2011年7月26日

日本国民は企業、メディアの便利なツールか 2

日経新聞(Web刊)など、中国の鉄道事故を連日取り上げています。同国の技術の低さ、体制の不備などを連日報道し続けています。

まだ事故について正確なことは何も分かっていない最初の段階から、「開発を急ぎ過ぎた」などとジャッジを加え報道しています。他国の惨事に対する報道と言うよりは、それを皮肉りあざ笑うかのような記事であると感じ始めています。

確かにメディアもビジネス。広告収入のため人目を引き、発行部数、ページビュー数を伸ばさなくてはなりません。また固定客を増やすため、読者受けする内容にする必要があるのかもしれません。

がしかし他国の惨事を皮肉り、あざ笑うような記事が日本では読者受けするのでしょうか。「報道」というよりはむしろ主観論。タブロイド紙やブログといったレベルです。このような場合、社説やコラムなどとして掲載し、報道との区別を明確にすべきです。これができないようでは、報道機関、マスメディアとしての資質に欠けると言えます。

今回の中国高速鉄道の事故は、言われているような批判に値する点が確かに存在すると思います。しかし同じ批判は日本の多くの公共性の高い事業にも当てはまると思います。しかもこちらは年季入りです。

数年前のJR尼崎線の惨事など、日本の鉄道事故においても、その営業体制が問われるものは少なくありません。JALなども、事故にはならなかった運行上のミスや不備など、国への報告義務を怠り、隠蔽していた事実が相次いで発覚しました。さらに技術面においても、鉄道に衝突安全基準が課されていない国は、先進国では日本ぐらいであると考えています。

この件に関して両国は似たような体質でありながら、日本のメディアによる連日の「批判報道」は、外国の事故を伝える報道としてはやや行き過ぎている感があります。