2011年8月24日

首都移転― 安全かつ機能的、メモリアルな要素を持つ首都構築

■今こそ「譲り合い」の精神を

これまで私は「遷都するなら京都」と願ってきた。東京圏からは消えてしまいそうな日本の伝統とそのプライド保持を願ってのことである。

震災以降、ポツポツと耳にしていた福島への首都移転。今なら比較的容易に行えるのではないだろうか。

そもそもなぜ首都移転が言われるのか。よく言われるのが東京一極集中の回避や、東京の災害に対する脆弱性など。

首都移転で一番難しいのが、その移転先の選択と決定。これはオールニッポンでもめにもめ、挙句の果てには民主的でない力が働く懸念すらある。だから結局実現しない。しかし現在の日本国民の防災意識と、東北被災地への慈悲をもってすれば、一番の難関は最初から排除されているようなものである。今なら移転の重要性を丁寧に説明することで、国民並びに地権者から寛大な理解を得られずはず。本当の「譲り合い」はこういう時にこそ表れるもの。あとは国民の決意次第。

■機能的かつ安全で魅力的な首都を

米国ワシントンDCや豪州キャンベラのACTなどは、ほぼゼロから首都として都市計画されただけあり、他国の首都と比較して機能的かつ災害に強い、非常に安全性の高い首都となっている。このような首都を創造できる絶好の機会が今の日本にはある。先進国にとっては非常に珍しい機会でもある。そして何よりも、被災地への首都移転は、被災へのメモリアル的要素を未来永劫持ち続ける事ができる。

政府行政運営の大幅なコスト削減にもつながる。現在の永田町、霞が関では何かと費用がかかる。民間から借り上げている不動産等の賃料だけでも天文学的な額に違いない。それら全て必要なくなる。さらに中には移転に同意できず、自ら職を辞する職員も多数出てくるかもしれない。IT時代の今、発展途上期の人員数は必要ない。これも固定費の削減要因となる。また言うまでもなく、移転にあたり国所有の不動産全てを民間へ払い下げ、得た資金を首都移転および被災地の復興費用に充てることである。決して官僚の住宅や特殊法人に与えてはならない。

皇居は宮家の意向次第。国会議事堂は歴史的意味も含め、博物館などとして保存。石原氏が誇示するほどの実力を東京が本当に持っているのなら、首都機能などなくとも十分にその魅力を維持できるはずである。