2010年11月17日

国民の機会損失と業界のエゴ 7

経済界も同様だ。利益相反著しい親子上場であるが、日本ではこれを合法的に行えるのである。さらにこれにはガバナンスの問題も生じている。50%の株式所有で100%の意思決定権を有する。親会社からの「天下り」もしたい放題。これでは「子」が親を超えることはなく、一般から広く資金を集めることのできる公開企業としては、その資質に大きく欠ける。

日本企業らは上場ブームに乗り、絶妙のタイミング図って子会社を上場させてきた。経済学的には説明のつかない高値を付ける上場子会社が出現する。事情をよく知らない個人投資家は、この
1度限りのショーに魅せられ高値掴み。株価はその半分も愚か、3分の1の水準にすら回復することがない。日本で「株が儲からない」と言われる理由の1つである。結局、市場参加者は減り続け衰退してゆくのである。

上のどれを取っても言えることは、必要なところに必要な規制がなく、逆にあってはならない規制がはびこっている結果だと言える。


「歴史は繰り返す」とよくいうが、私が考えるその象徴的な事象は、ある国家に一定の平和と安定がもたらされたのち、既得権を守ろうとする者らの権力が固定化され、権力者はその権力にすがるがあまり規制をしき、他国との競争に必要な自由を奪い、国家の進化・発展を停滞させてしまう。結局、改革によって力を付けた隣国に攻め落とされ、全てを失う。


これまでも述べてきたが、まさに日本は政治、行政、経済界等々、この既得権と権力の固定化により、国家が衰退期に入り始めていると感じる。昨今の日米同盟の変化や、尖閣諸島、北方領土等の隣国の強気な姿勢は、まさにそれが始まりかけていることの兆候ではないかと危惧する。今回の
APECも史上まれに見る議長国の存在感のなさであった。

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