2011年7月27日

日本国民は企業、メディアの便利なツールか 3

今回の中国高速鉄道の事故は、日本の原発事業とも多くの共通点を見せています。技術的な問題や、隠蔽体質的な事故処理のあり方、メディア報道のあり方、そこに至るまでの営業体制や政府行政との関係など。

つい昨日も報道で、「保安院が地域のシンポジウム等でやらせ質問を要請していたことが発覚」とあります。わざわざ「中立でない」保安院なるものを作り、日本の原子力を推し進めるために、まるで国民の目を欺くことが目的かのような体制を維持してきました。

ただし両国の対応では大きく異なる面も出てきています。中国では、責任者は即解任となり、遺族への賠償についても具体的な対話が既に始まっています。一方、日本では4ヶ月半が過ぎる今も、権力争いに奔走し、未だ賠償も復興も進んでいません。

震災における原発事故処理では、日本は当初、フランスや米国の支援申し出を断っていましたが、最終的に技術支援を受け入れるに至りました。これらは日本にはなかった技術であり、それは事故発生当初から分かっていたはずです。事故処理に関する一連の技術は、原発運営に本来必要不可欠な技術です。日本が「国産技術」とする原発の海外販売も、あまり背伸びすべきではないでしょう。

事故の発生頻度やその被害を及ぼす規模に差はあるにせよ、日本の原子力発電と中国の高速鉄道、この両国がそれぞれの技術を「国産」として海外で売り込む姿勢に、私は共通の違和感を覚えます。

日本国民は非常にテレビ好きな国民性です。「毎日見る」だけに留まらず、見ていなくても点けっ放し(?)にしておくほど、生活に浸透しているようです。それ故、幼いころから無意識のうちにテレビから大きな影響を受け、メディア、大企業等の言葉に踊らされ、彼らの便利なツールになってはいないでしょうか。

クロスオーナーシップと呼ばれる日本式メディアのあり方は、その影響力の大きさから、本来存在することができないものです。戦後の財閥解体理由と同様、影響力の集中と暴走を避けるためにも、この解体、改革を急ぐべきであると思っています。

戦時中、「神風は我々に吹く」と世論統制し、国民を苦しめ続けた政府(及び軍)とメディアです。強者が弱者を道具と見るような体質から、今も抜け切れていないといった感があります。強い影響力をメディアが持つ現在の体制ままでは、日本の将来を変えることができないと感じるところです。