2011年2月27日

支配層に食い潰される日本国

最近メディアで「平成の開国」という言葉をよく耳にする。明治の開国、昭和の開国(戦後の開国)、そして今回TPP開国。忘れてはならないのは開国以前(またはそれと同時)には、その準備段階となる「旧態の終焉」があるということ。

これまでの開国には、「民主化と近代化が進んでいた世界」に対応する江戸封建社会(階級制度)の終焉、批判の多かった日本流の領土拡大政策を取った軍国体制の終焉があった。これらの「終焉」には、支配既得権の排除、消滅により、可能性を持った新体制となることが求められた。

「平成の開国」、そのようなものがあるとすれば、「農業VS工業」以前に、国家の財政を国民が手中にすること、すなわち特別財源の完全なる一般財源化と、霞が関の「支配権」の解体なしには、平成の開国なるものは成立しない。

結局GHQも解体しきれなかったという旧軍国体制の既得権。また戦後のどさくさの中で何でもありだった時代に育ってしまった既得権もある。これらが細分化され、形を変え、民主国としての合理性を欠く「支配既得権」となり、現在それを持たぬ多くの国民、企業らを苦しめている。このままでは支配層に国家が喰い尽くされ、日本は再び貧国へ戻ることになるのだろうか。

本来「開国」とは、必要に迫られて行うもので、支配層自らが改革、消滅してしまうことなど決してない。そして必要に迫られる理由とは、現体制の常識が、開国先となる世界に対して通用しなくなったり、機能しなくなったときである。よって今回も既得権を有する「影の支配層」が、その支配を諦めざるを得ない事象が起こらずしては、後で振り返って「開国」などと呼べるものにはならない。

支配層の強権と民の貧困は、地球上のどこであっても、またいつの時代にあっても、相関関係にあるものだ。

― 自己の他ブログサイトより転記 ―

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