2010年1月28日

G2 米国の狙いは..

G2」結成に向け、動きが活発化している。米国の国際的影響力が減少していく一方、今後長期間に渡り、中国の国際的影響力が増加することを、米国が一番理解していることの表れかもしれない。

米国首脳陣はこう考えたのかもしれない。「中国はフランス以上に自国文化に対するプライドが高く、フランス以上に国際的影響力もある。よって今後とも、フランス以上に米英の思い通りならないことは明白だ。仮に米国が、現在の国際社会での地位を維持することができなくなった場合、そして中国にその座を奪われた場合、国際社会に対し、米国が中国をライバル視する姿を見せるより、米中は近い関係にあると見られた方がいい。それには『G2』のような特別な関係が必要だ。逆に将来に渡り、米中の国際社会での立場が逆転することがなく、さらに中国が立場を弱めたり、仮に何らかの形で暴走するようなことがあれば、その時はG2など解消してしまえばいいだ」と。

日本のバブル経済崩壊直後、まだ「BRICs」と言う言葉も耳にすることがなかった頃、日本の対中国政策への提案として、私が周囲に主張していたことを思い出す。「日本は中国に対する影響力が残るうちに、中国での何らの権益が残るうちに、中国と対等かつ親密な関係構築し、今から中国での権益を育てるべきだ。日本の経済力と科学技術を餌に、無理難題な権益をも構築可能だろう」と。

当時、大方の反応は、「なぜ日本が中国と対等な関係を持つ必要があるのか」や、「そもそも中国がなくても日本は困らない」と言ったものであった。当時の日本は先進の欧米こそが、日本が追いかける姿として捉えており、それにやっと追い付いたばかりなのに、「振り返っても見えないような国のことは考える必要ない」と言った社会の風潮であった。それもそのはず、90年代初頭の日本はバブル経済の余韻たっぷりの時代。政権自民党などは「景気後退入り」すら認めていなかった時代である。世界中どこへ行っても「日本人は金持ち」ともてはやされた時代であった。

正直、当時はこんなに早く、中国が現在の「地位」を得るとは思っていなかった。しかしながら米国での生活で、現地友人らとの関係からみる日本は、あまりに脆弱な国家に映った。社会、経済、政治、国家発展そのものすら、欧米のそれとは比較にならないほど脆弱な構造で成立っている。それはまさに「砂の城」に見えた。

一方で中国は、13億の人口と、強固な一党独裁政治力。将来的な経済発展が声高に言われ、この両者を見た時、そうあまり遠くない将来、「気が付いてみたら立場が逆転していた」なんてことも十分にあり得ると感じていた。

多くの日本人は今も、日本と中国の国際的な立場が「逆転」しているとは思っていないかもしれない。しかしそう思っているのは、やはり日本人だけかもしれない。