2010年1月29日

日本国「総ニート化」― 隣国に学ぶもの

■住環境先進国と経済新興国

グローバル経済を大きく二極に分けるのなら、一極には産業革命以降成長を続けた先進民主国、いわゆる「西側諸国」と、対極に幾多の試練を乗り越え成長を続ける新興国と呼ばれる国々がある。

仏国、独国、北欧諸国、英国、米国などはその生活水準から、やはり先進国であると言える。民主化が進み、個人レベルの生活を収支ベース(補助金等を含む対全所得ベース)で見たとき、その購買力、居住環境等を上回る水準を提供する国は他に見当たらない。

対して新興国側の中国は、産業革命まで世界の富の中心であったとされるが、英国にアヘン漬けにされ、日本を含む列強に国土を蝕まれ、その後の政治的大混乱などを経て国の発展が大きく遅れた。

韓国は今も発展著しい。日本による植民地化のため、自前での発展が許されなかったことや、朝鮮戦争などを経て遅れてスタートを切ったことなどから、これまで国の発展が遅れていた。しかしながら「哲学発祥の地」とされる国民性ゆえか、各学問や芸術性に長け、現在では国家の計画的発展にその才覚を発揮し始めている。それは直近の金融危機まで、世界中から巨額の投資マネーが流入していたことにも表れている。昨今の韓流ブーム以降はまだしも、それ以前の日本での同国に対する評価は目を覆うものがあった。しかしそれとは正反対に、世界からは高い評価を受けていることがデータ上においても伺い知ることができる。

日本は過去の軍事政権の失敗により戦勝国に占領され、その後再スタートを切ることとなった。このため先進諸国に再度大きく後れを取った。その後「経済新興国」とか、「1億人市場オープン」などと欧米先進国にもてはやされ、既に60年が経過するが、未だ「成熟」の域に達しているとは言えない。「自分さえ良ければ」とも思える移民を受け入れない姿勢、政府による民間市場への直接介入と為替操作、ODAと称す政治に近い企業への税を注ぎ込む特別事業の分配など、およそ先進民主国とは言えない部分が目立つ。その差はあるにせよ、韓国とともに言わば先進国と新興国の中間に位置すると見るべきかもしれない。細部に目を向ければ、韓国は既に移民を受け入れ始めている。

■政官業メディアによる国民支配構造を築き上げた日本

一国の経済が高度成長を終えた後は、それまで国内産業を保護していた規制を徐々に解いていかなくてはならない。同時にそれまで仲間意識によって守られて来た暗黙のルールを法制化、そして違反者への罰則を強化する法整備を行わなくてはならない。

高度成長を終え、需要が喚起しきれなくなった日本の国内市場は、外から見ればその魅力が剥落している。「世界の常識」に合う法整備(規制と規制緩和の両面)の遅れは、外資逆流を誘発し、いずれその流出を食い止める事が出来なくなる。特にこの時期、金融、インフラ分野での規制緩和の遅れは致命傷となる。日本はそれらに遅れ、いわゆる失われた10年を20年へと変え、今日ではそれも30年目を迎えている。その間、韓国は空港、港湾の自由化を進めアジアにおけるハブ機能を確立させ、外国資本に対する国内投資優遇などを積極的に進めている。

日本は一通りの発展を遂げたものの、国家として一番重要な国防を他国に依存してしまった。自己の危機管理能力を失う結果を招いている。イラクのように米軍撤退、完全独立を選択、追求する道をこれまで日本国民、指導者らは選択しなかった。カネ(または経済力)の魔力に負け、国家としての自立を忘れてしまった感が否めない。米国依存の選択は、世界の荒波にもまれる機会を長年避け続けることとなった。言って見れば、日本国「総ニート化」してしまったのである。

冷戦下、「新興国日本」の共産化を避けられるか否かが、結果的に東西対立の勝負を分けるところとなった。日本の共産化を絶対阻止しようとする欧米側の配慮からか、それを利用しようとする日本のしたたかさからか、プライドを捨てた欧米模倣・依存体制がニート化から脱却できない体質を築いている。企業のマーケティング力欠如、政治の改革力欠如、行政の国民支配などを現代にもたらしている。

この先、国家の大修正を行わなければ、日本だけが世界の進化からの流れから逸脱することになるかもしれない。「日本は成熟経済」とする世界を知らない経済学者も少なくない。体だけ成長しても「成熟」と言えるものではない。