2011年8月21日

ソウルの酒場でチャミスル(眞露)を飲みながら

最近、仕事の都合でソウルへ行く機会が増えた。現地での付き合いも増えた。

先日、日本語がとても流暢なソウル出身の友人二名と、教職を定年退職したという日本の方一名、そして私を入れて4人で飲む機会があった。その日本の方は韓流好きからソウルへ来ていて、既に数ヶ月間滞在しているとのことだった。

ソウルで日本人、韓国人の知人同士が合流して飲むとき、会話が両国間の過去の歴史に触れることはまずない。それより私には全く興味のない、日韓のテレビ番組の話しが度々出てきては盛り上がる。米国、欧州、豪州で生活していた際、酒場ではあり得なかった会話である。ゼロではなかったと思うが、いい大人が目を光らせて、酒場で芸能界の話に盛り上がるようなことはまずなかった。

それはよしとして、今回の4人では珍しく両国間の歴史について話した。欧米文化の色濃い環境で育った私には、竹島/独島問題も、日中間の尖閣諸島問題も、日ロ間の北方領土問題も、正直どうでもいい。ただ今回、日韓間の歴史認識については少し興味が沸いた。

元教員は私に質問する(会話はすべて日本語)。

元教員― 「日韓間で歴史認識が異なる事実についてどう思う?韓国人は日本人がしてきたことに否定的だけど..。一度、中立な立場の人に聞いてみたかった。」

元教員は続ける― 「当時の朝鮮半島で、国内の権力闘争などに明け暮れず、もっと外を見て近代的な軍事力を備えていれば、日韓併合は避けられたんだと思う。外に対して無防備では、結局は外国からの侵略は間逃れない状況だった。」

一瞬、テーブルに沈黙が走る。ソウルの友人ら二人はそっと互いの目を合わせ、下向き加減になる。焼酎のおちょこを手にして会話を変えようとする。

私もどう返答しようかと一瞬戸惑う。友人らがそれ以上話したくないのなら、適当に「きっとそうなんでしょうねぇ」などと口調を合わせ、その会話を終えることもできそう。でも友人に代わり、元教員に伝えたかった。

そこで私― 「ええ、確かに..。多分、私が思うには韓国の方は誰もがそのことを過去の反省と捉えていると思います。国内の権力闘争が外国の侵略を許したと誰もが残念に思っている事だと思います。」

友人らは「そう、そう」とうなずく。 

私は続けて― 「問題は”やり方”なのだと思います。少なくとも当時、20世紀(または19世紀末)のフランスやイギリスであれば、朝鮮人の伝統と尊厳までを奪うことはなかったと思います。」

「併合自体はともかく、やはりその手法は正当化されるものではないと考えています。弱い国は叩かれ、他国に同化されて当然という考えにはあまり賛成できません。しかも20世紀という時代において。」

「歴代総理大臣の謝罪や、日本からの賠償などがなぜ行われたのか。日本軍、政府が行った行為の中で、日本国民に伝えきれていない部分が多少たりともあるのではないでしょうか。」

「その真偽について、これまで両国間で公的な研究がされてこなかったことも残念です。一昔前までは、日本の世界の影響力は韓国とは比べものにならないほど強いものがありましたから、韓国政府は国際機関による公の研究を拒んだかもしれませんが、今は以前より公平な機会が訪れつつあると思っています。」

元教員― 「うん、でも現在の韓国の発展だって、日本の植民地時代に整備されたインフラなどが基礎となったわけですよね。」

私― 「ええ、多分、そのことも韓国国民、誰もがご存知だと思います。」

また「そう、そう」と友人ら。 

私― 「そのような言葉は、例えばある男が少女を拉致、監禁、耐え難い辱めが続き、40年近く経ってその元少女が解放されたとき、その男が、『俺が喰わしてやった飯も、お前が着ているきれいな服も、お前の言葉も知識も全て俺が与えてやってものだろ』と言うに等しいと私は感じます。例え他から見て『稚拙』であっても、彼女は自由な選択肢を持って『自分なりの自分』に育ちたかったのだと思いますよ。」

そこで友人ら二人はまたおちょこを手にとり、「さぁ、飲みましょう」と話しを変える。私は付け加えたかった。その少女は赤の他人ではない。遠い過去、その男の祖先は少女の祖先に、生きていゆく上で非常に多くのことを学んでいるのだと。

多分、日本の多くの方はご存知ないと思うが、現代の韓国人は日本のメディアが強調するほど、対個人への反日感情などはない。あるのは日本政府の歴史認識の扱いに対してであり、これを直接個人に向けるほど反理性的な国民性ではない。それより付き合うほどに、やはり学問の国、哲学の国なのだと感じる部分が多い(教育を受けられなかった世代はまた別かもしれないが)。これは私にとってもやや意外であった。


これまでの人生の中で上のような会話は幾度かあった。韓国や中国は過去の被害を誇張し、日本の謝罪や賠償を国民には伝えないといった風潮があるのは事実であろう。

ただ同時に、あるいはそれ以上に、日本国政府は過去の日本がどこの国で何をしてきたかを、今に伝える義務を果たしていない。そのようなことを外国に行って始めて知ったという日本人の若者は非常に多い。

元総理大臣の小泉氏が、「その意を悪んで、その人を悪まず」などと、加害者の立場から言ってしまうように、そのような意識であってはならないのだと思う。ドイツ政府とは極めて対照的に映る。

最後に、初対面の人との間でよく出てくる会話がある。上の4人で飲んだ晩も例外ではなかった。

元教員― 「それにしても日本語うまいねえ」

私― 「ええ、日本で生まれ育っていますから」

これは私の人生の中で一番よく出てくる会話かもしれない。日本で生まれ育っても、日本人にとって「外国人は外国人」という判断なのだろうか。もう長年言われ続けたことなので慣れてはいるが..。

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