2010年2月10日

トヨタ そのリスク許容度は

日本では「お金をたくさん稼ぎ、その金を人目を気にせずに大胆に使う」ことが、長くタブー視されて来た。また頭を使って楽に稼ぐことよりも、体を張って苦労して稼ぐことが「善し」とされて来た。しかしながらそれは表向き。金儲けに関しては控え目に振る舞いつつも、日本は強い拝金主義社会である。トヨタを見るとき、そんなしたたかな日本社会を連想せずにはいられない。

強い拝金主義を抱く人(または企業)に共通していることは、「市場リスクは取らず、権力に寄り添う」という傾向があること。事実は定かでないが、トヨタのような会社が、政府の円安誘導政策に何ら影響力を持たなかったとは考え難いことである。リスクを嫌い、新興市場進出でも他社に後れを取り続けたトヨタ。自動車業界にとっては、後発によるメリットより、そのデメリットの方が大きいのではないだろうか。

社会が安定している時代であれば、リスクを取らない経営は確実である。そして社会が不安定であれば、尚更リスクを取ることができない。しかしながら大きな社会変革の時代、すなわち「パラダイムシフト」が起きようとしている今の時代、「リスクテイキング」なく勝ち続けることができるだろうか。リスクテイキングを否定する企業が、そのような時代と世の中で、初めての大きなリスクを取ることになったらどうなるであろうか。トヨタには「企業リスク」を感じてしまう。

トヨタは名実ともに日本を代表する企業であると同時に、極めて「日本的」な体質を持つ企業でもある。同社の不祥事隠ぺい体質が言われる中、仮に米国政府が「営業停止命令」を下した場合、その対応力が問われるところである。「政治力」など及ばない、国内とは全く異なるが対応能力が問われるからだ。