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