2008年12月21日

日本経済 「再ライズ」なるか..

150年前、横浜で始まった日本の新時代。それまで江戸幕府よって統制されていた情報メディアの解禁、欧米先進技術の受入れを通じ、日本の民主時代幕開けとなった。徳川将軍率いる「士農工商」の身分制度時代、文化の「入替」が行われた。欧米的民主化へと向けた「パラダイムシフト」だった。

現在の日本の政治・社会・経済問題を考える時、果たしてどこまで遡ればその根源が見てくるのか。今となってはこれまでも度々行われてきた「戦後回帰」ではこと足りず、「明治維新回帰」、すなわち武家社会から国民中心の社会へ至る変革時代、さらには日本史上「空白」となっている軍国主義時代から今日に続く、国家構造の歪みについて大いに考察する必要がある。これをもって現代日本の国家構造を刷新できたのなら、今後、後戻りすることないグローバル社会の中で、時代を勝ち抜いてゆける強固な国家が創造できるのではないだろうか。

景気回復過程にあった過去数年間、「日本再ライズなるか」と囁かれたのもつかの間、ディカップリング論もむなしく、米国経済の一部であるかのごとく地に落ちようとしている日本。私が恐れをなすのは経済の崩壊よりも、日本文化と歴史、日本国民としての誇りの崩落である。

米国オバマ政権が打ち出す新エネルギー・環境政策に望みをつなぐ以外、この先長期間、日本経済復活のシナリオがなさそうな気がしてならない。仮にこのチャンスが訪れることがあれば、それがラストチャンスかも知れないという危機感を持って、是非成功に導いて欲しいものである。そして日本国民には再度清く正しい社会秩序と国民性を取り戻して頂きたいと願うのみである。 

2008年12月17日

経済ワールドシリーズ、プレイヤーは復活を遂げるアメリカと眠りから覚める中国

■「若い」EUと中国

「ブッシュ政権の終りは『パックスアメリカーナの終焉』、同国の軍事力も限界に近い」

上はある上場企業CEOの言葉。オバマ政権の誕生と今回の経済危機は、確かに「パックスアメリカーナの終焉」をにおわせる。しかし同時に「逆の未来」を予感させる部分もある。その最たるところは、未だEUも中国も、アメリカに代わる存在としては準備不足であると言うこと。

もちろん文化面ではどちらも優秀であるが、EUはまだその制度が始まったばかりで、世界のリーダーとしては未熟である。中国は政府、社会が深い歴史観、世界観を持ち、その点においては世界をリードし得る資質を備えているかもしれないが、なによりも民主性が欠けている。

米国の軍事に関しては、日本の省庁の政策に限界来ているのと似た行詰り感がある。「国家、国民を守ることが最優先」とは言い難く、役所としての権益や関連産業の既得権維持が目的といった色彩が強い。結果、国民の支持を失い、軍権拡大に反対の声が広がっている。

■「宗教国」としてのアメリカ

日本では全く言われないことであるが、私の周囲の特に富や名声もない平均的な米国庶民は、みな今の米軍行政に批判的である。ブッシュ二世政権誕生当時、友人らはみな口を揃え、「米国は危険な方向へと進み始めることになってしまった」と、無言なまでに落胆していたことを思い出す。

そう考える国民が多数であるにもかかわらず、ブッシュ共和党政権が誕生した背景には宗教的な要素がある。彼らは共和党の戦争と軍事を支持したのではなく、「キリスト教国」であることを支持したのである。日本の与党(公明党)支持者同様、政治の実力以前に、まずは自己の宗教団体所属政党を支持する。よって憲法上の宗教分離が言われながらも、イスラム圏諸国の台頭などで、それに対抗する「宗教力」が働いた結果となっている。

ブッシュ氏の全盛期、キリスト教に基づいた教科書の導入が複数の都市で真剣に議論されていた。それによると「地球は平面であり、太陽と月が地球を周回し、アダムとイヴが人類の先祖で、ダーウィンの進化論は成立しない」などとしている。さらに3人に1人の米国民は「天使の存在(あの羽根の生えた空飛ぶ子供)」を本当に信じているとう調査結果も過去にあった。

■アメリカン・スピリットが成長を支える

多くの民主党員もキリスト教徒ではあるが、少なくとも科学を信じ、頭の中では「政教分離」は必要であると考えている。今回の金融経済危機は幸いにも、過激なまでの米国の宗教色を薄め、中世のような宗教社会へ逆戻りするのを一旦は阻止したのかもしれない。

米国の建国は、既存の宗教の縛りからの解放を求めた「理想郷創造」がその原点。義務教育の歴史の授業では、そうした解放と開拓の精神がアメリカンスピリッツとして教育される。最近の共和党政権が右に向き過ぎた側面は否めないが、それでもやはり一定の開拓精神を備えているはずである。

今後のオバマ氏政権下では、より原点に近い開拓精神によって、他国に先駆けた「復活」を遂げる。そのようなスピリットを持つ米国民が、人生の貴重な時間を無駄にしかねない国家のマイナス成長を長期間許すはずもない。よって早ければ2009年後半にも、米国経済の前進を目前にするのではないか。ただ、良し悪しは抜きに、「永遠の成長政策」を疑問視する声も多い。

■数千年続いた均衡を取り戻しつつあるアジア

昨今の中国復活はアジアに歴史的転換をもたらした。過去の大国衰退期、極東の「小国」であった日本が膨大な国費を投じて近代的軍備を獲得し、地域のパワーバランスを武力で「変更」した。後の暴発、復興後の経済崩壊、隣国の分裂、大国の共産化等で、アジア史に破滅の危機が迫った。しかしここへ来て中国、韓国の復活、日本の足踏み等で、日米欧によるアジア支配に歯止めがかかっている。世界におけるアジアは再び元の均衡を取り戻しつつある。

「パックスアジアーナ」を切望するわけではないが、中国を始めとするアジアの歴史と世界への貢献が、もっとクローズアップされてしかるべきだと思う。とりわけ、自国企業が中国との経済活動によって潤っている事実が日本では正しく理解されていない。バブル経済崩壊後の日本経済も、中国との経済活動によって底割れを回避した面が大きい。日米欧は、中国を始めとする資源国、低賃金国の環境破壊と引き換えに潤い、自国を「クリーン」に保っている事実も言われることはない。

日本の琉球問題より一世紀も前のチベット問題、日米欧政府は今もこれを戦略的に報道し続けている。中国は自国内の異なる文化、民族に対し、日本のような「統一政策」を取ってはいない。少数民族は歴史的に見ても自治体制にあり、その言語、文化の保全は政府によって保護されている。日米が中国との交易で最初の富を両国にもたらした自らの「生い立ち」も、捨てられた敵国の子を我が子のように育てた同国の国民性も、日米欧政府が語ることはない。

■資本主義と一党政治のコラボ

日本の民主性は60年余りでしかない。この若いメンバーの市場が、世界の投資対象となってバブルが発生し、それがはじけて今日に至る。欧米資本によって使い捨てにされた感も否めない。彼らは国内産業を保護する日本の政策に、強い圧力をかけて市場解放を促してきた。もっとも、それはより多くの自由を求めた日本国民の意向をうまく利用したものであって、決して「外圧」が一方的に影響力を行使したわけではない。

この脆弱な日本の民主性とは逆に、中国の一党体制は強力な外交力を備えている。業界、外国資本等によるロビー活動、根回しを困難にし、同政府にはある種の恐れと遠慮をもって接することを余儀なくしている。仮にこのような環境で日米欧関係が構築されていたのなら、日本の市場開放は外圧ではなく、政府によってより計画的に行われ、無防備なバブル発生等を巧みに回避していた可能性が高い。

一党体制の最大の強みは、世界にとってそれほど魅力的に映らない北朝鮮に見て取れる。同国政府は米国政府の政策に影響を及ぼすほどの「互角性」を有している。それは日韓には許されることのなかった核保有にもみられる。

もちろん中国の一党体制には、北朝鮮のそれとは比較にならないほど多くの「自由」が保障されている。しかしそれは先進民主国と比較にならないばかりか、国民の一定の自由と引き換えにある。中国人民には申し訳ないが、ここで民主化を急げば、日本を含む欧米資本にかき回され、結果的にアジアは「強く正しい中国」という未来像を失うことになるかもしれない。「欧米次第」の日韓だけでは、やはりアジアの未来は保てそうにない。

現在の中国共産党そのものを支持するかどうかは別に、今の世界は中国の体制に一定の理解を示している。仮に中国が1978年の改革開放とともに民主化されていたら、過去の時点で欧米資本の「食い物」にされていたに違いない。そうなればこの世にアジア復活はないまま、永遠の時が流れて行ったのではないか。

資本主義と一党政治のコラボレーションを試みる中国。我々はこの実験を見守るべきなのだと思う。それは行詰り感のある世界の欧米主導を緩和する意味においても重要なことかもしれない。

― 自己の他ブログサイトより転記 ―


2008年12月15日

アジアでのリーダーシップ ラストチャンスも逃してしまう日本

日本国政府のお金の使い方はまるで小学生レベルである。お金の使い方に責任を感じることがでない。国民から自動的に集まってくるお金は、「そこにあるから使いたい、使ってしまおう」といったレベルで、子供が誰かからもらったお金を、特に目的もなく使い切ってしまう様子を思い浮かべずにはいられない。

今でもよく耳にすることであるが、あのGHQですら、当時の省庁の権益を崩すことができなかったと言う。当時の省庁の権益、すなわち軍国主義時代の権益。この権益は組織を統括する軍が解体されたと同時に、各省庁へとそれぞれが引き継がれたことであると思うが、この既得権益こそが、今も国家を支配する構造である。

これは民主国としては極めてまれな構造で、民主国家としての基本構造が元々ないのが日本社会の特徴だ。これだけ国家間の競争の激しい時代、今となっては構造改革では不十分であり、必要なのは「新構造への転換」ではないだろうか。

今回の金融危機により、世界が大きく変貌するかも知れないというこの好機を、大変残念ながら、日本の政治家には掴むことができないと察する。週末の日中韓首脳会談でも、今であれば欧米の横やりを交わしながら、日本のリーダーシップで新たな枠組みを開拓できる絶好の機会であったと思うが、どうも「傷のなめ合い」で満足してしまった感が否めない。

今後日本に期待できることは1つ。オバマ政権が打ち出す政策に、少しでも多く、日本の産業が得意とする分野が盛り込まれていることを願うのみ。それが米国の傘の下にある現代日本の実態である。

2008年12月6日

構造的な歪みの是正 そして成熟経済へ..

数日前のニュースで、国土交通行政推進のための「国土交通アドバイザリー会合」が開かれたとあった。そのメンバーは自動車連盟、全国トラック協会、宮崎県知事など。このメンバーを見ただけで、会合の意図が見て取れる。

「国交省行政推進」といった健全なものではなく、「人口、交通量減少という逆風が吹き荒れる中、更なる道路建設推進のためには、どう国民に訴えればいいか」。言葉悪いが「国民をどう言いくるめるか」といった会合に映る。純粋に国交省行政推進のための会合であれば、同省の管轄である他の分野、例えば建築、観光、空港、海事など、他の分野からの専門家も加え、しかも分野別に無数にアドバイザリー会合を設置しなくてはならないはずである。

国民の多くが、戦後最悪かつ超長期景気低迷に苦しむ中、昨年まで過去最高益を更新し続けた企業がある。円安メリットを享受できる大手企業群だ。これこそが、二極分化社会が構造的に支えられている大本であると私は考えている。このような円安メリット企業を優遇する政策は、本来バブル期突入と同時に、方向転換しなくてはならなかった「発展途上国型」の政策である。戦後の生めや増やせやタイプの経済政策は、第3次産業も成熟期に入っている今の日本には、完全に時代錯誤である。

外国へ売る製品を作り続けることが国家にとって真に有益であると考えるのであれば、そこは「もの造り日本」、江戸時代のように、学問より職人を育てることを優先してもいい。しかし円安を好む経済政策は、言わば自国通貨「売り」を推奨し、円安メリット企業を育成することでもある。結果、日本経済の構造的な歪みを温存することになる。

戦後数十年で、日本は世界の先進経済圏から転落してしまった。その後20年が経過する今も、復活の目途すら立っていない。2流が3流にとなろうとしているのである。全先進諸国が戦略的に経済政策を推進する中、高度成長期をとうの昔に終えながらも、未だ大きな構造的な歪みと脆弱性を持つ日本。今世紀、このような国家が生き残ることができるであろうか。

2008年12月3日

世襲政治 失われる国民の夢と希望

日本の総理大臣が簡単な漢字も読めない事実に驚愕した。それは総理大臣の国語力の低さに対する驚きではなく、その程度の国語力でも、一国の総理大臣になることができてしまうこの国の政治レベルに驚愕している。

総理大臣にまで上り詰めるまでには、その能力を問われては磨かれるという幾多の試練があったはずである。その繰り返しを経て、初めて総理大臣にまでなれるものではないだろうか。しかしながら麻生氏の国語力を見ると、この国の政治には知識、能力、政治力とは、何か別の分野での「才能」が必要とされているようだ。

今世紀になっても、未だ非合法ともなりかねないレベルでの「世襲政治」を国民が許し、支持している結果の表れに他ならない。元首相の小泉氏には一定の評価を持っていたが、それも昨今の世襲表明で一蹴した。

一国について考えるとき、私はどこの国にいても、いつもその土地の「ハードとソフト」について全身で感じ取ろうとする。街並や景色など、物質的側面だけでなく、そこに生活する人々の考え方や価値観、政治などについて考察することに興味がある。

一国の社会の質は、民主国家であればその国の政治によって大きく左右される。政治によって決定付けられると言い切っていいかも知れない。そしてその政治は国民によって選択され、それを選ぶ国民は、生まれ育った環境、すなわち親、家族、学校、地域社会、国家によって形成される。ここでまた一周し、国家は「政治の質」で決定付けられる。この(悪)循環を断ち切るには、やはり政治力で断ち切るほか、現状では切り口はない。よって日本にこそ、強いリーダーシップと、尊敬される人間性を持った国民の代表が必要なのだ。

国民が「大きな希望と安心」を持つことができるのなら、そこからは時間を要しても、質の高い国家へと育っていくことができはずである。良いハードウェアを持ちながらも、お粗末なソフトしかない国家では、そこには人としての真なる幸せを感じる人生は築かれない。現在の日本はまさに「金はあるけど愛はない」と言った国家になってしまっている。

社会がこれを良としてしまえば、立派な親も師も存在することなく、犯罪や自殺が増加する一方である。人を騙し傷つけることが、いとも簡単に、日常的に行われている今の空虚な日本社会を、どこかで変えないかなくてはならない。

2008年11月21日

本当に来るか、脱石油社会

今後の資源高時代、取り分け原油高であるが、中国やその他の新興国が先進国レベルに達するとき、原油価格高騰には確かに歯止めがかからなくなる可能性がある。しかしこれには大前提があり、それは「今後も世界がこれまでと同じエネルギー政策を取り続けた場合」と言うこと。

仮にオバマ氏が本気で石油脱却政策を取り、それに“邪魔”が入らなければ、20年以内に石油需要は半減し、その頃には「今後、石油にまつわる経済活動は皆無になる」と言われるようになっているであろう。

電気が経済利用されて以来、人間社会は短期間で劇的な変化を遂げてきた。石油代替政策が米国で本格的に始まれば、現在では想像を絶する20年後の世界がある。

注: 本ブログは自己記録用のため、基本的にコメントへの返信はいたしておりません。お読み頂きありがとうございます。

2008年11月18日

今すぐ米国から中国へ

円安で業績を伸ばす企業がある一方で、円高で業績を伸ばす企業がある。この図式には、これまでの失われた10年、15年間、苦しみ耐えている多くの国民、企業が一方にあり、それとは正反対に、政府の円安政策で恩恵を受け、バブル期を凌ぐ過去最高益を更新している「国際優良企業群」がある。

企業数でいえば、バブル期以降、業績を落とした企業が圧倒的大多数でありながら、円安メリット企業はバブル期以降も最高益をあげているという現状がある。これはこの国の経済政策が、公正なバランス感を失っている証しだ。

円安を好む経済政策とは、言わば自国通貨売りを推奨することで、円安メリット企業を育ててきたことになる。しかしながら、そのような政策は、バブル期への突入と同時に、本来去って行かなくてはならなかったものだ。高度成長期型の経済政策である。戦後と変わらない大企業依存型(および政官業もたれ合い型)の経済政策は、日本経済が今も成熟していない証しでもある。

幸か不幸か、日本国民は今も「舶来品」が大好きである。人によりその対象となる国は異なるが、未だ多くの国民、特に女性は、欧米諸国に対する強い憧れがあるようだ。そのような国民性がゆえ、円高による恩恵は経済面だけでなく、精神面においても、日本人を明るい方向へ向かわせる機動力になるはずである。

仮にハイパー円高時代が訪れれば、国民の生活はたちまち華やかになることが考えられる。憧れのヨーロッパ製品や旅行が半額になり、東南アジアに行けばさらに物価は安すく、いつでもより気軽に楽しめるようになる。国政に圧力をかけ、本業での経営努力を惜しむ企業らは苦しめばいい。彼らが苦しむ隙間があれば、それが「ニッチ」となり、零細企業のビジネスチャンスが拡大する。

しかしながら大手企業は苦しむだけではないはずである。現在彼らは円安により、高額な資源・原材料費を支払っている。強い円政策により、材料コストが大幅に下がるのである。繰り返すが、円高による海外での収益減少分は、国内の個人・零細企業にビジネスチャンスとして還元すればいいのだ。それにより国内に「小金持ち」が増え、国内消費が増加し、結果、円安、海外収益に頼らないビジネスモデルができるからである。

さらにトヨタやキャノンなどは、数でものを言う中国人富裕層、今後成長する中間層をメインターゲットにしていくという、方向転換的な発想があってもいいはずである。日本を含め、先進諸国では車を「消費」する余裕などなくなっていく中、こうした方向転換は必要不可欠である。欧米先進国だけが稼ぎどころではない。収益柱が新興国に移る時代が直ぐそこにまで来ている。いや、既にその時代に到達しているかもしれない。

2008年11月8日

Malfunction 日本の民主主義

国を治めるべき政治が行政と共に私利私欲に走り、それを国民が長年許してきた。結果、13千万の民が互いを信用できなくなり、国から「信」と言うものがなくなろうとしている。

繰り返しになるが、日本は世界で最初に民主主義を「人工的」に持ち込んだ国である。がしかし同時に、世界で最初に民主化失敗を経験する国になのだろうか。そんな危険性を構造的に抱えている。

この先、国民が大きな社会改革を望むことなしには、富める者が国を去り、国際優良企業の国外移転が加速しかねない。自国の文化も、歴史も忘れ去られようとしているこの国に、安定、安寧な未来はあるのだろうか。

2008年9月11日

やはりバブルだった そして弾けた

今回の米国サブプライムローン証券化のように、再び新たな金融商品が世界を駆け巡る時、今後はこのような問題に発展することのないよう、主要国政府が一丸となり監視委員会(または管理委員会)のようなものを設置することができればと願う。

新たな世界的金融商品には、そのような注意深さを国家レベルで取り組んでいって欲しいものだ。これはもちろん、排他的規制をかけることが目的であってはならない。

今回の米国住宅バブルを振り返ると、数年前からその兆候は明らかであった。1999年、滞在中の米ニューメキシコ州において、現地の友人達の間では株や不動産の話で持ちっきりであった。株については当時のITバブル再開の如く、不動産については「必ず来年も値が上がる」と、日本の土地神話を聞いているようであった。

その後の2002年、カナダバンクーバーの友人を訪ねると、土地神話は既に神話ではなく、誰にとってもすぐそこにある、サイドビジネスと化してた。最初は世間の「土地神話」を信じてマイホームを購入。実際に銀行が示す担保価値に気を良くし、次は転売目的で不動産を購入。まさにデイジャブー。日本の80年代後半を見ているようであった。

時が経ち、ところ変われば人も違う。こうしたマネーゲームはその形を変えながら(進化しながら)、将来的にもやはり繰り返し起こるのであろう。

2008年8月8日

「公僕」 その在り方と日本の民主主義

巨額年金基金を費やしたことで知られる「スパウザ小田原」
日本は優秀な技術と人材に恵まれている国であるが、現状ではそれを活かしきっていないばかりか、それを阻害するような政策も見て取れる。先進民主国中、一番多くの公益法人を設立し、巨額の国家予算が飲み込まれている。「公僕」として、国民生活の向上を使命とする行政が、自らの利権を守ることを最優先し、国民が選んだはずの政治家までもがそれを手助けしている。

日本は、世界で最初に外から民主主義を持ち込み、一定の成功を収めた国として他国から一定の評価はある。しかし国民自らが民主化を勝ち取った他の先進民主国とは異なり、政府主導の下、政府・行政に都合の良い民主主義を敷いてきた。その弊害が今、大きく表面化し始めている。

この弊害は国民生活を脅かす存在である。これについて国民は義務教育レベルで学び、それが日本国の最大の弱点であることを国家全体で共有し、改革を推進する必要がある。5年、10年先を見越した経済対策も重要であるが、第一に自らの弱点を克服しない限り、現在のような粗悪な社会が世代を超えて繰り返し訪れることになる。国、他人を信用できず、常に将来不安が付きまとう社会から抜け出さなくてならない。

世界で最初に、外から民主主義を持ち込んだ日本。残念なことに、このまま政治・行政・業界が持つ利権構造の改革が遅れれば、世界で最初に「民主主義を失敗」する国へとなりかねない。「民主主義」から「民主国」への進化が、日本にとって第一の課題である。

2008年5月10日

政権交代とその必要性― 利権構造が国を食い潰す

先進諸国中、日本の貧困率が高い理由、簡単に言ってしまえば「国が国民から吸い取る構造」にある。昨今、国(各省庁)もそれが隠しきれなくなり、特別税、間接税の不正な使途が表ざたになっている。一昔前であれば無知な国民を欺くことは簡単なことであったに違いない。

日本は軍隊としての武力こそ持たなくなったが、軍事政権下の国の利権構造が形を変え、プレーヤーを変え、今も健在だ。戦後始まったとは言え、ガソリン税が職員宿舎やマッサージチェアに使われていたことがその代表的な例。

こうした利権構造は先進民主国中、他に例を見ない。各省庁が自前の財布(特別税)を持ち、それを国民が選んだわけでもない役人や財団が、自らの意思で、自らの将来のために使う。これは日本が民主国でないことの証左。まるで一昔前のロシアや中国、北朝鮮を見ているよう。このような利権構造が残る限り、貧困率の上昇は止まらない。

軍事政権が終わって60年余り。本来国民が持つべき多くの利権が未だ国側にある。日本の権力構造に小泉改革は、遅すぎた上に十分でなかった。このことが今も日本を苦しめている。大きな利権構造が残るがゆえのシワ寄せは弱者に集中する。この先何十年かけ、何十回小泉改革をすれば、この国は真の民主国になるのであろうか。今後いかに小泉政権を超える超改革派が台頭し国をリードできるかが、この国の将来を大きく左右することになる。

重要なことは、先ずはプレーヤーを代えることである。国民は、利権構造を長期間温存してきた政権与党と国とのパイプを一旦は断ち切るべくアクションを取るべきである。政権交代がなければ、この先数十年、あるいは財政破綻まで、政権与党とその下にぶら下がる天下り組織は、この利権構造を温存していくに違いない。仮に政権交代が実現し、新政権が悪さを仕組もうとしても、それには時間を要する。その間に、国民も知識を蓄え、キッチリと国を監視する習慣を持てばいい。

注: 自己の他ブログサイトより転記

2008年2月17日

ニューヨークからのメール

久しぶりにニューヨークの友人(アメリカ人)から長文のメールが届いた。17年前、私が彼と知り合った時、彼はバリバリに左寄りで、当時の共和党政治(パパブッシュ政権)を痛烈に批判していた。その彼が9.11以降、共和党支持に変わったとの驚愕のメールである。

彼は現行ブッシュのイラク戦争において取った政策は批判するものの、イラク戦争を起こしたこと事態は支持すると言うのである。これは現在進行する中国とロシアの緊密な関係や、EUが必死にトルコを取り込もうとしていることからも見て取れるように、エネルギー政策上、アメリカを守る上で必要な政策であったと信じるようになったと言う。また彼は、今後25年以内に、エネルギー、資源、物資調達に伴う対立から、世界はアメリカ側社会と、中国側社会に分裂すると考えていると言う。

このようなエネルギー、資源調達をめぐる世界の分裂を避けるには、ほぼ完全に循環型エネルギーを使用した社会に移行しなくてはならないが、ここにきて、どうやらそれを先に成し遂げるのが、現在、同分野での技術、政策ともに抜きん出ているドイツ、欧州のようである。

日本は中国を生みの親、育ての親として持ち、米国を就職先のボス(?)として持ちながら、この両者を割って入ることのできる政治力も政策も、残念ながら現状持ち合わせていない。この分裂を取り持つことができれば、日本の存在感が増し、将来的に大きなアドバンテージを得ることができるはずであるが、このポジションを日本の良き家庭教師(?)でもあった欧州に奪われてしまうのは大変残念なことである。

事実、ドイツのエコ政策は、日本が追いつくには相当の努力を要するレベルを独走している。過去においては世界一の省エネ技術と省エネ心を持った日本。今となってはこの国が失ったものはあまりに大きい。やはりここでも日本の政治力のなさが致命傷となっている。

世界一ともいえる水資源や、世界で数本の指に入る広大な国家領域(水域を含む)を持つ日本。そこに眠る膨大な資源をないがしろにし、中国にガス油田開発をほぼ無条件で許してきた政治と行政の責任は果てしなく大きい。そしてこれを許してきた大本の国民には、ついにその代償を支払うときが近づいている感がしてならない。

いずれ始まるであろう、日本の国際的優良企業の海外への流出。さらに物的、知的財産を持つ人々の国外への脱出。それを目の当たりにして初めてこの国は動き出すのだろうか。その時点では「時、既に遅し」、流失に歯止めがかからなくなるかもしれない。バブル期以降続く国際マネーの引き上げを、我々はもっと危機感を持って議論するべきである。