2011年11月25日

ドイツの妄想― ユーロ共同債発行とドイツ債の大幅な札割れ

<共同債を織り込み始める市場>  

一昨日1123日、ドイツ国債の入札が大幅に札割れとなりました。各メディアは「ユーロ問題がドイツへも波及」と報道していますが、これに加え、市場が共同債発行をゆっくりと織り込み始めたと見ることができます。

既に言われているように、共同債発行はより高い流動性と信用力を備えた債権を市場に提供することになります。よってこれまでのドイツ国債よりハイリターン、ローリスク、高流動性な債権とあらば、何も今、下落リスクのあるドイツ国債を買う必要がないと投資家は考えるはずです。逆に共同債の発行によって、信用力が低下している国々の破綻リスクが極端に低下することで、現在安値で取引されているこれらの国々の国債を今のうちに買っておこうなどというおかしな現象が今後起ってくるかもしれません。

<ドイツの妥協にかかる共同債、実現可能か>  

共通債の行方はドイツの妥協にかかっているようですが、実際にどこまで実現可能か、そして有効なものなのでしょうか。例えば共同債発行で長期金利が上昇すれば、モーゲッジ金利等の上昇が余儀なくされます。これをドイツ国民が暗に受容できるでしょうか。ギリシャやイタリア同様、国内に大きな反対運動を引き起こし、実現への道にはより多くの時間を要することになります。

<ドイツの妄想とEUの現実>  

そもそも、ドイツ経済とその財政基盤への信用、そしてその裏付けは何でしょうか。もちろんそれは優秀で勤勉なドイツの国民性と、そこからくるドイツ企業、産業の実力に他なりません。しかし米国や日本、その他のアジア諸国などと比較し、国家規模が小さな同国の経済が世界トップレベルにまで発展し信用力を得てきた背景を見るとき、国民の優秀さだけでなく、EUという世界最大かつ最先端の経済圏に位置し、その中心的役割を果たしてきた事実を無視することはできません。

1990年の東西統一以降、社会保障のコスト増などから低迷していたドイツ経済の復活を支えたのはユーロ発足の恩恵によるところです。よってEUの機能不全が長期化すれば、いずれドイツ経済も大打撃を受けることになるはずです。EUと言う森なしに、自国と言う木をどこまで育てることができるのか、内外から西ドイツの発展を見て育ったメルケル首相は、本来このことを十分理解しているはずです。今、ドイツは大きなジレンマに陥っているのです。

<共同債発行と規約制定、どちらが先か>  

今後、共同債の発行へ向け、二つの大きなシナリオが考えられます。一つは市場の催促を無視できなくなり、共同債発行を急ぎ、後に規約等詳細を制定することになるのか、反対にじっくりと時間をかけて規約等を練った後の発行となるかです。自国金融機関への配慮からか、サルコジ大統領は前者の方向で焦っているように映ります。反面、何かと合理性を求めるメルケル首相は後の混乱を避けようと、いずれそこに到達するにせよ、今は性急な共同債発行は避けたい格好です。

<共同債の副作用と更なる市場環境の悪化>  

原点に帰り、共同債は果たして機能するのかという問題も残ります。仮に発行が決まれば金融市場はこれを好感し、当面は相場を押し上げる(または買い戻しを誘発する)強い材料になると思います。しかしもともと財政基盤の弱い国(経済統治能力の低い国)が、これまでの数パーセントも低い金利で大規模な借入を起こすことが可能とあらば、それらの国々ではまたたく間に政治ポピュリズムが再燃し、さらなる借金漬け体質にのめり込んでゆくに違いありません。そのようなことが始まれば本末転倒、結局は問題の先送りとなるだけでなく、後に現在の数倍もの悪い状況を創出するとになります。

<厳格な規約とその適用の難しさ>  

そのようなことを避ける為には、共同債発行に向けた厳格な利用規約と、それへの監視体制が必要となります。EU当局が事ある毎に、各国の予算編成などの財務事情に介入を許すシステムが必要となります。しかしこのようなシステムを構築するまでに、一体どれだけの時間を要するでしょうか。各国の政策議論に要する時間、それらをEU全体で取りまとめる時間、そして各国市民がEU当局による自国主権への強大な権限移譲を受容に要するまでの時間が必要になります。しかもこれらを加盟国全体で取りまとめなくてはならないのです。現在、EUの財政状況にそのような時間は残されているでしょうか。

<解決策、世界経済の牽引役は環境バブルか、それとも今もなお中国頼みか>  

一つ楽観的に考えるとすれば、何らかの形でドイツが折れ、性急に共同債を発行して急場を凌ぐことができれば、詳細な利用規定制定以前に上述の副作用問題が起こったとしても、少なくとも12年、長ければ35年の時間稼ぎができるかもしれません。

この場合、現在、過熱経済の調整傾向にある中国が息を吹き返し、その台頭を後押しする結果につながることが考えられます。現在、EU支援に様々な条件をちらつかせる中国からは、大復活の好機とばかりに躍起になっている様子が伺えます。もちろん、これを「リスク」と扱う先進国は日本と米国ぐらいであり、取り分け日本にはそのような政治的論調が強くあるようです。昨今のグローバル経済における欧州と中国の間では、日米陣の思惑をよそに、過去に長く続いた両者間の関係再構築が既に始まっています。

さらにその場凌ぎの共同債発行であったとしても、稼いだ時間の間、地球上のどこか別の国、別の地域で隆盛を極めことがあるかもしれません。それにより、これまで米国が世界経済を牽引して来たような役割を担うことができれば、現在、EU懸念により抑制されている「環境バブル」が本格始動することも十分考えられます。そうなればEU問題の再燃は、さほど心配することにはならないのかもしれません。

関連日記:

番外: 本日のWSJ日本版に非常に気になるコラムが掲載されていました。これは私が何よりも恐れている事で、そのカウントダウンが始まっているかのような印象を受けました。まだ数年の時間が残されていると思うのですが..。

WSJコラム:

2011年11月13日

オリンパスブランドは割安か

<株主責任>  

「オリンパスの技術は買われる、第三者が買収する、破綻はない」という論調がありますが、私はそのような意見を懐疑的に見ています。

仮に報道されている通り、同社が市場、利害関係者を長年騙してきたとうことであれば、どれだけ高い技術を持とうとも、そのような組織が公に存続することはできないはずです。ライブドアや米国エンロン社がそうであったように、企業が市場、社会に与えた大きな影響を考えれば、やはり既存株主の監督責任が問われなければならないでしょう。

わずかな制裁金を東証へ支払うことで、決算書提出の遅延による上場廃止を回避できるようです。しかしながら犯罪行為があったということであれば、当然上場廃止を避けることはできません。焦点は上場維持ではなく、株主責任の範囲が現在5分の1にまで落ちた株価であるのか、またはその責任が破綻にまで及ぶのかということです。

既存の株主が破綻による引責を回避できるものとしては、第三者による買収が考えられます。買主が仮に現在株価の2倍でTOBをかけるとすれば、約2,500億円、前期末の有利子負債残高は単体でも3,600億円以上、売却可能な資産があるにしても今後請求されるであろう株主への賠償に数千億円を認めることとなれば、1兆円クラスの買物ということにもなりかねません。

仮に訴訟が起こらず、高い技術を有する企業が割安と言うことであれば、まさにバフェット氏好みと言えるかもしれません。しかし事業買収を狙っている企業や投資家がどれだけオリンパスブランドを高く評価しようとも、今後長い刑事訴訟を抱え、どれだけの賠償責任が課されるかという不透明性を考えると、今は誰も手が出せないといった状況でしょうか。犯罪組織とその利害関係者を助けることは、その助ける側のブランドを傷つけることにもなりかねません。一連の報道が正しいということであれば、買収はやはり破綻を待ってからということになるのではないでしょうか。

<大幅下落の後にも連日のストップ安>  

買収を狙う投資家らが「破綻待ち」である事は、株価の値動きにも現れています。

1012日から見ますと、この日ゴールドマン・サックスがオリンパスを買い推奨リストに採用、目標株価をそれまでの16倍近くへ一気に引き上げます。翌13日、一時前日比64%高、直近の高値を付けます。14日、ウッドフォードCOO解任のニュースが流れ寄付きから急落、17%以上下げて引けます。

その後過去の買収に対する疑惑が浮上し、オリンパス株は買い戻されながらも下降を続けますが、ウッドフォード氏解任、そして下落開始から約2週間後の27日、一時前日比26%を超える大幅高を演じます。この時点で市場はブランド価値を再評価し、それを織り込み始めたと見ることができます。

しかし株価が落ち着き始めた後の114日、中間期決算延期が発表され、株価は再び下落開始、翌週明けには「巨額飛ばし」が判明、連日比例配分のストップ安が続きます。ようやく11日(金)になって場中に値が付き、その場中、一時大きく買い戻されるも、結局終値は前日比5%近く下げて引けました。過去20年間のチャートで見る限り最安値となっています。

今回の事では株価が大幅下落の後、一時落ち着つくも、その後のニュースで再下落、連日のストップ安となっています。そして値が付いた後も買戻しは進みませんでした。これは事の全容を株価はまだ織り込んでいないことを示していると言えるでしょう。

今後は、破綻処理の際、オリンパスブランドは高値で競られ、それを勝ち取る価格が安いか、あるいは誰よりも早く、全賠償責任を負う覚悟の上でTOBに踏み切る方が安いかということになります。そこに腕に覚えのあるギャンブル投資家を交え、今後しばらくの間このような狭間で株価は揺れ動くことになるでしょうか。

2011年11月7日

またも爆弾投下― 巨大グローバル市場へ挑む日本政府

<巨大利権化する外為特会>  

このままでは長くは続かない日本の財政事情。その上での巨額国費を用いた市場介入。日本国民は今も輸出企業最優先の政策を本当に望んでいるのでしょうか。ここへ来て諸外国も日本政府の為替操作に対する批判を強めているようです(URL)。

またこのような為替操作は市場に混乱を誘うばかりか、政府、銀行の関係者のうちで本当にインサイダー取引などはないのかという疑問も残ります。よく言われるように、外為特会も巨大な利権の塊と化しています。これが現状のまま存続する限り、日本政府は国民の意を反映する自由な為替政策が取れるはずもありません。今回は7兆円超の規模とされていますが、これだけの国費が別の形で戦略的に利用されれば、国内の貧困を減らす程の政策が打てるはずです。

今回のG20においては、「日本の主張が受け入られた」と日本政府関係者らは自賛しています。日本が主張し採択された文言とは「為替レートの過度な変動、無秩序な動きは経済および金融の安定に悪影響を与えることを再確認する」です。これを耳にして何か特別なものを感じる人がいるでしょうか。「ああ、わが国政府はよくやった」と思う国民がいるでしょうか。経済の常識、否定されることのない文言を予め用意し、それを「主張して認められた」としているに過ぎません。どこかの独裁国、国民向け「裸の王様ショー」を見ているようです。

<政策の稚拙さ>  

正直なところ、日本の政治には稚拙さが浮き立ちます。為替政策においても、ギリギリまで我慢して一気に爆発する。わずか数秒間で数パーセントもの価格を操作します。一国の政府が世界の金融市場に混乱を与えるのです。本来であれば数年先の世界情勢、グローバル市場を予測し、先を見越した戦略を立て、その戦略に見合うよう為替をコントロールしようとするのが一国の為替政策というものではないでしょうか。

各国が市場との対話を重要視するのは、「国はこのような考え、方針を持っている」ということを市場に伝えることで、早まった投機的な動きを抑制することを目指しているからに他なりません。そんな中、日本だけが市場との対話ができないばかりか、首相らが日々口先で市場を挑発し、最終的には「政策」であるかの如く市場へ爆弾を投下してしまいます。

G20カンヌ、李大統領の後方に立つ野田首相>  

韓国や中国、ブラジルなどの新興国、準新興国も外貨買いを行っています。しかし日本との大きな差は、自らの国家構造を緻密に分析し、自国の強み、弱みに叶う戦略を立て、それに沿った外貨買い公表の上、恒常的に行っているということです。極力市場にインパクトを与えぬ配慮の上で為替をコントロールしようとしています。またそのようなやり方が自ずとバランスの良い(自国に有利でありながら諸外国から強い避難を受けない)水準を決定していると言えます。

日本はそのような能力を発揮できず、逆にそのような戦略を有する国々をメディアは「したたか者」呼ばわりします。このようなメディアの言葉を諸外国の国民が聞けば、負け犬の遠吠えにしか聞こえないことでしょう。今回のG20の映像を見ても、韓国李大統領は最前列右端、野田首相はその後ろに「立ち位置」が与えられています。恐らくこれを取り上げるメディア(特に日本では)ないと思いますが、これが現在の世界の目、評価なのです。

国家規模では日本に到底及ばない韓国やシンガポールですが、歩んでいる道は決して日本の後ろではありません。過去のある時点において分岐し、既に別の道を歩んでいるのだと感じるところです。文化、伝統、民主教育に最重点を置いてこなかった自称「成熟国」日本。経済ばかりを強調してきた政策が、強い拝金主義を育ててしまいました。本当の成熟国への道は自ら閉ざしてしまっているという気がしてなりません。

<グローバル経済化した21世紀においても市場に戦いを挑む日本政府>  

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急速に進んだ現在のグローバル経済において、直接的な為替操作などは既に時代遅れの政策であると言えます。今や市場は民間に属し、ウェッブの世界同様、一つの巨大な独自世界を形成しています。

この巨額マネーの世界において、一国の「一時的な対策」がそのコストに見合う効果が得られる時代はもはや過去のものとなっています。今や先進国は利下げや量的緩和などの上に、新たな間接的コントロールが必要です。それらを試行錯誤することでしか、今後は効果ある為替政策を取ることはできないでしょう。

私は円安誘導論者ではありませんが、仮に彼らの肩を持つのなら、外為特会の利権を排除し、その資金を新たな金融緩和の資金に振り向けるべきであると主張する経済学者を支持します。これからの時代、米国債を買い支えるだけの日本式の為替政策は、何ら国民の利するものにならないと考えるからです。

最近よく耳にするように、「取引レート」は実際の通貨価値を表すものではありません。為替政策とは実質実効為替レートを用いて行うべきものであり、それによれば現在は「円高」の状態にはないとされています。そのような環境下で行われる日本政府の市場操作が、先進諸国らの批判の所以であると言えます。

学術的論拠を見せず、現在の相場を「一方的、投機的な円高」であると規定する彼らのやり方は、輸出企業に対する事実上の補助金政策であると言えます。日本政府、メディアがさほど大きな意味を持たない取引レートを取り上げるのは、やはり国民向けのプロパガンダではないでしょうか。

関連ページ: 加工貿易立国の行方

2011年11月2日

パパンドレウ首相は賢者か愚者か..

ギリシャの債務問題に対する国民投票。パパンドレウ首相にはどのような思惑があるのでしょうか。単に民主国としての自国民に対する使命を究極な形で全うしようとするためなのか、それとも緻密な計算の上に遂行されるものであるのか、不可解さが残ります。

仮に後者であれば、国民投票に向かうことで市場が同国のディフォルトを織り込み始め、その逆資産効果が市民に影響を及ぼし、その際に市民がEUによる同国救済案の重要性に気付くことに賭けようというのでしょうか。

読みが外れギリシャがディフォルトに陥れば、イタリア、スペインおよび同国らの金融機関の格下げにつながり、それに伴いフランスも格下げとなれば、当然日米の更なる格下げも考えられます。投機的な売り崩しも相まり、金融市場での米国発金融危機の大底はこれから迎えることになるのかもしれません。やはり今は「キャッシュでホールド」を私は支持するところです。

2011年9月23日

二番底か、それとも大底か

昨日のNYダウは400ドル近く下落して引けました。過去のメールで「ダウは11,700ドル付近まで自律反発し、その水準に25日線が差し掛かる頃、また下値を探る展開になると考えています」と書きました。多くのアナリストも同様に考えていたことでしょう。実際に直近の戻り高値は11,716ドルとなり、25日線を一時は上抜けたもののその後は下落基調で、下値模索の様相を呈していると言えます。

気を付けなくてはならないのは、「PBR1倍割れは割安」や「ここからの下値は限定的」といったアナリストの言葉です。また格付エイジェントの目標株価なるものにも十分気を付けてください。個人的には自然エネルギーやスマートフォン関係などの、テーマ株なども今は警戒すべきであると考えています。

アナリストらのこれらの言葉には大前提があり、「ギリシャのデフォルトはなく、ましてやそれがポルトガル、スペイン等に波及することもなしに、中国もまたこのまま成長を続ければ」ということになります。実際にユーロ安は進行し、上海も年初来安値を更新しています。

私は大方、「2008年の金融危機はまだ終わっていない」と主張するアナリストの意見を支持しています。彼らがいうように、2008年に不良債権化したサブプライムモーゲッジの後処理は何ら進んでいないのが現状です。これらに深く関わった銀行らのツケを各国政府が尻ぬぐいしているに過ぎず、ソブリンリスクは上昇傾向にあります。

921日のFOMCは市場を満足させるものではありませんでした。先日発表された米国の景気対策が議会を通れば、確かに株価底割れを防ぐ下支えにはなりますが、それも一次的な下支えにしかならないと考えています。このまま米国景気後退懸念やEU問題で改善が見られなければ、いずれ世界の金融市場は、米国住宅バブル崩壊の二番底もしくは大底を付けに行く可能性が高まります。但し本当の大底には日本の債務問題も加わり、もう少し先のことになるはずです。

直近、このまま安値を割り込む相場が訪れれば、それはファンダメンタルズ度外視の急落となるでしょう。個別的には考えられないレベルへ下押しする銘柄も出てくるはずです。逆に米国やEU当局の思い切った政策もなしに株価が上昇する局面が来れば(投機筋の買戻しがあれば)、利益確定、損切りを問わずポジションを半減させ、キャッシュポジションを増やすべきであると考えています。

最後に、今は株式投資はタイミングで行うものであると考えています。そして株価とはその水準があってないようなものです。「金」のように現物、埋蔵量によって裏付けられているものとは大きく異なります。「レバレッジを効かせたリスクマネー(架空のマネー)」の流出入で株価は大きく左右され、買われ過ぎ、売られ過ぎ(オーバーシュート)が起こるものです。

関連ページ:

2011年9月15日

EUの試練

<統一か、統合か>  

EUの未来は決まっている。それは現在より強固な、そしてより進化したunificationである。金融、財政の統合は通過点となり、その後「ヨーロッパ」としてどう進化していくのかがまだ見えていない。今はそれに揺れているのである。

明治維新の日本でも、通貨や財政だけでなく言葉や習慣が異なる国々(藩)を一つにまとめ上げた。清国の惨劇を目の当たりにしていた幕府、藩らは、体制を変えずしては列島を守れない情勢にあることを理解し、幾多の試練を経て統一を成し遂げた。そこでは我より国家という「森」を想う精神が、最終的に統一を可能にしたのだと思う。

しかし現代に至っては、つい数年前まで政界や言論界では「日本は一民族、一言語」と主張するなど、少数民族の尊厳が傷つけられてきた。憲法で守られるはずの基本的人権が歪んだ状態で統一に至っている。

私個人としては、今も米軍駐留に苦しむ沖縄、その美しい海や土地がとてももったいない気がしてならない。明治維新によって日本に主権を奪われ、結果的にではあるが琉球王国の民はその尊厳を失っただけでなく、美しい海や温暖な気候を活かした王国発展の機会を奪われた。夢物語として仮に今も琉球王国が存続していたのなら、米軍駐留などは当然なく、アジアの中心に位置する行商の拠点、資源国、一大リゾート国家になっていたに違いない。これができない現状はやはり「トップの影響力は計り知れない」という部分でもある。

中国では多民族、多文化を維持する形で国家が形成された。しかし他国による武力侵略を受ける心配がほとんどなくなった現代においては、資源を抱えるチベットやウルムチのように独立を主張する地域を抱えながらの統合となっている。日本が「統一国家」なのに対し、中国は「統合国家」であると言える。

<ユーロ崩壊を否定>  

欧州が将来的に「一国」という形に近付くとすれば、やはり統一型ではなく、統合型になるのであろう。もちろん現在のEUでは、過去の中国のように皇帝や将軍が軍事力で多民族をまとめ上げようとする必要もなければ、日本や過去のドイツのように民族一元化を目指す必要もない。成熟した民主国とその市民らが和平を望み、言ってみれば自主的に譲り合いの精神を持って和平を保とうとしているのである。よって地域内で二度と武力衝突などを起こさないための手段として、可能なまでの統合を試みればよいのである。日本ではEUの発足について、「米国や日本の経済力に対抗するため、経済規模が比較的小さな欧州諸国が力を合わせることになった」などと捉えられがちであるが、それは誤解である。

現在の危機を乗り越えるため、今とは形を変えた通貨ユーロの在り方はあっていいと思うが、EUの設立意義を想えば、日本の経済評論家などがメディアの前で軽々しく口にする「ユーロ崩壊」などということはまずないであろうと私は思っている。ましてや一加盟国の破綻が、ユーロ崩壊、ひいてはEU崩壊を意味するなどという論調は行き過ぎである。

関連ページ:

2011年9月4日

世界の進化の中で退化する日本 2

世界一高価な通信水道光熱費に、多くの国民が苦しめられている日本。家計を支える為に高校を中退して働く十代が急増する一方で、未だ世界一高品質の道路を作り続ける国家構造にあります。

その一部、日本の電力事業のあり方について、震災を経てようやくメディアがわずかに取り上げるに至りました。数社だけで送電事業を独占し、新規参入を排除する力が今も強く働いています。

日本はほんの数年前まで、人が生きるに必要不可欠な塩を「専売」していた国家。しかも完全自由化されたのは21世紀に入ってからのこと。産業の根幹となる生産、流通、販売の全てを国とそこに関わるメンバーで独占し、その商機を長年国民から奪い続けました。同様のことがエネルギー分野などにおいても行われています。

他の先進諸国民が持っている権利や機会が日本国民には与えられておらず、その一方で、国と関わりの深い限られたメンバーだけが今も潤い続けています。このような国家構造は、国民への現代教育が十分でない途上国や、発展後にも利権が保護されている新興国においてよくみられる構造であると言えるでしょう。

いずれ世界シェアを落とすことが明白な電化製品、自動車産業等にいつまでも依存することなく、エネルギー市場を始めとするモノポリー市場を先進国並みに開放し、経済の活力を取り戻す努力を国は惜しむべきではありません。


2011年9月3日

世界の進化の中で退化する日本 1

毎年恒例となってしまった皇居での内閣認証式。それに付き合う天皇陛下はどのようなお気持ちでいるのでしょうか。

世界では問題を抱えながらも政治は適当に進化し、技術の進歩や経済成長によって未来への時の流れを感じます。日本では家電、エレクトロニクス、自動車産業などの市場では小規模な発展が見られますが、それも新興国時代の日本企業が欧米企業の地位を脅かし始めたのと同様に、この先、世界市場における日本企業の地位低下を食い止めることはできないでしょう。

問題はその先に存在すべき産業と市場が日本にはないか、あっても新産業として成立っていないということです。自然エネルギー、宇宙開発、軍事、航空機などの重工業分野において、開かれたフェアな市場がほとんどないのが実情です。

91日、フランスでは「潮流発電所」の建設現場で、心臓部となるタービンが海底に設置されと報道されています。建設中の潮力発電所は既存のものより規模が大きく、来年の完成時には世界最大の潮力発電量を誇るとのことです。

韓国もまた、数日前に新たな潮力発電所が電力供給を開始しました。この潮力発電所と同国既存の潮力発電所、現在建設中のものを合わせると、フランスを抜き、世界最大の潮力発電量を誇るとのことです。

デンマーク、オランダの風力発電所、ドイツの太陽光、バイオマス発電所、ニュージランドの地熱発電所等、世界では各国の技術を結集して(日本企業の技術も含む)代替エネルギー発電所建設が盛んに進められています。

現代人の生活にとって、食料の次に大切なエネルギー。日本は未だ火力、原子力といった古いタイプの発電所で占められています。また全体に占める割合はわずかでしかない水力発電すら、コンクリートダムが完成してもなお、永遠に税を吸収する構造にあります。そしてこれらの水力発電所は、日本の美しい自然(山、川、海岸)を破壊し続けるといった重大な短所を未だ克服できずにいるのです。

msn産経ニュース: 進まぬ電力新規参入

2011年8月30日

グローバル化時代、最初の覇者は― 米国の侮れない危機管理行動 4/4

仮に米国が金本位制に戻らなくとも、中国が元と金の交換を開始すると発表すればどうなるでしょう。中国はその金の保有量からもより大きなリスクを伴うかもしれませんが、米国債、日本国債の売却と合わせて発表すれば、投資マネーは一気に中国に流入することになります。

中国の経済復興は地球規模の米国支配を終わらせる可能性があります。当然、これを支持するかしないかは個々の自由ですが、一つ言えることは、法的に中国が日本の政策に影響力を及ぼすことはできなくとも、米国にはそれ近いことができる、実際にしているということです。この先も米国が日本の完全独立を認めることなど決してなく、生きるも死ぬも米国次第といった構造があります。

王貴族が国家を形成してきた欧州。皇帝、将軍が多民族をまとめてきたアジア。両地域で暴発国が出現、自民族至上主義という歪んだ妄想に支配され、世界制覇を目論み、世界の和平を乱しに乱しました。その第二次大戦、最終的に多くを勝ち取ったのが第三勢力としての米国でした。混血、実力主義の新大国は、成金主義国へと成長し、世界の常識を大きく変えました。

その米国が今、自国通貨の過剰発券に直面しています。乱発とまでは言えませんが、これは株券同様にダイリューションが進み、ドル通貨の影響力が下がり続けることを意味します。そしてグローバル時代に飲み込まれようとしているのです。

パックスブリタニカに次ぐ、アメリカーナ。次はパックスEUかチャイナか。未だ非現実的な見方かもしれませんが、何があるのか分からないのが今の時代です。色々な可能性と選択肢に備える必要があると考えています。


注: 本ブログは自己記録用のため、基本的にコメントへの返信はいたしておりません。お読み頂きありがとうございます。

逆ニクソンショック― 米国の侮れない危機管理行動 3/4

米国が危機に陥った際、取り得る行動として「逆ニクソンショック」というものを私は考えています。すなわちある日突然、米国が「米ドルと金の交換を再開する」ということです。

私の計算の範囲では、米国が所有する金の価値は、ドル換算で現在のマネタリーベースを遥かに上回っています。つまり米国は金本位制を再開してドルを回収、ドルの信認を高めるに十分な金を持っていると見ています。

ニクソン政権下の管理通貨制への移行の年、1971年末の金価格は41ドル台で推移していますので、現在1,800ドル台であることを考えれば、これでレートを固定した場合、単純に40分の1以下のコストでドルを回収できることになります。

本来、ニクソンショックによって金を大量に保有する義務が解かれれば、米国の金の保有量は減少していてもおかしくありません。しかしその後も米国の金保有量は増え続け、現在もダントツの世界一位を維持しています。よって現在の金価格の高騰とニクソンショックは無関係でないと見ることもできます。

米国の管理通貨制移行当時、以下のような想定があったと考えます。
1.     インフレ、冷戦、世界情勢不安で金の価値は上昇し続ける。

2.     将来的に米国の大国としての影響力が下がり始め、ドルの信認が薄れれば、金価格はさらに高騰する。

3.     米ドルが危機に陥った際には、逆ニクソンショックを起こすことで、低コストでドルが回収できる。

4.     ある程度ドルを回収した後に、再び管理通貨制へ戻すことも可能である。その際に信認は得られないかもしれない。がしかし国家衰退を避ける為にはいかなる手段をも取る、など。

株券乱発、紙幣乱発― 米国の侮れない危機管理行動 2/4

株券に「業績(一株利益)」という裏付けが必要であるのと同様に、通貨も本来、「金」や「銀」などの裏付けが必要です。これら裏付けなく、どちらも許容範囲を超えて発券されれば、あるきっかけをもって崩落へ向かうことでしょう。

ここでの「許容範囲」とは、株式会社の場合、将来の収益力に対する発行済株式総数であり、米国の場合、金の保有量に対するマネタリーベースのことです。

これらの発券行為は、そのどちらの場合も「影響力、統治力を分割譲渡」することを意味し、これに裏付けがなければ(またはあっても乏しければ)、その信認はいずれ失墜し、実力如何を問わず、影響力、統治力を長きに渡り失うことになります。復活すら危ぶまれるかもしれません。

米ドルはパックスアメリカーナに支えられその許容量を増やしてきました。そして金融危機以降、ジリジリとバランスが崩れ始めています。皆がほぼ世界通貨としての機能を認識し、安心して保有して来た通貨です。これへの信認がなくなれば100年に一度は愚か、千年に一度の大混乱になりかねないと考えるところです。

関連ページ: アメリカの影響力

米ドルというババ― 米国の侮れない危機管理行動 1/4

2008年の金融危機を境に、多くの人が米国の大国主義が終わりに近付いている事を感じているのだと思います。これは2000年代初頭からBRICsを見つめてきた人にはより明確に映ったのではないでしょうか。

これからも米ドルはアップダウンを繰り返しながら、またあるとき「米国復活か」などと言われながらも、米ドルという「ババ抜き」は終わることがないのだと感じています。米国はその国力ではなく、紙幣乱発による不信任から衰退に向かうのでしょうか。この流れは止めるには政策の大転換しかなさそうです。

金融危機当初は、邪魔の入らないことを前提に、オバマ氏、ゴア氏タッグによる本格的な脱化石燃料政策などで、米国は世界へのリードを維持するかなどと考えましたが、どうもそのような方向には進まず、足踏みしているうちに事態は悪化へと向かっているように見えます。

2011年8月25日

変化に賭ける健全化

<民主化は湧き出るもの、持ち込むものではない>  

日本の民主性を先進民主国レベルにまで引き上げるには、最終的にはもう一度「敗戦」が必要なのかもしれない。もちろん軍事的な敗戦などではなく、経済的な敗北、すなわち国家のディフォルトである。これによる国際機関の介入以外に、法で非民主的に守られている官の既得権が一掃されることはまずあり得ない。

政官業の既得権者らが、自ら進んで既得権を諦めるはずなど決してない。王政の破壊、すなわち既得権の破壊は、過去の日本の民主化の時代のように、恵まれた立場にあった人物らが世界に倣えと外から持ち込んだ程度は、決して定着しないということである。

残された時間が数世代分(2550年)あれば、国民に民主国の本来の在り方を再教育することができる。時間はかかっても、本来これが一番確実かつ意義のある改革手段である。しかしそれを待つ程の体力が残っているだろうか。

<清算は早い方がいい、それも「計画的」が望ましい>  

現在の日本は、デフォルトに向かう企業に例えることができる。多大な借金を抱えながらも、役員は当然のように保護され、その下で社員らはリストラ、減給、サービス残業に苦しんでいる。

重要なのは、その企業がデフォルトに陥るのなら、早ければ早いほど社員には人生をやり直す体力が残されているとである。逆にジリジリと長引かせれば、役員だけが生活水準を保ちつつも、社員らはどんどん疲弊していくことになる。そのとき社員らは疲れ切ってしまい、残された人生をやり直す体力すら残っていない。

これを国レベルで見れば、官民の生活水準格差が広がり、自殺者が増加することに現れる。政官厚遇に対し、増加する国民貧困層等は、デフォルトに向かう企業の役員らと、使い捨てにされる社員を見ているよう。

何れにせよ、時間をかけて国民への民主教育も、デフォルトからの新規一転も、大きな賭けとなることは間違いない。


2011年8月24日

首都移転― 安全かつ機能的、メモリアルな要素を持つ首都構築

■今こそ「譲り合い」の精神を

これまで私は「遷都するなら京都」と願ってきた。東京圏からは消えてしまいそうな日本の伝統とそのプライド保持を願ってのことである。

震災以降、ポツポツと耳にしていた福島への首都移転。今なら比較的容易に行えるのではないだろうか。

そもそもなぜ首都移転が言われるのか。よく言われるのが東京一極集中の回避や、東京の災害に対する脆弱性など。

首都移転で一番難しいのが、その移転先の選択と決定。これはオールニッポンでもめにもめ、挙句の果てには民主的でない力が働く懸念すらある。だから結局実現しない。しかし現在の日本国民の防災意識と、東北被災地への慈悲をもってすれば、一番の難関は最初から排除されているようなものである。今なら移転の重要性を丁寧に説明することで、国民並びに地権者から寛大な理解を得られずはず。本当の「譲り合い」はこういう時にこそ表れるもの。あとは国民の決意次第。

■機能的かつ安全で魅力的な首都を

米国ワシントンDCや豪州キャンベラのACTなどは、ほぼゼロから首都として都市計画されただけあり、他国の首都と比較して機能的かつ災害に強い、非常に安全性の高い首都となっている。このような首都を創造できる絶好の機会が今の日本にはある。先進国にとっては非常に珍しい機会でもある。そして何よりも、被災地への首都移転は、被災へのメモリアル的要素を未来永劫持ち続ける事ができる。

政府行政運営の大幅なコスト削減にもつながる。現在の永田町、霞が関では何かと費用がかかる。民間から借り上げている不動産等の賃料だけでも天文学的な額に違いない。それら全て必要なくなる。さらに中には移転に同意できず、自ら職を辞する職員も多数出てくるかもしれない。IT時代の今、発展途上期の人員数は必要ない。これも固定費の削減要因となる。また言うまでもなく、移転にあたり国所有の不動産全てを民間へ払い下げ、得た資金を首都移転および被災地の復興費用に充てることである。決して官僚の住宅や特殊法人に与えてはならない。

皇居は宮家の意向次第。国会議事堂は歴史的意味も含め、博物館などとして保存。石原氏が誇示するほどの実力を東京が本当に持っているのなら、首都機能などなくとも十分にその魅力を維持できるはずである。

2011年8月23日

前原氏、本日出馬

前原氏はいつか総理大臣になることでしょう。しかしながら仮に今回当選することがあっても、現状では、それは決して日本国の為にならない。

今の日本の政治に一番重要なものは、政府与党が一丸となって国を動かす体制。政策よりも何よりも、裏があろうが無かろうが、今は日本を動かす「政治力」が何よりも必要である。

仮に前原氏が党トップとなった場合、党内の亀裂はより深まるばかりではないだろうか。現在の氏は、国民(特に若者)の愛国心に訴えることはできても、党をまとめ上げる根回しができていない。これが意味することは内部分裂であり、権力闘争であり、それこそがこれまでの官僚が望む日本の政治体制である。

もし本当に小沢氏が、現在の日本のラストカードとなる実力を有する存在であるのなら、氏は無派閥かつ政治的調整力に長けた馬渕氏を推すことでしょう。


2011年8月22日

ギリシャの離脱は本当にあるのか

過去にヤミ起債や粉飾決算などで揺れた夕張市。同市がディフォルトに陥ったからと言って、日本国からの離脱を望む者がいただろうか。同様にEUの使命を失う事態に陥りかねないギリシャの離脱を、EU市民が容認するとは思えない。

私が以前から思うことは(過去に同様のことをECBへも書いているが)、通貨ユーロを一気にまとめるのではなく、先ずは財政状況に応じていくつかグループに分け、最終的に一つにできればいいのではないかということ。現在の収斂基準である対GDP比財政赤字などを基準にランキングし、通貨を分け、政策金利を調整する。

例えば、対GDP比財政赤字が2.5%未満の国であれば、A格としEuro Aを、2.55%をB格としてEuro Bを、それ以上であればCEuro Cなどとする。

重要なことはどの国もEuro Bから始めることである。開始年月を設定し、それまでの財務状況に応じてランキングを開始する。そしてギリシャ政府のようにEU市民を欺く行為が発覚すれば、関係者には厳罰な処分を持って対応することが必要である。

もちろんそう単純なことではないが、もしEUがこのような何らかの抜本的改革を行わないのであれば、言われているユーロ共同債が必ず必要となる。しかしこれは政治的、国民感情的に実現が難しく、2008年の金融危機を超えるようなショックでも起こらない限り難しいのではないか。

2011年8月21日

ソウルの酒場でチャミスル(眞露)を飲みながら

最近、仕事の都合でソウルへ行く機会が増えた。現地での付き合いも増えた。

先日、日本語がとても流暢なソウル出身の友人二名と、教職を定年退職したという日本の方一名、そして私を入れて4人で飲む機会があった。その日本の方は韓流好きからソウルへ来ていて、既に数ヶ月間滞在しているとのことだった。

ソウルで日本人、韓国人の知人同士が合流して飲むとき、会話が両国間の過去の歴史に触れることはまずない。それより私には全く興味のない、日韓のテレビ番組の話しが度々出てきては盛り上がる。米国、欧州、豪州で生活していた際、酒場ではあり得なかった会話である。ゼロではなかったと思うが、いい大人が目を光らせて、酒場で芸能界の話に盛り上がるようなことはまずなかった。

それはよしとして、今回の4人では珍しく両国間の歴史について話した。欧米文化の色濃い環境で育った私には、竹島/独島問題も、日中間の尖閣諸島問題も、日ロ間の北方領土問題も、正直どうでもいい。ただ今回、日韓間の歴史認識については少し興味が沸いた。

元教員は私に質問する(会話はすべて日本語)。

元教員― 「日韓間で歴史認識が異なる事実についてどう思う?韓国人は日本人がしてきたことに否定的だけど..。一度、中立な立場の人に聞いてみたかった。」

元教員は続ける― 「当時の朝鮮半島で、国内の権力闘争などに明け暮れず、もっと外を見て近代的な軍事力を備えていれば、日韓併合は避けられたんだと思う。外に対して無防備では、結局は外国からの侵略は間逃れない状況だった。」

一瞬、テーブルに沈黙が走る。ソウルの友人ら二人はそっと互いの目を合わせ、下向き加減になる。焼酎のおちょこを手にして会話を変えようとする。

私もどう返答しようかと一瞬戸惑う。友人らがそれ以上話したくないのなら、適当に「きっとそうなんでしょうねぇ」などと口調を合わせ、その会話を終えることもできそう。でも友人に代わり、元教員に伝えたかった。

そこで私― 「ええ、確かに..。多分、私が思うには韓国の方は誰もがそのことを過去の反省と捉えていると思います。国内の権力闘争が外国の侵略を許したと誰もが残念に思っている事だと思います。」

友人らは「そう、そう」とうなずく。 

私は続けて― 「問題は”やり方”なのだと思います。少なくとも当時、20世紀(または19世紀末)のフランスやイギリスであれば、朝鮮人の伝統と尊厳までを奪うことはなかったと思います。」

「併合自体はともかく、やはりその手法は正当化されるものではないと考えています。弱い国は叩かれ、他国に同化されて当然という考えにはあまり賛成できません。しかも20世紀という時代において。」

「歴代総理大臣の謝罪や、日本からの賠償などがなぜ行われたのか。日本軍、政府が行った行為の中で、日本国民に伝えきれていない部分が多少たりともあるのではないでしょうか。」

「その真偽について、これまで両国間で公的な研究がされてこなかったことも残念です。一昔前までは、日本の世界の影響力は韓国とは比べものにならないほど強いものがありましたから、韓国政府は国際機関による公の研究を拒んだかもしれませんが、今は以前より公平な機会が訪れつつあると思っています。」

元教員― 「うん、でも現在の韓国の発展だって、日本の植民地時代に整備されたインフラなどが基礎となったわけですよね。」

私― 「ええ、多分、そのことも韓国国民、誰もがご存知だと思います。」

また「そう、そう」と友人ら。 

私― 「そのような言葉は、例えばある男が少女を拉致、監禁、耐え難い辱めが続き、40年近く経ってその元少女が解放されたとき、その男が、『俺が喰わしてやった飯も、お前が着ているきれいな服も、お前の言葉も知識も全て俺が与えてやってものだろ』と言うに等しいと私は感じます。例え他から見て『稚拙』であっても、彼女は自由な選択肢を持って『自分なりの自分』に育ちたかったのだと思いますよ。」

そこで友人ら二人はまたおちょこを手にとり、「さぁ、飲みましょう」と話しを変える。私は付け加えたかった。その少女は赤の他人ではない。遠い過去、その男の祖先は少女の祖先に、生きていゆく上で非常に多くのことを学んでいるのだと。

多分、日本の多くの方はご存知ないと思うが、現代の韓国人は日本のメディアが強調するほど、対個人への反日感情などはない。あるのは日本政府の歴史認識の扱いに対してであり、これを直接個人に向けるほど反理性的な国民性ではない。それより付き合うほどに、やはり学問の国、哲学の国なのだと感じる部分が多い(教育を受けられなかった世代はまた別かもしれないが)。これは私にとってもやや意外であった。


これまでの人生の中で上のような会話は幾度かあった。韓国や中国は過去の被害を誇張し、日本の謝罪や賠償を国民には伝えないといった風潮があるのは事実であろう。

ただ同時に、あるいはそれ以上に、日本国政府は過去の日本がどこの国で何をしてきたかを、今に伝える義務を果たしていない。そのようなことを外国に行って始めて知ったという日本人の若者は非常に多い。

元総理大臣の小泉氏が、「その意を悪んで、その人を悪まず」などと、加害者の立場から言ってしまうように、そのような意識であってはならないのだと思う。ドイツ政府とは極めて対照的に映る。

最後に、初対面の人との間でよく出てくる会話がある。上の4人で飲んだ晩も例外ではなかった。

元教員― 「それにしても日本語うまいねえ」

私― 「ええ、日本で生まれ育っていますから」

これは私の人生の中で一番よく出てくる会話かもしれない。日本で生まれ育っても、日本人にとって「外国人は外国人」という判断なのだろうか。もう長年言われ続けたことなので慣れてはいるが..。

関連ページ: 子を見て親を知る

加工貿易立国の行方

日本は「加工貿易立国」であると小学校で習った。現代的に言えば「世界の工場」となる。Made-in-Japanが世界のおもちゃ市場を席巻したのはわずか数十年前。バービィドールの模造品を製造するリカちゃん人形の国、レゴの模造品を製造するダイヤブロックの国が、現在では世界の医療機器まで製造している。

まさに日本の発展は世界の奇跡を見るようだ。もちろんこの奇跡はそれより何倍も大きな以前の奇跡、すなわち開国時代の発展が一つの基礎となっている。さらに遡り、巨大地震、津波、火山、台風など、日本は世界有数の災害大国でありながら、木造建築五階建ての塔を千年以上ももたせる技術を持っていた。奇跡と言うよりは、この蓄積の上に培われた当然とも言える実力である。

この実力を世界に見せつけてきた日本が、今なぜ、長期間に渡り低成長に悩み、経済後発国の成長力、技術力に脅かされることに甘んずるのか。これはまさにトップの影響力、政治力の欠如に他ならない。当然、米国依存主義から抜け出せない、抜け出そうとしない政治のあり方も問題である。

政治側は先ずは「円高が悪い」と言う。そしてその対策に「数十兆円」という膨大な国費を注ぎ込んでいる(失っている)。市場を操作しなくてはならないほど、円安でなくてはならないのであれば、それは同時に円安こそが日本の奇跡を創造したということになってしまう。今もなお政府、メディアは「日本人にはハンディとしての円安が必要だ」と言うのであれば、両者が国民の前で誇る日本の先進性はどこへ行くのか。

欧州諸国の発展は通貨安がその最大の理由ではない。彼らは自国通貨高を積極的に利用して、成長に向けた投資を怠ることなく行ってきている。言うまでもなく、通貨高を利用した資源権益の確保や、歴代新興国(日本、韓国、台湾等)、さらに現在の経済新興国にいたる世界各国で足場を固め、通貨高を利用した100年先までの国家成長戦略を描いている。

この先の日本は、世界から尊敬される成熟した民主国を目指すのか、それとも現在の中国のように、「加工貿易後発国」としての立場を貫くのか。政府は世界における日本のポジション、方向性に対し、一貫性のある説明を行う必要がある。また我々も「円高悪」に耳を傾ける以前に、国が権益にしがみつく体質から抜け出す事を訴え続ける必要がある。

2011年8月17日

見え隠れする米国の景気後退

週の終り、ニューヨークは2日続伸で終わりました。これで一旦は底を打ったとみてよいのでしょうか。直近の高値から安値まで、13営業日かけて17%近く下落しました。この17%が大きいとみるのか、または十分でないとみるのかで、この先の投資戦略が大きく分かれます。

昨日でダウは直近安値から約3分の1の戻り。この先、数日かけて半値どころ(11,700ドル付近)まで自律反発し、その水準に25日線が差し掛かる頃、また下値を探る展開になると考えています。バカンスを終え、秋に向けて欧州の債務問題がよりクローズアップされてくると言われていますし、米国市場のアノマリー的な9月要因とも重なります。さらに市場は新興国の景気減速懸念を払拭できていません。

これらを考えますと、やはり今はキャッシュポジションを3050%以上にしておくべきではないかと考えています。仮にダウが直近安値の10,604ドルを終値で割り込むことがあれば、ベア相場入り濃厚と考えます。場合によっては米国景気は「減速」で収まらず、「後退」に向かう入口に立っているとも取れます。

日本のバブル後の処理に比べ、米国は格段に早く手を打ち、QE2に見られるように思い切った金融政策も取ってきています。しかしながらこれが意図した功を奏さなかったのであれば、この先日本的な景気後退とデフレに向かう可能性も否めません。

金融危機後、オバマ氏の大統領就任によって米国はその政策の方向性を変えていくであろうと考えていました。氏の志もさることながら、金融危機直後で世界が強力なリーダーシップを求めていたタイミングでもありましので、それを最大限利用することで大胆な政策を取り、世界経済を再び牽引できるのではないかと期待していました。

「核なき世界」によるノーベル平和賞の受賞までは良かったのですが、私の氏に対する期待が大き過ぎたのか、やはり業界等、各方面での関係者の影響力が勝っていたのか、氏もこれまでのところ「一大統領」の枠を脱していません。

経済も社会も、やはり政治が政治力を発揮することなくして根底を覆すことなどできません。よってありきたりの政策や、現在の米国のFRBに頼り切った経済政策では、この危機は乗り越えることができないと考えるところです。仮に中国の景気減速懸念払拭以前に、米国の景気後退懸念が強まることがあれば、その際はポジションの入替を行いたいと思います。

ご存知の通り日本経済、政治はほぼ完全に米国次第です。最近ではそこに「中国次第」も加わってしまった感があります。復興需要があるとはいえ、大胆な規制緩和(既得権打破による市場開放等)がない限りは、日本はこの先もこの二国に振り回されざるを得ないことでしょう。